言葉では表現できない感覚

左寄りの右とか、上寄りの下。真ん中の外とか。位置を表す言葉は、相手に伝わりにくい。色や形もそうだろう。

だから、テキストや話すことでは、本質がグラデーショナルなものは伝わりにくく、どうしても絵や図や立体にせざるを得ない。

逆に言えば、そのような中間や、曖昧、中庸を一定、表すために、絵でそのように感じられるものを一応表現はできる。
しかし、そのような意味でジェンダーのグラデーションや価値観の多様性という言い方をしていないだろうか?
それは、全く本質的な言い方ではなく、個人の主観でしかないのではないか?

一方で、図である地図や図面、写真や録音された音などは、一定の法則で表された思考の通路であり、理解はされるものの、まだグラデーション概念のような生の本質は表せない。なんらかの表現のフォーマット(言葉を含めた他者に理解させるの為の道具)を通った時点で、作者が伝えたかったものや、現実の本質は、陳腐化してしまっている可能性がある。

グラデーションと多様性は意味の似た言葉である。

ジェンダーや、味覚などは、グラデーションで言い表すことが可能だろう。
仮にも成分の計量のような作法が科学的理解としてのグラデーションだとすれば、
生身の経験も環境下も違う多様で感情的な人間の感じ方には違いがあるのにもかかわらず、世の中には新しい多様性を表出したモノやサービスが筍のように生えてきては消えているような気がしてならない。そのようなものは、少なくとも私は、新しく感じないし、不要である。

そのような感性を個々が持たずに、グラデーションや多様性という言葉だけが説明の為に便利な言葉として一人歩きしているような感覚を覚える。
これは、現状を理解しているようで、全く理解していないように思う。

今のところの私の答えは、グラデーション概念は人が便宜上作り出した比喩なのではないか?と思う。
マスメディアとマクロメディアが逆方向に距離を広げた結果、その影響によってアテンション・エコノミー問題が発生していることも原因だと思う。

グラデーションや多様性という便利な言葉は逃げではないか?
なんでもありが実はなんでもなしになっていないだろうか?社会は多様なのではなく、メディアが多数の個体を多数の個体に見せれるテクノロジーとシステムを駆動しているだけで、世界はもっともっと広く、知らない事、体験したことのない事がまだまだ存在する。

以前から、多様性という言葉を価値観に使ったり芸術に使うことに違和感がある。

実態は、よりシンプルで、人が生きることで変わっていった結果、全体的にみると多様に見えるだけで、実は数が多いだけではないだろうか?
多様性という言葉ではまとめきれないのに、まとめた気になってしまう。
グラデーションという言葉もグラデーションという変化まで説明できていると錯覚してしまう。
これが、人と人の距離感を生んでいると思う。

生物多様性は生態系が循環していると見るからであって、人同士は循環して生存しているとは思わない。様々な格差問題が人と人との循環を少なくし、対話の機会も減っているのではないか?

多様性という言葉の使い方に違和感があり
多種性というほうがしっくりくる。

グラデーションという言葉も、使いはするけれど、共有はできない。ある感覚を表現したところで、多様な表現にはならない。表現は、あくまで一個または一回と数える一回性のあるものだ。

仮にアートやデザインは、個人の内面的な思考をアウトプットしたモノであると括れば、きっとグラデーションという概念は連続的変化をする時間や距離を共有すること。他者や動かない本や作品と「長く付き合う」ことでしか、内発的に本質的に解るということは起きないと思う。
だから、多様性やグラデーションは自分ひとりの世界で物事を見たときには、新たな出会いと、そのあとの積み重ねた時間の中にのみ存在するのではないか。

映像や、空間などを作者と追体験する時にも人は本質的なグラデーションを感じることができる。
しかし、これは、作者からグラデーションや多様性を強制的に受け取る事なのかもしれない。
一方で、主体的に同じ事を何回も繰り返し作ったり、受け取ったりすることで、グラデーションを感じられる。続けること自体が即今でいうグラデーションである。

読書や、書く、物事のブリッチングに勤しむような主体的な学びの姿勢はこちらの没入感が生っぽく、グラデーションを生むんだろうなぁ。

グラデーションという言葉は、やはり、生を表しているので、文字では表せない。

絵や、彫刻を造る。アートやデザインをつくる意味の説明としては、このように言葉では抜け落ちていく荒いメッシュの密度を高め、鑑賞者にその多様な感性を差し出し、人間の間や、社会の間に、なんらかの多様な循環を生み出すことと私は考えている(些細な悩みや問題を解決すること)
思いやりのような、善の循環を促す作品を作りたいと思う。

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