ミヤコ・タナゴ

72年生まれ / 妻と子の3人暮らし / むかしがたり

ミヤコ・タナゴ

72年生まれ / 妻と子の3人暮らし / むかしがたり

マガジン

最近の記事

逆トラウマで人前で緊張しない理由

中学2年、わたしは生徒会の議長にさせられた。 させられたというのは大げさな話ではなく、もともと生徒会など1ミリたりとも興味もやる気もなかった。 しかし、まだ体罰が黙認されていたころ、体罰大歓迎の体育教師にやれと言われ、最後まで断り切れなかった。 せめて目立たない書記ならと打診したが、もうひとり生徒会にねじ込む生徒が生徒総会などの司会ができそうもないみたいな難癖をつけられ却下された。 今なら、そもそもそんな理不尽な話はないし、あったとしても親に相談してクレームを入れても

    • あれは強迫笑だったのかという話

      小学4年、下校前の帰りの会の話。 ーーーーー 人前で物怖じしない人間に育てたかったのかどうかわからないが、机の縦一列ずつ児童が一分間ひとりで好きなパフォーマンスをする「一分間スピーチ」なることをしていた時期があった。 当時TV放映されていた野球アニメ「キャプテン」のオープニング曲「君は何かができる」などの歌をアカペラで歌う、その日の個人的なニュースを話す、給食の感想を述べる、などそれぞれ。 目立ちたがり屋にはなんてことないことだが、引っ込み思案には地獄のよう な時間だ

      • 自主練しないでメッシになるのは大変だ

        幼稚園のときから習っている同じクラスの友達に誘われてから息子がサッカーを始めて2年になる。 練習は平日2日、土日は両日のときもあればどちらか1日というときもある。 少なくとも週3回は元気に体を動かしてくれるし、休日、午前中で練習が終われば仲間の何人かと夕方まで屋外で遊んでくれるのはありがたい。 近隣の4つの小学校からメンバーが集まっているので、他校の友達ができたこともありがたい。 ーーーーー 練習は楽しいらしく休まず通っているが、上手いかといえば疑問符がつく。 理

        • 子供の言いかえが、わが家の公用語になっている話

          幼い子は言いかえをすることが、ままある。 うちの子供は、みそ汁や肉野菜炒めの具材として活躍するブナシメジのことをブナピーではなくベーブーと呼んでいた。 ほかのきのこたちは、エリンギ、マイタケ、エノキ、シイタケ、と言いかえることはなかった。 それにしても、好き嫌いなくベーブーと言いながらよく食べてくれたのはありがたかった。 ーーーーー それからヤクトロなんて言いまちがいも。 ヤクルトと言いづらかったらしくヤクトロがしっくりきたらしい。 乳酸菌飲料のあの容器に入って

        逆トラウマで人前で緊張しない理由

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        • 中学校時代の思い出
          4本
        • 小学校時代の思い出
          9本
        • 幼稚園以前の思い出
          3本
        • 高校時代の思い出
          2本
        • 大学時代の思い出
          1本

        記事

          おねしょの記憶

          小学1年まで確実におねしょをしていた記憶がある。 当時二階で寝ていて、夜中ひとりで階段を降り、暗闇を歩いてトイレに行くのが怖かった。 ごくたまに、親を起こしトイレまでついてきてもらうことがあったが、大抵はひとりで行ってきなさいと突き放された。 だから尿意を覚えて目覚めても、なんとかなるかもしれないと賭けに出て再び眠りに落ち、結果負けることが多かった。 不思議に親に告げても顔はしかめられたが、怒られなかったことをみると、親もおねしょをしていたんだろうなと思っていた。

          おねしょの記憶

          親友と人気者に憧れたなあという話

          学生時代、親友がいなかった。 仲良しグループに属した記憶もない。 人と合わせることが苦手だったし、言いたいことは言う方だった。 でも、休み時間や下校時にひとりではなかったので、友達はいたと思う。 ーーー 親友アピールする人に、相反する感情があった。 相思相愛になれるほど心を許しあっているのかという憧れ。 優越感、思い込み、陶酔、依存の類なのでは、という毛嫌い感。 ーーー 恋人同士になるときのように、確認作業はあるのだろうか。 相手にどこまでしてあげられたら

          親友と人気者に憧れたなあという話

          財布を落としたことが3回ある

          これまで財布を落としたことが3回ある。 しかし、いずれも戻ってきている。 ーーーーー 20代、焼肉屋からタクシーで帰宅したが、支払いの際に財布がないことに気付く。そのままとんぼ返りで焼肉屋に戻り、宴会のあった2階の座敷の分厚めの座布団の間で挟まっている財布を発見。2倍の料金がかかったが事なきを得た。 20代、先日訪問した取引先からあなたの財布を預かっていると連絡が。その人の高校の同級生がわたしの財布を拾い、入っていた社員証から、同じ業界の取引先であるその人に問い合わせ

          財布を落としたことが3回ある

          ブルース・スプリングスティーンと中2と

          1975年にリリースされたブルース・スプリングスティーンの3rdアルバム『Born To Run』のラストを飾る楽曲「Jungleland」。 リリースから11年後の1986年、中学2年のわたしは NHK-FM から流れてきたピアノとバイオリンからなる41秒の美しいイントロに心を奪われた。 このときくらいだと思う、音楽から雷に打たれたような衝撃を覚えたのは。 9分35秒の短編映画のような物語性のある歌詞とダイナミックな楽曲展開、中間の有名なクラレンス・クレモンズのサック

