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「北匈奴の軌跡 草原の疾風」前編

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「北匈奴の軌跡 草原の疾風」の第一章から第五章を無料公開しています。(更新中)
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「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第一章(1)

第一章 草原の子 一  凹凸に富む砂と土と石塊の荒れ地は、はるか彼方へと続いていた。  目に入るのは、乾き切った硬い砂と土と石のほかは、たまに地面を這う雑草とまばらに生える低木ばかり。  左右を眺めても、振り返っても、母や父の姿はおろか人の姿とてない孤絶の世界であった。  灼けるような暑さ。恐ろしいまでの陽射し。少年は、フードを鼻の頭まで引き下ろした。  あまりの眩しさに眩暈がした。  少年は目を瞑った。どんなに耳を澄ませても、母の声は聞こえてこない。少年は砂漠の真っ只

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第五章(2)

四  ジュアールは、報告に出向くゴリークとともにバランベルの本営への帰路を急いでいた。草原には心なしか春の息吹が感じられる。名もない草の花がほんのわずかであれ、目にとまった。 「いまになっていつもの春が舞い戻っても、もう元には戻れませぬ」  ジュアールは慨嘆した。 「ううむ。東ゴート族を無慈悲に追いつめなくてすんだかもしれぬな。あまりに殺しすぎた。ジュアール、わが軍の次なる動きはどうなる。主上はまだまだ殺し足りぬと言われるであろうか」  物事の終わりは次の始まりである。ゴリ

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第五章(1)

第五章 西走西討 一  フン族の民は、自分たちの先祖のことをわずかしか記憶していない。  文字を持たぬ民には口伝えが残るのみ。それによると、自分たちの先祖は故地を追われて、東方はるか彼方から草原と水を求め、長い歳月をかけて西方への旅を続けてきた。  天山山脈だの、康居だのといった舌を嚙みそうな地名や、さらには、エンバ川、ウラル川、ヴォルガ川などの川名が、フン族の数少ない記憶の一部として残されている。水なくしては生きられないゆえに、大切な名として残ったのであろう。  し

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第四章(2)

三  その年、冬将軍の跳梁は常軌を逸していた。  雪は降り荒び、ものみなを白一色に染め上げた。吐く息すら凍るかというほどの極寒は、何日も居座ったままで、生きとし生けるものを恐怖させた。  二十四時間火を焚き続けても、人間を凍らせないようにするがせいいっぱいで、家畜は一声悲鳴を上げると、斃れていった。 「春さえやって来れば……」 「もう二月の辛抱だ」  人々は暗い顔で天を仰ぎ、語り合った。  だが、春が巡ってきても暖かくならなかった。人々は天を呪った。夏であるはずの季節に至っ

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第四章(1)

第四章 さらに西へ 一  少年は、秘密の場所三つに仕掛けた罠の見回りに遠出した。馬で半日もかかるが、罠に掛かったウサギが、背を丸めて全身をさらす姿を見つけると、馬に乗りづめの苦しさなぞ、吹き飛んでしまう。  その日も二ヵ所で獲物を二匹手に入れた。少年は袋に無造作に放り込むと、思わず拳を振り上げ、 「やったぞ」  と、叫んだ。残る一ヵ所はさらに遠い。そこは少年の部族の縄張りのはずれに近かった。少年はそのあたりで、異民族の男たちが馬で駆けてゆく姿をしばしば見かけた。総じて

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第一章(2)

四  探検隊の一行は、荷物満載の大きな車に乗って進んだ。ジュアルとリンは交代で二頭引きの馬車を馭した。替え馬四頭が後ろに続いた。緊急事態の際、各人が馬で移動できるようにするためである。  道中、ジュアルらは時に先導し、時に殿軍を務めた。旅は順調に進んだ。  男三人は、ジュアルらに対して冷たくもなければ、温かくもなかった。要するにいかなる関心も示さなかった。  女の隊員エリーだけが、何かとジュアルとリンに気を使った。ジュアルらに一行の言葉を教えたのもエリーである。ジュアルら

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第二章(1)

第二章 草原を追われて 一  永元元年( 八九) の初め、 耿夔( 字 は定公) は、 車騎将軍竇憲( 字は伯度) の仮司馬となり、北匈奴を伐つことになった。  耿夔は、勇猛な性で若くして知られた。匈奴を憎むこと、蛇蝎のごとし。竇憲の命を受けてつねに奮戦し、寧日なき戦いの日々を誇りにした。  耿夔の密かに見るところ、竇憲の人間性には、はなはだしく問題があった。平時では、とうてい仕えるに値する人物ではない。その長所は、ただに勇猛果敢の一点のみにあり、外戚の立場を利して

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第二章(2)

四  於除鞬の動きをよそに、北単于は、わずかな数の部下とともに北へ北へと落ちた。  これまでの日々、 することなすこと鶍の嘴の食い違いをみせた。 北単于は、 心底、 打ちのめされていた。 ( 南単于は、してやったりと北叟笑んでいるであろう。が、考えまい。すべては、わたしの統率の拙さが招いた結果だ。さて、われらはどうするか)  北単于の小集団は、極寒の草原をあてどもなく彷徨った。逃げ散った羊の群れを掻き寄せてはみたものの、数は知れている。飢えに悩まされた。  北単于は、少し

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第二章(3)

七  建光元年( 一二一)、耿夔は、再び度遼将軍を拝した。  その年の秋、遼西鮮卑の其至鞬が叛いて、居庸関( 北京市昌平県の北西) を侵した。雲中太守の成厳がこれを迎え撃ったものの、手酷く討ち破られた。功曹の楊穆が身を挺して成厳を庇い、二人して力戦したが、ついに両人とも斃れた。  鮮卑は大いに奮って、烏桓校尉の徐常を馬城( 山西省定襄県の南) に囲んだ。  耿夔はこの報に接すると、 幽州刺史龐参とともに、 広陽( 北京市北方 )、 漁陽( 河北省密雲県西南) および涿郡(

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第三章(1)

第三章 草原を西へ 一  匈奴は文字を持たない。 それゆえ、『 後漢書』( 中国古代史書) のなかに、「元興元年、北単于は再び使いを敦煌に送り、遣子入侍を乞う」とする自分たちに関する記述のあるのを知らない。遣子入侍の候補となった本人も、むろんこれを知らない。  このとき、後漢朝へ送られそうになったのは、北単于の二子息のうち、弟の方であった。  名を鷲亞留と言った。  長じてからの鷲亞留は目立つことを避け、北単于の後を継いだ兄鷲亜羅を背後から支えることに懸命になった。

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第三章(2)

三  緑洲一帯は、果樹の香りに家畜の臭いが混ざり合い、人々の交わす声々に家畜の鳴き声が交ざって、独特の空気を醸している。 「ここを発つと当分の間、緑洲はないそうです」  ボルテがいろいろ仕込んでくる。鷲亞留は頷くと、緑洲の彼方に視線を投げた。 (水は、どこかから来てどこかへと流れる。緑洲とは、その流れがたまたま地表に顔を出したものであろう。さすれば、この近くに異なる緑洲があってもよさそうなものだが、ここにしか水はないという。やむなく大量の水を携えるとしても、旅を続ける限り