books_2024/04/13.txt

5ヶ月、友達の本を借りっぱなしだった。

桜も咲かぬ頃に借りて、もう今なんか桜ばっかり咲いている。季節の移ろいに狼狽えながらも、僕はなんとなく返す気になれなかった。

極論、返すタイミングを失ったのだ。

だって、詮索されないんだもの。友達…いや、■■に。詮索しない方も、しないほうだと思いません?とか、もう2周目に突入してしまった借りた本を読むふりなんかしちゃって、ベッドに体を許していた。もう、外は茜色をしている。起きたのが確か18時7分で、ちょうど今日で借りっぱ期間5ヶ月を記念すると気づいたのが、18時41分だった。目の前に時計があるとこうも細かく時間がわかるのかと、おニューの気付きに僕は少し得意げだった。

ふふんっと乾いた笑い声は、褪せた天井しか知らない。

■■は今、土曜日のびっくりドンキーで、ホールのバイトをしている。



飽きた。一応、借りている立場なのでやさしくベッドに本を置く。だって2周目、当然だ。牡蠣の図鑑なんて、周回プレイに向いているわけないじゃないか。いや、これは完全僕の主観なのだけど。というかまずまず、なんで牡蠣の図鑑なんて借りたんだろう。過去の自分が憎たらしい。なんで憎たらしいって?そんなの、5ヶ月借りっぱだった罪悪感がやっと襲ってきたからに決まっているじゃないか。

ため息1つ、空を切る。

とりあえず、■■に借りていた本をベッドの上に集める。

「一世風靡!牡蠣の図鑑」

「明日、もっと自分にやさしくなれる。わんにゃんポエム〜ポメラニアンを添えて〜」

「改訂版国語辞典」

「ウーパールーパーのちいさな冒険譚4」

なぜかキッチンにあった「改訂版国語辞典」も、コーヒー片手に集めてきた。窓を見ると更に茜色は濃くなっていて、雲さえも赤い。細かい時間は、時計を見ていないからわからないが、おそらくもう夜が忍び寄っていた。黄昏時ってやつかな。でも、黄昏時って実際どんな意味なんだっけ?と、手元の本を開こうとしたとき、なぜ自分が「改訂版国語辞典」をキッチンなんかに置いたのか、理由がわかった。調べたところ、日没直後あたりを指すらしい。知識が積み重なった音がした。

ぱふん。

きっと今、外に出たら夜の香りがするだろう。なんだか時間の濁流に飲まれている気がして、急いで雨戸を閉める。開きっぱの本も、閉める。閉じていく、これが、夜になるってことなのか。なんて思い更けていた。

だらしない体でなんの飾り気もないコーヒーを飲む。1つ、喉を鳴らせば、あとに続いて次のコーヒーも喉を通っていく。ベッドの上に、乱れて置かれる4冊の本。
僕よりくつろがないでください!なんて、僕も急いでベッドに飛び込む。途端、数ミリ浮く本たち。なんだかそれがおかしくって何度も何度も繰り返した。部屋が埃っぽくなるまで、何度も。汗をかきそうなことに気づき、やめたが、その時にはもうコーヒーなんて冷めに冷めきっていた。

