鏡越しの男【禍話リライト】

鏡にまつわる話である。

昭和のころの、ことだという。

「お化けの話なのかヒトコワなのかわからないんだけど、ただ、禍々しい話ではあるから……」

Wさんはそう前置きをして話し始めた。

ある特定の区域に住んでいる、一定以上の年齢の人しか知らないことなのだが、その地区は高齢化が進んでいて、住人も若い人が出ていってしまった。
もしかすると、自分がこの話を知る最後の一人になるかもしれない。
それは何となく嫌だから、この話を電波の海に放流してほしい……Wさんはそう言う。

Wさんが住む住宅地の通称「5区」に、一人暮らしの男性がいた。
その人をYさんとしよう。
Yさんがその家に越してきた当初は結婚していて、子供もいたのだが、当人の浮気か何かが原因で、やがて奥さんと娘さんが出ていった。
そして以後、一人で暮らすようになったのだという。
周りの人たちは、浮気相手とくっつくのかねえ……などと言っていたが、Yさんの浮気相手は人のものを奪うことが好きなタイプの人だったようで、別れてしまった男には興味を持たず、Yさんは捨てられるようなかたちで別れたのだそうだ。

Yさんは、もともと隣近所との交流をしない人ではあった。
しかし一人で暮らし始めるようになってからというもの、どんどん引きこもりがちになってしまい、近隣のスーパーに買い物に行くか、あるいは回覧板を届けに行く時くらいしか、近所の人々との接点がなくなってしまったそうだ。

Wさん一家は、そのYさんの隣の家に住んでいた。
Wさんのお父さんが、一人暮らしのYさんの家に回覧板を届けに行ったときのこと。
呼び鈴を押すと、Yさんが顔を出した。

「はーい」
「これ、回覧板」

そう言いながら回覧板を渡すときに、ふと屋内を見ると、玄関の靴箱の上のスペースに、手鏡のようなものが置いてあるのが目に入った。
ちゃんと蓋がついている、高価そうなものだったという。

へえ……鏡なんか置いてるんだな。

最初は漠然とそう思ったが、すぐにおや、と首を傾げた。
というのも、このYさんの家は、玄関から入って正面のところに、姿見が壁にかけられていたからだ。
あれは捨てちゃったのかなと思い正面に向き直ると、姿見は相変わらず壁にかかっている。

姿見あるのに、何でここに手鏡があるんだろうな?

少し気にはなったが、お父さんはYさんに訳を聞くことはせず、家に帰ったのだそうだ。


もっとも、引っかかることは引っかかる話だったので、帰ってからすぐに奥さんにこの話をしたのだという。

「隣の家さ、手鏡が玄関に置いてあったよ」
「でも、あそこ姿見がなかった?玄関に」
「そうそう、あるんだよ。それにさ、あれ、明らかに女性用の手鏡だと思うんだよな。お金持ちの娘さんが持っていそうな……」
「そうなの」
「なんでそんなの持ってるのかな?」
「ひょっとしたら娘さんと会う機会が近々あって、あげようとしてるんじゃないの?」
「んー、だとしても、玄関に無造作に置くかねぇ?」

しばらくして、また回覧板が回ってきて、Wさんのお父さんはYさんの家に向かった。

「これ、回覧板です」
「はーい」

回覧板の受け渡しのときに、靴箱の上に目をやると、蓋を取ったかたちで手鏡が置いてある。

あれ?なんで蓋が外れてるんだ?使ったのか?

