見出し画像

(50日目)指示的から理解的コミュニケーションへ

今朝ロッカールームで、となりの同僚が作業ズボンを履きながらこんな風に声をかけてきた。

「チャックが締まりにくいんですよね ~」

振り返ると彼はズボンのチャックに四苦八苦しながら照れ笑いをしている。

多分長く着ている作業着なんだろうし、古くなっているのだろう。
瞬間的にそう思った僕は自然とこんな言葉を返した。

「買い替えればいいじゃん。」

そういわれた同僚は少しあいまいな笑顔(僕にはそう見えた)を浮かべて、そしてそのままロッカールームを去っていった。

***

産業カウンセラーの勉強をしている。
そんな中、教師陣から何度も言われていることが以下の言葉だ。

まず第一に人間尊重。それがないとカウンセリングは成り立たない。

カウンセリングとはヘルピングとも言い換えられると思う。

カウンセリングとは、カウンセラーがクライエントを助けるわけではない。(これはクライエント側にも大いに誤解がある)

カウンセラーの役目はあくまでクライエントの自己回復力と自助努力を引き出すこと、援助することなのだ。それでも解決できない場合に初めて介入して意見をする。

本来人は一人(もしくは自分の身の回りの人たちと協力して)問題を解決し、歩んでいかなければいけない。

だからカウンセラーにとって、指示的になりすぎてクライエントからの依存関係を強くするようなことは、最も避けねばならない行為だ。

話を戻す。

あのロッカールームで、同僚の彼に答えた僕の応答は、自分が思う解決を強要し、指示的であったといわざるを得ない。

人は文句を言うほど愛着がある、ということもある。
チャックは締まりにくいが、履き心地がよい、けど、たまたま隣になったし、ただ話のネタとして「締まりにくいチャック」を出しただけかもしれない。

そうなると「買い替えれば?」という言葉はあまりにも相手を置き去りにした、いわゆる、相手を尊重していない、そんな応答だということに気づく。

では、どういう応答だったらよかったか?

「ああ、古くなると締まりにくくなるよね~」

このくらいでよい気がする。

締まりにくい、という相手の意見を伝え返す。ただ同意して、相手の気持ちに寄り添えばいい。

日常会話がいかに指示的かつ解釈的か。

カウンセリングを学んだことで一番良かったなと思えるのはこういうことを気づける視点を持てた、ということかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?