見出し画像

「北匈奴の軌跡 草原の疾風」第五章(1)

第五章 西走西討
 

 
 フン族の民は、自分たちの先祖のことをわずかしか記憶していない。
 文字を持たぬ民には口伝えが残るのみ。それによると、自分たちの先祖は故地を追われて、東方はるか彼方から草原と水を求め、長い歳月をかけて西方への旅を続けてきた。
 天山山脈だの、康居だのといった舌を嚙みそうな地名や、さらには、エンバ川、ウラル川、ヴォルガ川などの川名が、フン族の数少ない記憶の一部として残されている。水なくしては生きられないゆえに、大切な名として残ったのであろう。
 しかしながら、いま眼前にするヴォルガ川を除けば、それぞれの地名や川名がどのあたりを指すのかをはじめとして、詳しいことは曖昧模糊あいまいもことしている。過去も現在も、フン族は、言葉の通じぬ異郷の地を彷徨するのが宿命であったかのようである。
 馬や羊などとともに生きるこの遊牧の民は、 かたくななまでに生活様式を変えなかった。
 が、住む地ばかりはそうはいかない。
 家畜が草を食べ尽くしたとき、それに加えて、草が枯れて風に吹き飛ばされ、大地が凍りついていつまでも草が芽吹かぬときには、速やかに移動開始を決断するのが、王たる者の責務であった。
 少しでもこれを誤まると、家畜の大量死を招く。家畜の死とは、いずれは自分たちのそれに直結する。いかに住み慣れた地であろうとも、直ちに捨てねばならない。草原の暮らしの持続とは、自然の猛威から巧みに逃れることに尽きた。
 フン族は、草原を渡る風によって運ばれる死の臭いに背を押され、西へ西へと歩を進めてきた。いま、ヴォルガ川の東岸に到達したのである。
 長い歳月、フン族は、移動するごとに先住民と遭遇し、小競り合いを巧みに処理して、滅亡を避けてきた。絶え間のない闘争がフン族戦士を練磨した。
 城郭を拵えてみずからを守る習慣のないフン族のような遊牧の民は、いかにしてわが身を守り、いかにして敵を撃ち破ってきたか。
 フン族は、いついかなるときも、人馬一体となって行動した。危険を察知するや否や、すばやく駆馬するはやさにおいて、後塵を拝することは万に一つもない。
 攻城戦や塹壕戦を苦手としたが、平原での戦いで敗れたことはただの一度もない。騎射と投げ縄の技が、フン族の城郭となって久しい。
 悠久の時のもとで混血があったろうし、言葉の変化もあったであろうが、そのときでもなお、フン族の風貌と言葉は、その地域の人々とはまったく異質であった。
 フン族は好戦的という形容で名をなした。されど、生きるために戦ってきたのであり、必要に迫られずして戦ったことは、ただの一度もない。
 フン族は残忍という形容でも名をなした。抗った敵に対する見せしめは、限度を超えた残虐さに満ちており、この形容は正鵠せいこくを射ている。
 フン王バランベルの率いるフン軍が、ヴォルガ川の東に姿を現わしたとき、西洋社会は、自分たちの目にする異形いぎょうの者たちが、悪魔の所業を繰り返し、自分たちを震え上がらせる存在になるとは、予想だにしなかった。いわんや、その結果として、西ローマ帝国に滅亡をもたらすことを。
 カスピ海の北からドン川に至る草原地帯には、遊牧の民アラン族がいた。フン族とは、人種としての外観がおそろしく異なっており、戦法もまた然りである。
 バランベル配下の氏族の長ゴリークが、すでに極寒の季節にこのアラン族と戦端を開いていた。結果は上々。バランベルはゴリークの決断を手放しで褒めた。
「次は、われら主力がアラン族の息の根をとめることになろう。その備えをいまからしておけ」
 バランベルは、春になってからの攻撃を各氏族の長に下命した。
 西暦三六〇年前後、草原は、家畜の胃袋を満足させなかった。もはや春も夏も秋もなく、冬があるばかりであった。
 この天候が、アラン族の身軽に動けぬ重装備兵に対して不利に作用することは明らかである。
