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どっこい生きてる発達民

昔、『発達障害35歳限界説』なる概念を知り慄いていたが、気づけば35歳をすぎてもしぶとく生き残っている。

この記事内で

37: ななしさん@発達中ID:eBp6aA050
ワイアスペはどんどん軽くなってるわ
なんか年とって鈍感になって人の目気にならなくなってきた
生きるの楽になってる

凹凸ちゃんねる:『発達障害35歳限界説』ってマジなん…?

のコメント見て激しく同意している。もしかしたらADHD特性、ASD特性どちらが強く出るかによっても感じ方は異なるのかもしれない。私はASD寄りの発達障害者だ。(ついでにADHD分をパラパラと…)

ASD寄りだと若いころは特性由来の頑なさや直截な物言いのために他者と衝突することがあまりにも多く、良くて孤立、下手すりゃイジメのターゲットになりかねない。反動で過剰適応しまくると本来の自分を見失って人生の迷子になる。だがどっこい一応35歳を超えてもしぶとく生き残っている。人付き合いが壊滅的に下手なくせに人は好き、という生来のポンコツ仕様に七転八倒しながら、ある種の開き直り(自己受容)と多少なりとものソーシャルスキルを身につけた結果かもしれない。

学歴・職歴ともに履歴書に書けるものではなく、その点においては『崖の下に落ちている』現実を突きつけられる。…可能ならば『親のせい!』『社会のせい!』『運命のいたずら!!!!』『ついでに言えば天中殺!!!!!(天中殺期間ではない)』と口角泡を飛ばして何かに責任をなすりつけたい。喚いたところで現実は何一つ変わらないが。そして、幸か不幸か今日この国は人手不足だ。今後も三十年以上人手不足は確約されている。ワンチャンいける確信はある。掴もうぜ、このチャンス。と気楽になりつつある。


未だに発達民と定型民の違いがあんまりよく分からず、その違いを考えることさえも最早めんどくさくなっているが、いち発達民として十代後半から二十代、下手したら35歳になるまで『世の中』や『人間』への理解度が非常になかったことは事実だ。四十路を目前としてようやく深く立ち込めていた霧が晴れて自分が今身を置く『世界』が見えるようなってきた。いろいろ大変なこともあるけど、正直十代より、二十代より、今が一番人生が面白い。

というわけで『発達障害者35歳限界説』はより正確に表現するならば『(定型民社会に迎合する)発達障害者(のマスキング)35歳限界説』なのだろう。所詮どんなに取り繕うと我ら発達民は発達民、醸しだす『なんか違う』感を完全に抑え込むことはできまい。『発達障害者35歳復活説』をぜひ推したい。人生ふとくしぶとくたくましく、やで!!!!!!

私が勝ち取った翼で
私は飛び去っていこう!
私は生きるために死のう!
よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
わが心よ、ただちに!
おまえが鼓動してきたものが
神のもとへとおまえを運んでいくだろう!

交響曲第2番 (マーラー)



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