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終戦記念日に想うこと

今日は太平洋戦争終結から76年目です。
やはり、日本人としては投稿しておこうと思い書くことにしました。
正確には終戦ではなく、天皇が敗戦を国民に向けて宣言した日です。
実際の戦争終結日は異なるということはあまり知られていないようです。
詳しくはリンクした記事を読んでいただけると分かります。

ちなみに私も知りませんでした。
学校で習いませんし、社会人になってから戦争や先の大戦について思考することもないので、当然と言えば当然ですね。
ただ、思うにやはり戦争についての教育はしっかりと義務教育の中でしたほうが良いと思っています。
戦争はしないほうが良いことは分かっているのに、どうしてその選択肢を取るに至ったのか、どうしてあれだけの損失を被るまでやめられなかったのかということについて、特に学ぶべきだと思いますし、学びたいと思います。

特に国家と国家の戦争手段において一方だけが絶対悪なんてことはあり得ませんから、やはりその要因と回避不可能に至ったところから学ぶことが大切だと思うのです。

私の母方親族では男子全員戦死しています。
一人は乃木大将宅の近くで育ったのもあり、軍国少年として赤紙を待たずに自ら志願して海軍に入り、ミッドウェー海戦から生還し横須賀に停泊し修理を待つ状態の船に爆撃を受けて亡くなりました。
もう二人は陸軍で南方の島で戦死したそうです。
戦死した通知と共に届いた遺骨箱を開けてみると入っていたのは、出征する際に残していた髪の毛と石ころだけだったそうです。

海軍に所属していた方は、敗戦する2年ほど前からこの戦争には負けると言っていたそうです。
冷静に判断すれば日本の生産力、資源力、工業力を考えればその彼我の差は子供でもわかるぐらい歴然だったわけです。
なので初戦の電撃的勝利をしている間に、落とし所を見つけておければよかつたのでしょうが、相手である米国がそれを受け入れることはなかったでしょうからifは難しかったと思います。
検証した史実からは、もう少しマシな時期に敗戦することはできたようですが、歴史の悪戯で気を逸していたというのは有名な話です。

今は大規模な国家間の全面戦争というのは起きづらくなって久しいですが、歴史と現在の国際情勢を見てもその火種はたくさんありますし、それに近いことに持ち込まれかねない状況というのはあるのが辛いところです。

国家元首ではなく象徴となられていますが、天皇陛下は先の大戦での反省を踏まえ、不戦を唱えておられますが政治家と時代の空気は戦争もじさないし、なし崩し的に参戦できるように解釈変更を繰り返しているのは困ったものです。
防衛力を持つことや同盟国との協調などは現実的に理解するところですが、超えてはいけない一線を超えても仕方がないのだ、それは危険な隣国があるからだというのは、先の大戦へ向かった時とあまり変わらない考えです。

徴兵制復活や軍備増強、核戦力保持、先制攻撃といった威勢の良いことを言ってる政治家たちがいますが、こういう人たちはいつも前線には立たないことを思い出す必要があります。
そして、核戦力はともかく通常戦力をいかに増強しようとも、人的資源、物質的資源共に、仮想敵国として考えている大陸の大国には残念ながら及びません。
国民を全員戦闘員にしたとしてもです。
語るならそんなあり得ないことではなく、目の前の戦力と戦線維持のための話をして欲しいものです。
自衛隊は備蓄弾薬などが少なく、長期間戦い続けることもできません。
その背景には武器弾薬の保管場所が地元の反対で十分に確保できていなかったり、兵站を考えた時に妥当な各地点に確保できていないのです。
私なら威勢の良い話より、こういった現実的な問題解決のための話をして実問題の解決を図ります。
そちらのほうがよほど国のためになりますし、現実的な防衛力と敵国に対する抑止効果があると考えます。

核戦力についても高いコストを払って自前で日本が持つ必要はありません。
そのための日米同盟であり、安全保障条約です。
米国や同盟諸国の核の傘の下にすでに入ってるのですから、必要性が理解できません。
日本のためかどうかではなく、地政学的に同盟国が日本を守ることは間違いことだからです。

国防のために戦うことは必要だと考えていますからそのための能力を保持することには賛成ですが、戦争という手段については否定派です。
その選択肢を回避するのが政治の仕事であり、外交の仕事だからです。
先の大戦で亡くなった日本人だけではなく、巻き込まれたあらゆる国の人々のために黙祷を捧げたいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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