そんなこともつゆ知らず、■■のバイトは続く。今頃店は大繁盛だろう。なんて他人事してしまったが、いいのだ。友達だが物質的には他人だもの。



まるで泥水だ。うん。泥水だ。
現在時刻はさっきより過去。体の熱が奪われ始める。まぁそれは、僕が冷や汗をかいているからかもしれないが。

本に。■■から借りた本に。「改訂版国語辞典」に。

コーヒーをこぼした。 インスタントなコーヒーを。こぼして、こぼした。  

「改訂版国語辞典」に。

アンバランスなところにコーヒーを預けてしまったことは、反省に値する。当然、僕が100悪い。(というかまずまずベッドでぴょんぴょんしなければよかったのだ。)端から端まで僕のせいだった。不味くなったコーヒーよ、何をそんなに本を染みさせる必要があるのだ。止まらぬコーヒー軍は、領地を広げ、いつしか見開き全て征服していた。コーヒー将軍は旗を上げ、「改訂版国語辞典」の首を取った。どこかからか歓声も聞こえる。なんと華々しいラストだ。コーヒー軍の勝利だ。コーヒー軍の勝利だった。
僕はうなだれた。こんなオチ、認めない。僕は、僕の人生というドラマのファンだったのだ。こんなオチ認めない、なんて拗ねてしまうのは当然のことだった。頑張って追ってたのに、これってないよ!手足をばたつかせた。乾いた音がする。天井は、そんな姿の僕も知っていた。嗚呼、ここからはスピード勝負だった。発狂ついでに、新しくコーヒーを錬成する。そして、そして、全ての本にそれをかけた。
?あぁ、かけたさ。かけにかけたさ。刮目せよ、本の成り行き、目ざましい!ごくごく飲み込んでいく本たち。「一世風靡!牡蠣の図鑑」も「明日、もっと自分にやさしくなれる。わんにゃんポエム〜ポメラニアンを添えて〜」も「改訂版国語辞典」も「ウーパールーパーのちいさな冒険譚4」、ついでに一口僕ももらった。驚いているのかい?無理もない。悪いけど、僕は誰よりも衝動的だ。

まぁ。

まぁ、発狂していたんだと思う。

だからって、どうしようもないのだけれど。

もう一度言う、僕は、■■に借りていた一冊の本にコーヒーをこぼしてしまって、んで、ついでに全ての本にコーヒーをぶちまけた。

発狂していたんだと思う。

だからって、どうしようもないし。

もう一度言う、僕は、■■に借りていた一冊の本にコーヒーをこぼしてしまって、んで、ついでに全ての本にコーヒーをぶちまけた。

発狂していた。

だからって、どうしようもない。

もう一度言う、僕は、■■に借りていた一冊の本にコーヒーをこぼしてしまって、んで、ついでに全ての本にコーヒーをぶちまけた。

はぁ、発狂していたんだと思う。

だからって、どうしようもないのだけれど。もう一度言う気には、もうなれなかった。

■■、今頃どうしてるかな?なんて、興味が湧くほど今は冷静じゃなかった。



その3日後、僕はコーヒーくさくなった本を、■■に返すはめになった。なぜって、メールがきてしまったのだ。

「すまん忘れてましたわ」

こんなことした僕に、一言でも謝るなんて。■■は可哀想だった。

扉を開ける、閉める、鍵を掛ける、振り返る。

外界の情報量に、暫し混乱する。だって、照る太陽、どっかから湧いた虫たち、桜、桜。春の押し付けがひどくて、脳がパンクする。引きこもりの特権なのかなんなのか、わかりはしないけど、まぁ外の世界ってこんなにも全てに溢れているのかと感心した。厚手のパーカーが僕を嘲笑った。つられて僕も笑う。窓からのぞく桜よりも、今見ている桜のほうが春いっぱいで、僕は得意げだった。いいかい?直接見る桜のほうが綺麗なんだって。あぁ、このおニューの気づき、誰に言おう?■■に言おう!

?なんで■■なんだっけ?

そう思ったが最後、腕ごと石のように重くなる。右からコーヒーのにおいがして止まらない。

僕のため息は、春の風に乗って、どこに届くだろう。絶対、絶対今幸せだって喜んでいる奴のところがいいと思った。幸せな奴は、きっと宇宙一機嫌がいい、そしたら僕を、この惨めな僕を、救ってくれるかもしれない。だって機嫌がいいから。

今近くで幸せな奴って誰なんだろう?そう思うとまた罪悪感がして、喉が乾いた。きっと■■だ。だってもうすぐ、5ヶ月ぶりに貸した本が返ってくるのだから。

言い訳はしない、そんなことを考えながら、僕はとめどなく溢れて散った春の一片。が、紙袋に入っていくのを見つめていた。いずれこの春の一片も、コーヒーにまみれていくだろう。








本をいれるための袋は、とらやの紙袋を使用した。これは、僕最大の悪あがきだ。

入っているのは、どら焼きでもなんでもなくて、泣けるほどコーヒーくさい本4冊なのだけれど。


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