 その年の春、フン族はヴォルガ川を渡った。かつてそうであったように、ひとたび行動を決意した限りは、ひたすら西を目指すしかないのである。
この日、めずらしく陽の光が差した。
 両軍が対峙したとき、アラン族兵士は東の方角を指さして、しきりに何事かを叫んだ。
「ここは、われらの土地だ。さっさと帰れ」
 と、言っているらしい。フン族戦士にも推察できた。
 アラン族の重装備騎兵が長槍を突き出して、威嚇いかくした。
 フン族戦士も、口やかましく散々に罵声を浴びせる。
 両軍の馬上の睨み合いはすぐに終わった。
 アラン族の方が先に仕掛けた。 きらめく日射しのもと、 アラン軍騎兵の甲冑かっちゅうが光り赫やくさまは、さながら一群の巨象の突進であった。
「引けっ」
 バランベルは退却を命じた。巨象に抗したところで、無益なだけである。銅鑼の音が草原に轟く。フン族はいっせいに引いた。
 やみくもに逃げる。フン族は危ういと感じたならば、遁げ、次いで状況を的確に判断するや反撃に転ずる。
 押したり引いたりの駆け引きは、フン族のお手の物であり、しかも、軽騎ゆえ、脚は速い。
「何と逃げ足の速いやつらだ。口ほどにもない」
 重騎兵主体のアラン軍は、散々走った挙げ句に追撃をやめ、勝鬨かちどきを上げた。
 他方、バランベルは軍を立て直すと、反撃に移り、殲滅戦の火蓋を切った。
(あんな重装備では疲れるばかりだ。逃げたのはこちらの策にすぎぬにもかかわらず、勝ったと即断するとは、愚かにもほどがある)
 フン族の得意とする強弓の遠矢が、恐るべき威力を発揮した。敵の重騎兵は次々に斃れていった。
 間髪を入れずに敵を包囲すると、側面からおびただしい矢を見舞った。混乱をきたしたアラン軍は右往左往するばかりで、フン族の恰好の餌食となった。
 こうなると、フン族の強さは無類である。 鏖殺みなごろしに狂奔した。緒戦で、フン族は格の違いを見せつけた。
 戦闘が終わったころにまた陽の翳ったのは、天も、アラン族の悲惨な結末に目を背けたたからであろう。
 アラン族は、馬や弓矢を扱う巧みさにおいて、とうていフン族の敵ではなかった。白兵戦ならば勝てたかもしれないが、フン族はそれを許さない。
「いったい、この異様な連中は何者か。ひどく強い。しかして、獰猛どうもうだ」
 アラン族は、何が起きたか判らぬうちに打ち倒されて、嘆じたが、後の祭りである。
「われらに逆らうとどういうことになるか、見せつけてやれ」
 バランベルは、無慈悲に命じた。フン族戦士は、野営地で吉報を待っていたであろうアラン族の女や子どもたちを襲った。
 こういうときのフン族は、たとえ赤子であろうと、一人として容赦しない。殺し尽くす。噂は千里を走った。
──フン族に逆らったら何をされるか判らぬぞ。あの騎馬軍団の異様な出で立ちはどうだ。その馬のはやいことには恐れ入る。フン族戦士はいずれも平べったい顔をし、その顔には傷跡がある。色黒、細い眼、低く幅の広い鼻、真っ黒な髪。いままで見たことも聞いたこともない異人種だ。野獣のような残忍な相で、奇声とともに襲いかかってくる。言葉は通じない。えば必ず戦闘になり、必ずやつらが勝つ。
 と。
 アラン族を筆頭にその他の弱小民族は、フン族に対する抵抗を諦めた。抗いをやめれば、フン族の陣営に繰り入れられ、フン軍の斥候役や先鋒役といった危険な役割を強いられるものの、命をとられることはないと知ったからであった。
 勇壮なアラン人には、それでよしとする風があった。妻や子、多くの肉親を失い、自棄やけを起こしたのかもしれない。
 バランベルは、アラン族の家畜を奪い、アラン族の草原を支配した。フン族は、生きながらえた。
 そののち、気温がいま少し上がっていたならば、フン族は、アラン族の土地で平穏に暮らしていたに違いない。
 

 
 西暦三七四年の冬は、その前年末から桁外れの寒さとなり、十数年前を思い起こさせた。
