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全く見返りは求めていないが、それはないだろうという話

小学4年のころ。

給食は、男女6人ほどの班で机を向かい合わせにして食べていた。

月に一度、お楽しみ給食という、どんな献立かわからないけれど人気のおかずが出る日があった。

その日は、好きな人たちで自由に机を並べて食べてもよいという、と友達のいない者には地獄のようなルールだった。

そんななか、ひとりだけ絵に描いたようにぽつんと食べざるを得ないⅠ君が教室の端っこにいた。

いじめられっこと言われればそんな感じだったのかもしれない。

担任は鈍感というか社会の厳しさを教えようとしていたのか、はたまた教師失格というか何も手を差しのべなかった。

当時どんな感情が沸いたのか覚えていないが、何度めかのお楽しみ給食の日に、それまでのグループを離れⅠ君と机を合わせ2人で食べることにした。

正義感や優越感やカッコつけるとか、そんなことではなく、自分がひとりで食べるとしたらと想像するとドキッとしたみたいな感覚ではなかったか。

給食中、話した内容など全く記憶はないが何かしらの会話はしていたのだろう。

断っておくが、そこから何もドラマは生まれていない。

担任に褒められるとか、Ⅰ君とともにいじめの対象にされるとか、誰かに感想を聞かれるなども。

変化があったとすれば、年が変わるころには仲良し班からあぶれた者がひとりふたり集まってきたことぐらいだろうか。

そして5年生のクラス替え以降、Ⅰ君との接点はなくなった。

‐‐‐‐‐

時は流れて19歳、まだ固定電話しかなかったころ自宅にⅠ君から電話がかかってきた。

小4のころの大人しいイメージとはかけ離れた明るいトーンでわたしの近況を聞いてくる、何だこの違和感は。

ピンときた方もいらっしゃるかと思うが、ふたを開けてみれば新興宗教の勧誘だった。

いちおう丁重にお断りした。

ふたりで給食を食べたことなんて忘れているんだろうな、と思う。どうせ卒アルの名簿片っ端からかけているのだろうし。





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