          ブルース・スプリングスティーンと中2と

          人の裏表を知った日

          小学4年、昭和57年。 教卓の上には、当たり前のように灰皿が置かれ、休み時間になると煙草をふかしながら教師がテストの採点している姿がみられたころ。 ある日、授業中にアンケートが配られた。 なかにはこんな項目が。 「クラスであなたの好きな男子はだれですか?」 「クラスであなたの好きな女子はだれですか?」 「クラスであなたのきらいな男子はだれですか?」 「クラスであなたのきらいな男子はだれですか?」 それぞれ3人ずつ名前を書き込む欄が設けられていた。 なかなかハードな

          人の裏表を知った日

          豆知識は「ひみつシリーズ」から得た

          小学生の息子は本を読まない。 エンタメがあふれた今、楽しく時間を過ごす優先順位として本を読むことは、よく見積もっても10番目くらいではないか。 それでも活字に触れてもらいたいと、就寝前に布団に入り図書館で借りた本を一緒に読むよう心がけている。 ‐‐‐‐‐ 40年前、5年生のときにファミリーコンピュータが発売され、それまでの遊びのスタイルを一変させ、主流の外遊びから男子が室内で遊ぶ機会を増やした。 しかし、ファミリーコンピュータがやってくることなかった小学校時代のわた

          豆知識は「ひみつシリーズ」から得た

          リアルタイムで飲んだ「冒険活劇飲料」をリタイアした話

          500mlペットボトルなど存在しなかった、小学6年のころ。 ダルマ型300ml瓶(スタイニーボトル)のキリンメッツ、中でも黄緑色の外観のグレープフルーツ味がお気に入りだった。 それまで主流の250ml缶より、たとえ50mlでも増量が魅力的だった。 形もどことなくかわいかったし。 350mlのアルミ缶が台頭するまでお世話になった。 ‐‐‐‐‐‐ 当時、我が家のブラウン管テレビで以下のキャッチコピーとともにスタイリッシュで斬新なCMが流れていた。 「コーラの前を横切

          リアルタイムで飲んだ「冒険活劇飲料」をリタイアした話

          甚だ簡単ではございますが

          漫画家の蛭子能収さんは、葬式に行くと葬儀の最中に必ず笑ってしまうという。 みんなそろって同じ行動をしているその場が、奇妙で不思議な空間に見えてくるそうだ。 ‐‐‐‐‐ これっぽっちも未練のない中学の、底冷えする体育館で行われた卒業式で似た経験をした。 笑ってはいけない場面で笑わぬよう我慢する。 具体的には、PTA会長(50代くらいの男性)のスピーチで何回も登場する口ぐせ、 え~甚(はなは)だ~簡単ではございますが に耐えること。 それまで何度かの式典で披露

          甚だ簡単ではございますが

          人生初コンサートは「おニャン子クラブ」だった

          中学3年になる前の春休み、1987年4月4日に国立代々木第一体育館で開催された女性アイドルグループ“おニャン子クラブ”のコンサートへ行った。 いきさつはファンクラブ「こニャン子CLUB」に入会していた友人のM君が親戚のお兄さんと2人で行く予定だったけれど都合が悪くなり、白羽の矢が立ったというもの。 わたしがそれほどおニャン子クラブに興味がないことを知っていたが、なぜかちょくちょく関連したことに誘ってくれた。 ‐‐‐‐‐ 中学2年の開校記念日には、おニャン子クラブの衣装

          人生初コンサートは「おニャン子クラブ」だった

          アオダイショウは記憶の中で移動する

          小学3年のころの出来事。 小学生のワイルドさの基準ってよくわからないが、うんていの上を走るとか、消火器をいじって廊下を真っ白にするとかのイメージだろうか。 同じクラスのT君はそのすこし斜め上、首にアオダイショウを巻いて登校するくらいのワイルドさを持っていた。 授業中には余っている飼育ケースに入れられて教室の後ろで保管されていたと思う。 休み時間には男子たちが取り囲み眺めるようなシーンが浮かぶ。 とくに問題視されないところに昭和を感じる。 ‐‐‐‐‐ そんなある日

          アオダイショウは記憶の中で移動する

          全く見返りは求めていないが、それはないだろうという話

          小学4年のころ。 給食は、男女6人ほどの班で机を向かい合わせにして食べていた。 月に一度、お楽しみ給食という、どんな献立かわからないけれど人気のおかずが出る日があった。 その日は、好きな人たちで自由に机を並べて食べてもよいという、と友達のいない者には地獄のようなルールだった。 そんななか、ひとりだけ絵に描いたようにぽつんと食べざるを得ないⅠ君が教室の端っこにいた。 いじめられっこと言われればそんな感じだったのかもしれない。 担任は鈍感というか社会の厳しさを教えよう

          全く見返りは求めていないが、それはないだろうという話

          双子の神秘を給食のおかわりジャンケンのリアクションで知る

          楽しみでしかなかった給食の時間。 さらなる楽しみは好きなおかずやデザートのおかわり。 おかわりのルールは担任によってまちまち。 たとえばスープなどの寸胴に入ったおかずなら秒針が12時43分00秒を指したときにおかわりスタート、目当てのおかずが余っているのなら早く給食をたいらげ用意する。 個別のデザートなら、まずは班別にジャンケンをして勝った者たちが教卓の前に集まり決勝戦をするなど大いに盛り上がったものだ。 ‐‐‐‐‐ ところで、同じ学年に女子の双子がいて、ひとりと

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