「アラン族を討った年、だれもがあの凄まじい寒さを呪い、もう二度とごめんだと言葉を交わしたものだった。われらの呪いが通じたとみえ、寒さは収まった。それがどうだ。またしてもこのありさまだ」
 フン王バランベルすら嘆息した。
「来春は戦の年となろう。その準備をいまからしておけ」
 バランベルは、各氏族の長に命じた。
 翌三七五年、バランベルの予測どおり、春を迎えても大地は凍りついたままであった。草原には家畜の食べる草はなかった。いずれ家畜は死に絶え、次は自分たちの番である。
 フン族は岐路に立たされた。バランベルは逡巡しゅんじゅんしなかった。
(餓死するくらいなら、雄々しく戦死を択ぶ。われらは、そうやって生きてきた)
 バランベル率いるフン族は、西への移動を開始した。アラン族の土地の先にいかなる民がいるのかを知らず、ただ西を目指した。
 必然の結果として、フン族は、ドニエプル川下流域( 現ウクライナ) を領する異民族と衝突した。その名を東ゴート族( ゲルマン系) と言った。勇猛果敢な種族であるらしかった。
「勇猛か惰弱かは知らぬ。相手方が抗うならば、痛い目に遭わせるばかりだ。温柔おとなしく土地を差し出すならば、立ち去るぐらいは認めてやろう」
 バランベルはうそぶいた。
 ちょうどそのころ、バランベルは、東ゴート族の言葉を解する若者が、氏族の長ゴリークの配下にいることを聞いた。
「ゴリークの配下ならば、異言語を専門にする家系があったはずだ。名は何と言う」
「ジュアールと言います」
「それだ。その家系は、言語によってわが民に尽くしてきた。このところ、その噂を聞かぬのは、ジュアールとやらの親父が老いたからであろう。息子の出番がやって来たというわけだな。ゴリークに言って、ジュアールをわしのもとに来させよ。東ゴート族との交渉時に必要だ」
 四日後、その若者は、たった一騎で一触即発の空気が漂う草原を駆け抜け、バランベルの本営に乗り入れた。
「ご苦労だった。名はジュアールだったな」
「さようです」
「歳は幾つだ」
「二十八です」
「道々、敵勢を見かけたか」
「はい。二度、敵の偵察隊と遭遇し、慌てて隠れました」
「何人いた」
「七、八人でした」
「ううむ。肝を冷やしたろうな」
「はい。幸い気づかれずにすみましたが、危ういところでした」
 ジュアールはそう言いながらも、平然としていた。並々ならぬ胆力の持ち主のようである。
(この若いのは、修羅場を何度も潜り抜けてきたようだ。使えるとみた)
 バランベルは合格点をつけた。
「やつらの士気はどうだ。猛りに猛っているか」
「じつは、意外なことを耳にしました。敵兵が通りすぎるまでほんのわずかの時間でしたが、あんな無茶苦茶なやつらと戦っても勝てっことないとか、いまのうちにローマ帝国内へ逃げ込んだらどうかとか、大きな声で話し合っていました。敵兵は、戦に逃げ腰のようです」
「それはまことか」
「はい」
「それならそれで、戦端を開く前にしておくべきことがある」
 バランベルは、 てのひらで右膝をしたたかに打った。おのれを鼓舞するときの癖である。
「わたしもそう思います」
 ジュアールは応じた。単なる相槌ではなさそうである。バランベルは、ますますジュアールが気に入った。
「なんじは、儂の考えることが判るのだな」
「はい。敵をさらに恐怖させるべく噂の類いを散蒔ばらまくのが上策かと」
「よく言った。それだ」
 バランベルは、ジュアールの知恵にも感心し、ジュアールを身近におくことにした。通辞と使者の役割を与え、そのほか、秘密裏に参謀役も担わせた。秘密裏にというのは、統治上、ジュアールの知恵に頼ることを外部に知られるわけにはいかないからである。
 バランベルは、ジュアールに一隊を授けた。当人はすぐさま活動を開始し、二旬後、報告を上げた。
