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「都屋書林 」 - Short Story -

「材木屋の養子である伝兵衛は女房に隠れて妾を囲うておったが、それがバレていまや離縁の瀬戸際じゃ。女房に離縁されそうじゃというのだから情けない。女房の肩腰を毎日もんでおったそうじゃが、その後どうなったか、これに書いてある、一枚六文じゃ、買わねば読めぬぞ、テケテントントン。
みちのくの某藩は主の奇行が表ざたになって家中は大騒ぎじゃ。数日前には何の落ち度もない腰元を斬り捨てたという。若いが優れた主という噂はウソであったそうな。ご公儀は静観しておるが、国許では主を替えねばお家がもたぬという声が多いという。このままいけば改易にもなりかねぬ。詳しくはここに書いてある、一枚六文じゃ、買わねばわからぬぞ、テケテケトントントン」

 瓦版屋朝日堂の瓦版の書き手である吾助が太鼓をたたき口上を叫びながら歩いている。
高さ三尺にもなる瓦版の束を背負った売り子が後ろに続いている。
吾助は口も達者で持って出た瓦版は必ず売り切って帰ってくる。
そして吾助の書く瓦版はよく売れる。
なぜ売れるのか、吾助は瓦版の書き方が巧みなのだ。
「それでいいと思うか」「疑いを感じぬか」「いま一度考えてほしい」と読者を記事に同調させて吾助の意図するところに誘っていく。
読者は気づかぬうちに吾助の言葉の罠に嵌(はま)り、吾助と一体になって喜んだり恨んだり悲しんだりするのだ。

味付けが足らぬときは、でっち上げもやるし嘘も平気で書く。
いわば情報を売る姿勢を見せながら、実態はおのれの願望と妄想を書いているだけの戯作者なのだが、そこを瓦版の二文字で誤魔化している。
その気にさせられて奉行所に逆らい遠島になった者も複数いる。
そのときも「そうだとは書いていない」と逃げてあとは素知らぬ顔だ。
でっち上げがバレても絶対に認めないし謝りもしない。

 幕府は瓦版を基本的には許していないが、幕政批判でなければ取り締まることはない。
吾助もそこのところは心得ており、幕政への提灯記事も書くし、役人の不正を知ったときは脅しもやるし利権も要求する。
吾助も朝日堂も反権力のように見せているが、実態は権力におもねる走狗であり、もっといえばおのれたち自身が権力の一つでもある。

「わしらには吾助や朝日堂の真似は出来ん」
と言ったのは同業の正直屋だ。
こっちは記事が真面目で書き手も正直で事実しか書かない。
読ませる工夫が無く面白くもないのでモノ好きしか買わない。
朝日堂はいまや蔵もある川筋一の大店になり、瓦版屋の集まりでも常に床の間に座っている。
ひるがえって正直屋は蕎麦屋の離れを借りているような有様で集まりではいつも下座だ。

 下町の一角に都屋書林という古本屋がある。
旅日記から草紙に各種古本に武道、漢書まで何でも扱っている。
訪れる客も千差万別で近所の子どもから町人、大名家の侍まで来る。
店主は五十六歳になる勘助という男だ。
使用人は三日前に雇った二十一歳の平太郎一人。
前の使用人は父親が亡くなって国に帰り、相模の古本屋で修行していた平太郎を組合が紹介してくれた。

