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年越し本あれこれ

子どもの頃、大晦日には父と連れだって街のおもちゃ屋へとプラモデルを買いに出かけた。

自動車とか戦車とかお城とか、じっくり考えた末にひとつだけ買ってもらう。父もまた、自分用にひとつプラモデルを買った。

買ったプラモデルはすぐにでも組み立てたい気持ちを抑え、一晩寝かせて年が明けてからから開封するのが “しきたり”だった。

そもそも、大晦日にプラモデルを買うという我が家の行事はいつから始まったのだろう? はっきりとした記憶はない。

おそらく、正月の準備でなにかと忙しい母から子どもを家から連れ出すよう言われたのが最初だったのではないか。

いずれにせよ、そんな習慣が繰り返されるうちプラモデルを買うことがぼくには新年を迎えるにあたっての厳粛な行事と感じられるようになった。

プラモデルを買うのはなにも正月にかぎったことではなかったが、大晦日に買うプラモデルはなにか特別な、踊りだしたくなるような晴れがましさをまとっていた。

大人になってからは、いつしか大晦日には書店に行くようになった。

正月に読む本を手に入れるためである。文庫本、あるいは単行本を一冊だけ慎重に選んで購入する。

新年を迎えるにあたっての自分なりの儀式は、プラモデルから本へとかたちを変えて引き継がれたわけだ。

ここ最近はわざわざ本屋まで出かけることはなくなったが、それでも年末が近づいてくるとこの正月はどんな本を読もうかとどうにもうずうずしてくる。

分厚い本、ちょっと手強そうなテーマの本、あるいはいつもならば買うのをためらってしまうような値の張る本など、正月ならではのスペシャルな視点でセレクトするのも楽しい時間だ。こういう本を、ぼくは「年越しそば」ならぬ「年越し本」と呼んでいる。

以下は、そんなふうにしてセレクトされた今年の「年越し本」である。


村上春樹『街とその不確かな壁』新潮社

卒論を村上春樹で書いたという筋金入りハルキストの友人から借りたもの。

秋口に借りたのに、すっかり積読本になってしまった。少々焦っている。

村上春樹について言えば、けっして熱心な読者ではないにもかかわらずその友人のおかげでそれなりに読んでいる本かもしれない。

もちろん、借りた以上はひとこと感想でも添えて返さねばというプレッシャーはある。だが、それがあるがゆえにふだんより一段と濃い読書体験をさせてもらっている気もするのだ。

気ままに好き勝手に読書するのもよいが、たまには「宿題」のようにして読むのもわるくないと思う。

小山清『小さな町・日々の麺麭』ちくま文庫

時間つぶしのつもりで覗いた書店で、平積みの新刊書の中にこれをみつけてしまった。みつけてしまったからには買わないわけにはいかない。

社会に出れば、結婚すれば、歳をとれば、そんなその場しのぎの言い訳に逃げてついぞここまで来てしまったぼくのような人間には、小山清の書くものは読んでけっして楽しいものではない。

むしろ、自分のダメさ加減を見せつけられているようで苦々しい気分でさえある。

にもかかわらず手にとってしまうのは、その苦々しい気分の先に深煎りコーヒーを口にしたときのようなほのかな甘みが感じられるからで、それが癖になるのだ。

しかし、そんなところに甘みを感じて喜んでいる限りいつまでたっても“ダメ”から抜け出ることができないわけだが。

余談だが、10年くらい、かつて小山清が暮らしていた牛乳屋の前を通って通勤していたことがある。

H・アアルト=アラネン『アイノとアルヴァ アアルト書簡集』草思社

これも運よく貸していただくことができた。

フィンランドを代表する世界的建築家とその妻の足跡を、ふたりの孫にあたる著者が残された書簡を手がかりにたどってゆく。

すでに読み始めているが、イタリアやスイス、ドイツをはじめとする外国への旅やバウハウスの面々らとの親密な交友関係、またそのときどきのふたりの関心事が彼らの手がけた建築作品にはかりしれない影響を与えていることが手にとるようにわかる。

資料的価値という点でものすごく貴重であると同時に、ちょっと謎解きのようにも読むことができる。

読書は、ときに「点」と「点」をつないで「面」へと変えることで魔法のような瞬間を味わせてくれるものだと思う。

持田叙子『永井荷風の生活革命』岩波書店

永井荷風に《都会のスナフキン》といったイメージを重ねるようになったのは、とりもなおさず著者の話を聞いてからのこと。

この本は、女性の自立、個と孤、庭、老いと死をキーワードにおこなわれた4つの講演を収めたもので、それだけに平明な口調で書かれていて読みやすい。

永井荷風こそは「シングル・シンプルライフ」の先駆者だと著者は言う。

《ひとりをどう生きるか?》がいまの最大の関心事であるぼくにとって、そこには多くの気づきがあるのではないかと期待している。

西崎憲『飛行士と東京の雨の森』筑摩書房

上に挙げた4冊だけのつもりだったのだが、たまたまSNSでこの本のことを知り無性に読んでみたくなった。

文学や音楽をとおして、はたして「東京」がどう表現されているか、それもまた自分にとって長年の関心事のひとつである。

残念ながらこの本は絶版のため図書館で借りた。年末に図書館を利用するメリットのひとつは、あいだに年末年始の休館が挟まるためふだんより数日余計に借りることができること。遅読にはありがたい。

これを読んでくれる人にもまた、きっとそれぞれの「年越し本」があるのだろう。そんなことを考えながらこの記事を書いた。


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