「境界付近で、あるいは夜陰に乗じて敵地に密かに入り込み、われらフン族がいかに残虐かを言いふらしました。( 馬車) でも舌には及びませぬ。噂は東ゴート族中に伝わってゆくでしょう。いまでは男女を問わず、だれの顔も引きっています。戦士たちはすっかり臆し、厭戦気分があたり一帯に満ちています」
「よくやった。さすれば、ここらでやつらを小競り合いに誘い、たたきのめそう。やつらの戦意を根こそぎにするのだ。ところで、もう少し詳しいことを初めから聞いておこうか。噂では、東ゴート族は手強いはずではなかったのか」
 ほふる相手がいかなる手合いかを知りたくても、断片的な事柄しか耳に入ってこない。じつのところ、バランベルは知見不足に苛立っていたのである。
「はい。 いにしえの時代、北方( スウェーデン南部ゴートランド地方)に居住したゴート族なるものの一部が、海(バルト海)を渡ってやって来たのが始まりと言われています」
 ジュアールは説く。
 船の大きさや構造などについては、何一つ伝わっていないが、とにもかくにも大陸に足を下ろしたゴート族は、徐々に南下して、ドニエプル川下流域に住むようになった。
 ゴート人は恵まれた体格をし、肌は白く金髪あるいは紅毛で、眼はあおい。定住の地を捜し求めながら、ひたすら戦い、つねに勝利してきた。武勇において最強と言われる民族であった。
 時の経過とともに民の数が増え、このため、ゴート族の半分は、ずっと西のカルパティア山脈の麓へ移住し、残る半分はとどまった。東西ゴート族と称されるようになって久しいが、両族は互いに関係を絶ち、東ゴート族が危機に陥ったからといって、西が救援に駆けつけることはない。その逆も然り。
 東ゴート族は(西暦一五〇年ごろ)、黒海の北岸および西岸一帯(現ルーマニア、現ブルガリア) を領し、以後、支配領域をどんどん広げていった。その結果として、東ゴート王は、支配の網を隅々にまで張り巡らすことが不可能となり、その統治はつねに不安定にさらされてきた。
現在いま、東ゴート王エルマナリクは、百歳を超えているらしいのです。幾人かに本当かどうかを執拗しつこく問ねたのですが、どうやら間違いないようです。それほどの高齢で、われらとの戦いの指揮を執るのは、無理というものです。無謀でもあります。戦士たちの士気が下がっているのは、そのあたりが絡んでいるのでしょう」
 ジュアールが概略を説き終わると、バランベルは、
「ふうむ。そうであったか。東ゴート族の王は勇猛と聞いていた。そんな高齢とは考えもしなかったぞ。百歳を超えるとは、この世のものとも思われぬな。なぜ若い者に位を譲らぬのだ。孫か曾孫ひまごはいないのか」
 と、至極真っ当な疑問を口にした。
 バランベル自身には正式な世継ぎはいない。フン族の民は戦と病と飢えのため、若くして死んでゆく者が多い。百歳を超える齢は、フン族には考えられない。何かしら薄気味の悪さがある。
「孫がいるか否かは分かりかねますが、東ゴート王は、ゴートのアレクサンドロス大王と呼ばれたこともあったようです。かつては勇猛であったのでしょう。その王が衰えたからには、仕掛けるべき好機かと思われます」
「うむ。確かに好機ではあるな。このたびもゴリークに先鋒を任せよう。ジュアール、儂の命令をゴリークに伝えよ。東ゴート族の一軍を狙い撃って、粉々にせよとな。家族も見すごすな。徹底的に懲らしめておけば、次に役立つ」
かしこまりました。早速にも発ちます」
「なんじも一隊を引き連れてゆけ。一騎で草原を駆けるのは匹夫の勇の類いだ。真の勇者とは言えぬぞ」
「はい。以後、慎みます」
 ジュアールは、かすかに笑みを漏らした。
 

 
 バランベルの命を受けると、ゴリーク率いるフン族の大部隊は、すぐさま黒海沿岸低地でドニエプル川(現ウクライナ領) を渡った。
 渡河後、アラン族を先頭に黒々とした巨大な塊となって押し出す。東ゴート族の一軍と遭遇したのは、六日後であった。
