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自分の発言は、一般的な正解論にとらわれてないかを疑う



『対話』と『会話』


この違いを最近学んだ。


それまでは、
そこまで気にも留めず
同じようなものだろうくらいに流していたのだけど、


コミュニケーション心理学を学んだからこそ
向き合ってみた。


会話】→価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり

対話】→あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるその擦り合わせなど。


なるほど。と思った。



その上でワタシが思ったのは、
会話】を求めている人が多いという事実。
(ワタシも含めて) 


その理由として、

・共通点があると相手に好意を抱きやすいという人間心理

それから、
・【対話】をする機会が日本の教育上少ない


と言うことが言える。


最近は少しずつそんな教育も増えてきているのかもしれないが、


【みんなと同じように】という教育を受けてきている私たちは


【違う意見の人と、擦り合わせる】


という経験が圧倒的に少ない。


自分が発したことと、違う意見を言われたときに、

【そんな風に思うのか】と受け止められればいいが

【自分を否定された、自分は間違いなのか】と受け取ってしまうと、対話にはつながらないのだ。


共感を居心地よく感じるため、会話を求めてはいるが

現実は、みんな違った思考をしている。
価値観がすべて同じ人間なんて存在しないのだ。

だから、コミュニケーションをしても
表面的に合わせてしまっていたり、
諦めて流す、ということをすることになるんだろうけど。



正解論的教育を受けている日本人は、
違う意見を言われた場合に、
自分を正解にしたくて、
相手に攻撃を始めてしまう傾向がある。


誰でも自分が可愛いから当たり前のこと。


そうやって関係が悪くなることを予想して
なんとなく相手に合わせてのコミュニケーションが当たり前と言われたりするのかもしれない。



その結果、
本心を隠し、合わせて、
小さなストレスが溜まり、他で愚痴を言う。
ということが起こる。

そのうちに
自分がどう思うのか。
何がしたいのか。
もわからなくなっている人もいる。

わたしはここが
納得がいかなかった。



こうやって思考を巡らせた結果まとめると、


人はみんな育った環境や経験、性質や状況など
違って当たり前なのだから、

一般的な正解論だけではなく、柔軟な思考で
相手と向き合い【対話】する。


ということを
もっともっと重ねていくと、
良い関係が築けるんだろうなってこと。


ワタシ自身まだ、あとから意識して気がつく段階。


【わたしの意見】ではなくて

【正解論的思考】や【なんとなく合わせていた意見】を発言していることも多い。


習慣にして、自然と対話ができるようになりたいなぁ。

そんな風に思う。


そして、対話ができるような環境になるべく身を置きたいなと思う。


最後まで読んで頂きありがとうございます!
ではまた!


#会話 #対話#コミュニケーション#正解
#相手と向き合う









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