 勘助が平太郎に言った。
「お侍が来るのは歓迎だが、あの二本差しが邪魔でな、相模の店と違ってうちは侍が多いから気をつけてな」
平太郎が応えた。
「はい気をつけます。でもお侍から二本差しを取るとハサミの無い蟹と同じでサマになりませんよね」
「カニ侍か、ガハハ~、お前おもしろいこと言うな」
二人は大笑いしている。
朝早くで客はいないと思っていたが、いつの間にかその侍が店先に立っていた。
若いが身なりはいい。
二人と侍の目が合った。
二人はまずそうに「おはようございます」と言いながら頭を下げた。
「ああ、邪魔する、二本差しのままでよいか」
(皮肉か・・・聞こえていた)
勘助が答えた。
「よろしゅうございます。どうぞそのままでお入りください」
勘助は初めて見る侍だ。
「ではご免」
江戸には全国から色々な侍が集まってくる。
熊か猪かというような侍もいれば洒落た侍もいる。
この侍はあとのほうだ。
「どうぞごゆっくり」
そっと見ると二本差しを立て気味にして物に当たらないように気を遣いながら静かに書棚を見ている。
(気をつこうてくれておる)
勘助は帳場で古本の整理を始め、平太郎は表で掃除をしている。
ゆっくりと見て回った侍は二冊を手にして勘助の前に出した。
山陰道の案内書と廻船の本だ。
「これをいただく」
続けて言った。
「京から伯耆までの道中全体が俯瞰できるようなものはないか、地図もあればほしい、それと廻船問屋に関する本も」
「お急ぎでございますか」
「時間はあるとは思うが、出来れば早い方がよい。廻船を使った商いの仕組みや諸国の港の事情などがわかれば助かる」
「今日明日かけて明後日なら揃いますが、それでよろしゅうございますか」
「それでよい」
「お越しになりますか、それともお屋敷に」
「持ってきてくれると助かる。運び賃も本の代金もその場でお支払いいたす」
かなりの本読みらしい。
「承知いたしました」
「家中の者からここなら安心じゃと聞いてきたのじゃが、良かった。不勉強で日頃は中々こういうところに縁がないもんでの」
勘助は筆を手にして尋ねた。
「失礼ですが、お名前は」
「熊谷義明と申す」
「どちらのお屋敷にございましょう」
都屋によく来る東北の藩の藩士だった。
「失礼ながらお言葉に訛りがなかったものですから気づきませんで」
「拙者、江戸生まれの江戸育ちじゃ。国許には三年に一度顔を出して挨拶をしているが、いまもあの辺りの言葉は分からん。国許から来る者とも中々通じず南蛮人と向き合っているような気分になるときがある」
と言いながら侍は笑った。
店を出ると平太郎に「邪魔したな」と声をかけて帰った。
「感じのええお侍じゃ、あそこの侍はみな出来がええ。藩公様が評判がいいのもわかるわい」

そこへ誰か入ってきた。
何も言わず黙ってズンズン入ってくる。
無礼な男、瓦版屋の吾助だ。
勘助は吾助が嫌いで知らん顔をしている。
吾助はそんなことは気にもしない。
「今帰っていったのは熊谷義明だよな」
吾助は勝手にしゃべる。
「あ奴の藩公には弟がおることは知っておろう。その弟との間でお家騒動が起きそうなのじゃ、それを公儀もうすうす知っておる。万が一のときは改易じゃ」
勘助はおどろいたが顔には出さない。
吾助は針に餌をつけて勘助の前にたらし、釣り糸をひょいひょいと引いている。
(こっちが引っかかるのを待っておる、そうはいくか。しかしお家騒動があるとは)
「お家騒動なんぞ関係ない、わしゃ出かけねばならぬ、もう帰れ」
「じゃまあ帰るがの、熊谷には気をつけることじゃ。お前も下手すれば江戸にはおられんようになるぞ」
(お前だとォ、何様のつもりだ、この蝮め)
吾助はさっさと出ていき、熊谷のあとをつけていった。
「あれは誰ですか」
「朝日堂の吾助という書き手じゃ。小賢しくて卑劣な奴じゃが瓦版を書かせたら右に出る者はおらんぐらい上手い。人をその思うほうに流すのが実に上手い。これだけは認めざるを得ん」
「朝日堂は大きいのでしょ」
「ああ、吾助のおかげよ。その代わり朝日堂の瓦版はもめることが多い。嘘は書くし、騙すし、でっち上げもよくやりよる、バレても謝りもせん、あそこに泣かされておる者は数え切れん」
「朝日堂の悪評は相模にも聞こえています」
「そうか、しかし熊谷殿のお家が騒動とはの、熊谷様の本を集めがてら騒動のことも調べてくる。あとは頼むぞ」
「承知いたしました、お気をつけて」
勘助が店を出て振り返ると平太郎は頭に鉢巻きを巻いて腕をグルグルと廻していた。
「はは、面白い男じゃ平太郎は」

