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執り成しの祈りの大事さ

執り成しの祈りとは、誰かのためにその人の代わりに神に祈るということ。

私はクリスチャンになる前は、ほとんど祈ることすらしなかったです笑 

未だにクリスチャンのくせに毎日祈れていなかったり、祈る言葉がでてこないこともたくさんあります。だけど、神の祝福を知ったらどうしても、せめて身近な人も救われてほしいという願いが湧いてきました。(それでも毎日できていないという)

そんな中、今日、聖書勉強してはっと思い出し、気づきも得ることが出来ました。

「さて、道を歩いていた時のこと、イエスは生まれつきの盲人をごらんになりました。 そこで、弟子たちが尋ねました。「先生。どうしてこの人は、生まれつき目が見えないのですか。本人が罪を犯したからですか。それとも両親ですか。」 「いや、そのどちらでもありません。ただ神の力が現されるためです。」
‭‭ヨハネの福音書‬ ‭9:1-3‬ ‭JCB‬‬

この聖句、日本人の方にとっては衝撃かもしれませんね。仏教の影響を受けている日本では、自分が前世に悪いことをしたから、○○さんが不幸なのも○○さんが前世で悪いことしたからだと思う事が多いのではないでしょうか?

私もクリスチャンになる前は、背が低いことで、堂々とできずにいました。見知らぬ小学生にも、目の前に来て「勝った!」と勝ち誇り喜んでいる光景もよくあり、引け目を感じてたんですね。(今はこれも神様の栄光をあらわすためだったんだと思うと、堂々とできるようになりました笑)

でも、ここでイエス・キリストは

ただ神の力が現されるためと言ったのです。


そこで、この部分の箇所の注解書を読むと、こう書いてありました。人は生まれつき、霊的に死んでいるため(神様から的を外した行き方をしているので、神様の言葉を理解できないことを指す) 自分の力で神に立ち返る事が不可能であり、神が救おうと思われる者に働きをかけ、その心に光を与え、キリストを信じる信仰を与えてくださらなければ救われませんと。

なので、こうして神様はキリスト者を用いて、信仰に与るためにとりなしの祈りをさせているってことですね♪♪ ルカの福音書にも、イエス様が12弟子のペトロにもとりなしの祈りをしてくれているシーンがあります。

「シモン、シモン。いいですか。サタンがあなたがたを麦のように、ふるいにかけることを願い出ました。 しかし、安心しなさい。あなたの信仰がなくならないように、祈ってあげました。だから、悔い改めて立ち直った時には、仲間の者たちもしっかり立てるように、力づけてやりなさい。」
‭‭ルカの福音書‬ ‭22:31-32‬ ‭JCB‬‬

神が救おうと働きかけることを、選びとも言うそうです。神様は自分が選んだ者しか救わないの?っていうことに聞こえますが私は、神様の選びとは、神様が私やあなたを神様の元に向くことへの招きだと思っています。なぜなら、人は神様の道を歩むか歩まないかという自由を与えられているそうだからです。 人生での祝福ももちろん大事だけど、最大の祝福である永遠の命を頂くことが大事なので、私はこの道を選んでよかったと思ってます。なので、とりなしの祈りも凄く大切なことだと実感した今日このごろでした♡

次回、(覚えていたら)永遠の命について書きたいと思います(*’ー’*)

福音 ルカ



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