そう思ったが、その時も回覧板を渡して帰るだけで、Yさん自身には何も聞かなかった。


一週間くらい後のこと。
たまたま、セールスマンをやっている知り合いと、お父さんは街でばったり出会したのだという。
久しぶり、最近どうしているという話から、コーヒーでもということになり、喫茶店に入ると、知り合いはこんなことを言い出した。

「最近さ、セールスでお前の住んでる地区を回ったよ。5区の赤い屋根の家だろ?」
「へえ、そうなの。うちには来なかったの?」
「行ったけど平日の昼間だったからね。奥さんもいなかった」
「なんだよ、俺がいたら俺が出て、屁理屈こねてあれこれ言って足止めしてやったのに」
「お前がいるとき行かなくてよかったよ」

そんなことを言い合って笑い合う。
すると知り合いが、続けてこんなことを言い出した。

「あのさ、お前んちの隣の家、男の一人暮らしだよな?」
「ああ、Yさん?そうだよ」
「あれ、奥さんに逃げられた……とかじゃないのか?」
「よくわかるな。あの家、奥さんと娘さんに逃げられて、今一人なんだよ」
「……やっぱり。だからちょっとおかしいのかな……?」
「なんだよ?」
「そんときさ、隣の家に行ってピンポン押したら出てくれて、長々とセールストークを聞いてくれたのよ。はい、とか一応口では言ってるけど、買ってくれないだろうなって雰囲気は感じていたわけ。で、そのうちその男の人が靴箱の上においてある手鏡を手に取って、鏡越しに俺と会話始めたの」
「は?手鏡の中にお前映して、それと喋ってたのか?」
「そうそう。それがさぁ、手鏡取る前は『はい、はい』とか、気の抜けたぼーっとした感じの返事しか返してくれなかったのに、手鏡を手に取った後は、『それはいりませんね』とか『お話は分かりますが今の我が家の現状では不要ですね』とか、ずいぶんきびきびとした受け答えをしてくれたんだよ」
「おお……そうなんだ」
「なんで手鏡越しになるとちゃんと会話できるんだよって、ゾッとしてさ。適当に話切り上げて、さっさと帰ったんだよ」
「Yさん、そんなんなってんだ……」

「ま、何があるとかじゃないけど、一応隣には気をつけとけよ」と言い残して、知り合いは席を立った。


その日の夜。
家族にもその話をした。
当時高校生だったWさんも、その話を聞いて、「ずいぶん気持ち悪いな」と思ったのだそうだ。
話が終わったとき、Wさんはお父さんにこう言った。

「あのさ、俺が今度から回覧板もってくよ。Yさんがおかしくなって、オヤジやオフクロが急に襲われても困るから」

Wさんは格闘技経験者だったので、隣家のYさんが暴れてもすぐに取り押さえる自信があった。
ご両親も、それは助かるよ、と言っていたのだそうだ。
そして、回覧板を持っていくタイミングは、すぐに訪れたのだった。

数日後。
Wさんは隣家に回覧板を持って行った。
その時、久々にまじまじと隣家の様子を間近で観察したのだという。

隣家は、荒れ果てていた。
庭も草が生い茂っているし、窓も汚れている。

どんどん廃屋に近づいているとは言わないまでも、嫌な感じだよなぁ。

そう思いつつ、呼び鈴を押す。

「回覧板です」

そう言いながらドアを開け、玄関に入ると、確かに靴箱の上に手鏡がある。

ああ、これが例の……と思っていると、奥から家の主人であるYさんが「はーい」と言いながら出てきた。
Yさんは眼鏡をかけていたのだが、その眼鏡も指紋がべたべたになって汚れている。
全体に白く汚れていて、Wさんは「これ、前見えてんのかね」と思っていたのだそうだ。

Wさんは回覧板を手渡して、そのまますぐに帰るつもりだった。
しかし、若さゆえか、抑えきれぬ好奇心のゆえか、帰り際にまたふと、手鏡を見たのだそうだ。
Wさんとしては何気ないそぶりで手鏡をチラリとみたつもりだったのだが、まるで凝視したかのようなかたちになってしまったらしい。