 その日は、くろい雲が重く垂れ下がり、不快な湿気がねっとりと地上に張りついて、あたかもこれから展開される地獄絵図を先取りするかのようである。
 が、かえって、それが戦士たちを戦闘へと駆り立てた。陰々滅々たるその地から早く逃れ出て、勝利のうま酒を喉にしたかったからである。
 フン族を迎えた相手方は、され圧されて西走してき、態勢を立て直そうとしばらく宿営していた有力な部隊であるらしかった。
 こちらの動きを常時、見張っていたのかして、騎馬の重装備兵が素早く戦闘隊形を取り、鯨波げいはを上げた。
 重々しい よろいで身を覆い、 長い槍を構えたところは、 アラン族の戦士によく似ている。
 勇壮のなかに美的なものを誇る風情があった。
(アラン族がゴート族を真似たのか、あるいはその逆か。戦に美はおよそ釣り合わぬが……。両族とも、おのれの戦闘の型を頑なに変えないところが、長所でもあり短所でもある)
 ジュアールは、両族の型にはまったときの恐るべき強さを知る。逆に、型にはまらぬときの信じられぬほどの脆さも。気の毒なほど機転が利かないのである。
「攻撃を開始せよ」
 ゴリークが命じた。攻め太鼓がたたき出されると、先鋒のアラン族騎士は一斉に馳駆した。
 東ゴート族騎兵も、負けじとばかり馬腹を蹴る。
 両軍先鋒は、一切の駆け引き抜きに真正面から激突した。
 凄まじい衝撃が四隣あたりを震わせ、敵味方の半数以上が落馬した。
 馬を捨てた両兵士とも、長剣を抜いて渡り合う。怒号と悲鳴と絶叫。大地はおびただしい血で染まった。
 落馬を免れた騎兵は敵騎兵を求め、長槍で渡り合い、両陣営とも、数多の騎兵が馬から大地に転がり落ちた。次いで、凄惨な地上戦が繰り広げられる。
 敵味方入り乱れての白兵戦は、暫時の後、決着をみた。
 騎兵同士の闘いを制したアラン族騎士が、馬上から加勢したからで、敵兵を次々に長槍の餌食とした。
 東ゴート軍の先鋒は総崩れとなり、アラン族騎兵がこれを追う展開となった。
 この推移に目を細めたゴリークが総攻撃を命じようとしたとき、椿事ちんじが起きた。
 東ゴート軍陣営から一騎が駆け寄り、敗走する味方兵をやり過ごしたあと、追ってくるアラン族騎兵の前に立ち塞がったのである。
 甲兜よろいかぶとを見れば、当該騎士もまたアラン族であるのは一目瞭然で、東ゴート軍騎兵の黒色のそれとは、色も作りも異なっている。青色であった。
 騎士の顔は、頬と顎ともおびただしい髭で覆われ、その面貌は判然としないが、東ゴート勢の一員として参戦したものらしい。
「あいつは、われらと同じアラン族ではないか。いったい何を考えているのだ」
「いままでの仲間が、おれたちに槍を向けるのか」
 だれもが口走った。
 フン族に負けたアラン族は、フン族の先鋒役を否応なく担わされる。それが嫌で逃げ出せば、東ゴート族に捕まって、これまた先鋒役を強いられる。当該騎士もその一人と見なせば、何が起きているかは、じつは考えるまでもなかった。
 生き残るためには、たとえ同族であろうと闘うしかない。事態を察知したアラン族騎兵は、かつての仲間を庇う気持ちを捨てた。五騎が頷き合うと、馬を駆った。当該騎士もただ一騎で応じる。
 両者がすれ違ったとき、五騎のうち二騎が落馬していた。
残る三騎が態勢を立て直そうとしたとき、相手方騎士は早くも次の攻撃を仕掛けていた。
 あまりの迅業はやわざに虚を突かれ、二騎がなすところなく大地にたたき落とされ、残る一騎は茫然として動きをとめる。
 相手方騎士が残る一騎を仕留めなかったのは、かつての仲間への憐憫のゆえか。勇者は馬を軽やかに後退させると、馬首を巡らせ悠々と自陣営へ引き揚げていった。
 東ゴート勢から大歓声が湧き起こった。
「ちっ。あの髭もじゃめ、得意満面であろうな」
 ゴリークは舌打ちした。傍らに控えるジュアールに顔を顰めてみせる。
