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無重力ペダル

田舎と都会は明らかに時間の流れがなんか違う。
毎回、その土地を踏んだ時に、
一瞬ふわっと感じる無重力感。
あの感覚はなんだろう?

都会に住んでいると、
とにかく時間で管理されている、縛られている感覚がある。
だが、選択肢が多いとも言い換えることができる。
電車で言えば地下鉄など手段もダイヤも多い。

地方に住んでいると、
とにかく時間をどう有意義に使うか、
作り出すかということを意識する。

選択肢はそこまでない。
いかに意識して明日どこで、、何をするのか、考える、捻出する、行動する必要がある。

とにかく都会は時間単位に対しての選択肢の密度が高い。
その分、時間の流れは速く感じてしまうので、
しっかりと自分の軸を持っていないと、
知らないどこかの果てのブラックホールみたいな何かに、
吸い込まれている感覚になってしまう。

一方で、田舎は意識しないと、未来を作り出すことができない。
中々時間が流れていかないので、気づいたら、
都会にいる誰かと「ヨーイドン」と徒競走したら、
明らかに浦島太郎状態の差がつく危機感がある。

だから。周りに流されないように、
強い信念を持って、場所に囚われず、
自分の考えてを持って選択していかなければいけない。

選択することによって、
都度、味わうかもしれない「無重力感」。
その無重力感のような妙な歪みは、
きっと未来に繋がる特異点だと信じている。
多少の痛みは伴うかもしれないが、
その無重力状態でも、ペダルを思いっきり漕いでいけば、
どこか遠くに行ける気がする。
(これは決して、どこからか逃げたいという自由ではなく、どこかに向かっていきたいんだ!と選択する自由だ)

管理されている時間の中で生きるのか、
自分で作り出す時間の中で生きるのか、

無重力空間を作って、ペダルを漕ぎまくれ。



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