すると。

Yさんが突然、口を開いた。

「気になる?」
「え?」

Wさんは突然の問いかけに戸惑った。
しかしYさんはややゆったり目の、感情が読めない口調で続ける。

「その手鏡」
「あ、はい」

嘘はつけないと悟り、正直に答える。

「これ、なんですか?」
「これ、高かったんだよね」
「ああ、まあ、まあ、高そうな手鏡ですよね」

質問の答えにはなっていないが、話を合わせる。
Yさんは話し続ける。

「俺ねえ、一人暮らしになってから精神的にやばくなってね。心のよすがってのがなくて、どうしようかって思ってたら、妹がこれ買えって勧めてくれたの」
「妹さんが」
「そう、妹が宗教に入ってて勧めてくれたの。これ買ったら違うよ?」
「はぁ……違ったんですか」
「色々と見極められるようになったんだよ。こう持つとね……」

そう言って手鏡を手に取って、手鏡越しにWさんと話し始める。
その瞬間から、明らかにスイッチが入ったように、口調がきびきび、はきはきとし始めた。

「これで会社でもバカにされなくなって」

そんなことを言うので、まさか会社に手鏡を持ってってないよな……とWさんは思ったのだそうだ。

「本当にいいよ」
「いいんですね」
「隣近所にも勧めたいけど、誰にでも幸せを分かち合えばいいってもんじゃないらしいから、ごめんね」
「いえいえ、いいんですよ。そう言うのは先に見つけた人ものっていうか……それでは、失礼します」

Wさんはそこで話を切り上げて、家に帰った。


家に帰るなり、Wさんは両親にこのことを話した。

「えー、何それ、宗教なの?」
「そうらしいよ」

お母さんにWさんがそう答えると、お父さんが首を捻っている。

「あれ?妹って言ってた?」
「そうだよ、妹が宗教に入ってて勧めてくれたって」
「Yさん、妹なんていたかな……?前に町内会の集まりで聞いたときは、一人っ子だって言ってたけどな」
「ええ……でも、そんな嘘言っているように見えなかったけど」
「うん、間違いなく一人っ子だって言ってたよ」

すると今度はお母さんが、Wさんに尋ねてくる。

「あと、『会社でもバカにされない』って言ってた?」
「言ってたよ。だから俺、思ったんだ。この人会社に手鏡持ってってるのかなって」
「うーん……あの人ずっと家にいて、会社なんか行ってないよ」
「気持ち悪い!何だそれ……」

話し合いの結果、Yさんにはあんまりかかわらないようにしよう……ということになった。
もともと関係性は薄かったし、回覧板も別に家に持ち込む必要はない。
だからそれ以降、回覧板は外に置いておくようにしたのだそうだ。


半年ほどして。
Yさんは、家の中で自殺してしまった。


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「精神的におかしくなっちゃったんですね……かわいそうな話ですね」

話を聞き終わって、私はWさんにそう言った。
するとWさんは少し頷いて、話しを続ける。

「まあまあ、そうですよね。でも、一つ気持ち悪いことがあって」
「今までも十分気持ち悪かったですけど、なんです?」
「Yさん、刃物でちょっとこう首を切るような感じで亡くなったんですけど……結構壮絶な死に方をしてまして」
「それは想像するだに壮絶ですね……」
「でね、Yさん右利きなのに左手に刃物を持っていたらしいんですよ」
「え……」
「それ聞いてゾッとして。禍々しい話だったので誰かに聞いてほしくて。ありがとうございました」

Wさんはそう言って、深々と頭を下げた。

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この記事は、「猟奇ユニットFEAR飯による禍々しい話を語るツイキャス」、「ザ・禍話 第2夜」の怪談をリライトしたものです。原作は以下のリンク先をご参照ください。

ザ・禍話 第2夜
https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/600889557
(13:50頃〜)

※本記事に関して、本リライトの著者は一切の二次創作著作者としての著作権を放棄します。従いましていかなる形態での三次利用の際も、当リライトの著者への連絡や記事へのリンクなどは必要ありません。この記事中の怪談の著作権の一切はツイキャス「禍話」ならびに語り手の「かぁなっき」様に帰属しておりますので、使用にあたっては必ず「禍話簡易まとめwiki」等でルールをご確認ください。

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