「残念ながらこちらの位負けのようです。やつの勇気と技倆を褒めるべきでしょう。さりながら、明日はやつの動きを封じます」
「何ぞいい手立てはあるか」
「あります」
「されば、完全なる勝利は明日まで待つとしよう。本日も勝ったことは間違いないのだが……」
 ゴリークは、内心の悔しさを抑えるかのように語尾を呑み込んだ。ジュアールは、敵勢のなかに消えようとする勇者の姿を目で追った。
「あのような剛の者がいるとは、思いもしませんでした。やつらの躰は大きく、膂力も相当なものです。やつらがわれらの戦法に慣れてくると、いずれ厄介なことになりましょう」
「はっは。やつらにそれだけの頭があるかな。猪突猛進しか知らぬ連中だぞ」
 ゴリークは笑い飛ばした。
 翌早暁、敵は早くも仕掛けてきた。こちらはそのことのあるのを予期し、備えに抜かりはない。
「ジュアール、やつらは戦を忌んでいたのではなかったか」
 ゴリークの表情かおには余裕が見られる。
残燭ざんしょくほのおの明るさは、はかないものです。東ゴート軍もそんなところでしょう」
 ジュアールは答えた。すでに昨夕のうちに策戦を授けてある。
 この日の先鋒同士の戦闘では、アラン族がわざと負けた。
 東ゴート族騎兵が勝ちに乗じて、げるアラン族騎兵を追いかける。
 ひたすら逃げるアラン族騎兵は、フン族伏せ勢の前を一散に走り去った。そのすぐあとに、東ゴート族騎兵が飛び込んでくる。罠とも知らずに。 フン族伏せ勢はこれに雨霰と矢を浴びせ、たちまち形勢を逆転させた。
 太鼓の合図とともに、アラン族騎兵が引き返し、大混乱に陥った東ゴート族騎兵の群れのなかに突入する。
 東ゴート勢は脆くも崩れた。前日に引き続き、自陣営へ向けて逃走する。これを追うアラン族騎兵。
 ここで、またしても、昨日の勇者一騎がアラン族騎兵の追撃を堰きとめようとした。 されど、この日の展開は前日と同じではなかった。アラン族騎兵は、激流が川なかの小島に当たって二つの流れに分かれるように、昨日の騎士の手前で二つに分かれ、追走を続行した。
 当該騎士に向かったのは、フン族の小部隊であった。
 精鋭で鳴るフン族戦士は馬を駛らせながら騎射し、当該騎士が突っ込んでくると、さっと逃げ、新手が異なる方角から弓を射た。
 一方が追うと他方は逃げ、次の新手が矢を放つといった攻めを繰り返して、当該騎士に休む暇を与えなかった。ジュアールの授けた策に翻弄され、さしもの勇者も疲れ切って、退いていった。
 ところが、このとき、すでに東ゴート全軍は崩壊していた。緒戦、二戦とも先鋒が敗れたのを見て、中軍による決戦を待たずにずるずると退却していったのである。
「東ゴート族の厭戦気分というのがこれか。まさか、先鋒戦の敗北だけで遁げ出すとは思わなかった」
 ゴリークは転がり込んだ勝利を喜ぶよりも、敵軍の無様ぶざまな崩壊に驚き呆れている。
 ジュアールにとって、勝利を占めるまでの経過は想定どおりと言えた。が、次の展開となると、ジュアールの想定をはるかに超えていた。リンとゴットフリットの氏族を見舞ったあの惨劇が再現されたのである。
 フン族戦士は、逃げ遅れた東ゴート族騎士を一人残らず殺害した。鏖殺おうさつは女や子どもにも及んだ。
──フン族に逆らうと、 みなごろしに遭う。
 東ゴート族中にこれを伝えるには、裏づけとなる事実が要る。フン王バランベルの命令は貫徹された。
 東ゴート族の有力大部隊は、這々ほうほうていで落ちていった。ジュアールは、たった独りで東ゴート軍を代表したあの勇者の後ろ姿をそのなかに見た。
(いかに勇猛であろうと、独りでは何ほどのこともできない。ほどなく東ゴート族の領土はわれらに帰す。あの男は死に場所を求めているのか……。いつの日か、また会うこともあろう)
 ジュアールは、なぜか気になるアラン族の勇者を記憶にとどめた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?