勘助が大風呂敷に本をまとめて背負って戻ってきたのは日暮れ間近だった。
「重かったわい、本はおおよそ集まった。変わったことはなかったか」
「はい、五人お買い求めになりました。銭は書きつけと一緒に引き出しに」
「ご苦労さんじゃったな」
「熊谷様のことは」
「うん、詳しい奴がおった。正直屋の書き手の源三じゃ、もうじき来る」
「正直屋、ですか」
「所帯は小さいがの、書くものは信用できるし源三も真面目な男じゃ。寿司屋に寄って寿司弁当も三つ買ってきた」

源三がきた。
「これは平太郎じゃ、安心してよい」
「正直屋の源三じゃ、よろしくな」
丸い卓に三人が座り酒を飲み寿司をつまみながら源三は話し始めた。
「熊谷の藩公には男子がおらぬが、公儀は養子を認めんかった。藩公には弟もその息子もおるであろう、ということじゃ。なぜか、公儀は弟親子にあとを譲らせ操ろうという魂胆じゃ。熊谷の家は小藩ながら大したもので米と蝋燭、紙などに父祖の代から力を入れ、石高は公称八万石じゃが実際は二十万石はあるのではと言われておる」
「うん、わしもそれは聞いたことがある。ならば公儀の狙いはその二十万石欲しさか」
「そうじゃ、しかし今の藩公は真面目で実直、公儀の誘いにも絶対に乗らん。そこで藩公を追い落とし、跡継ぎに弟かその息子を据える気じゃ。なにせ弟は酒好き女好き銭好きのボンクラでその息子は呆けとわかるくらいに頭がおかしい。公儀にとって弟親子は願ってもない跡継ぎよ。それでの、ここからじゃが、いまの藩公殿を追い落とすための動きがすでに始まっておる」
「そういうことか、先日も朝日堂の瓦版が東北の某藩と書いていたのはそれか」
「いまは某藩としているが、もうそろそろ名前が出てくるじゃろう。朝日堂は奉行所からもそれとなく藩公批判を命じられているらしい。吾助が熊谷のあとをつけていったのも、家臣の不祥事があれば藩公の追い落としにも使えるからじゃ。朝日堂は公儀に食い込めるとあって数日前から藩公を貶める記事を書きまくっておる。それもある事ない事ではなくて、ない事ない事を有るようにじゃ。ひどいものよ」

「そうであろうな、朝日堂と吾助たちならやるわの」
「朝日堂には吾助以外にも人を騙すのが好きな書き手がそろうておるからの」
「正直屋とは違うよの」
「ああ、うちは正直に書くだけで面白くはないからの、わしでさえ読んでても欠伸が出る」
三人は笑った。
「このまま藩公を貶め、家来のあることないことを瓦版で書いていけば世間に悪評が立つのも遅くはない、そこで公儀はそれをネタにして『治世良からず』と決めつけ藩公を弟親子にすり替えるつもりじゃ」
平太郎が聞いた。
「つまり公儀は自らのために藩公様を」
「そうよ、これは公儀内部ですでに決まっておること、もう後戻りはできぬ。しかし藩公も熊谷たち家来もすでに気づいておる、おるがどうしようもない。公儀に狙われたのが不運じゃよ。わしらも内情は書けぬ。書けばわしらがお縄になるでの。これからでっち上げの藩公批判が激しくなるぞ」
勘助と平太郎は黙って聞いている。
「熊谷様たちも手の出しようがない、ということか」
「そうよ、しかし家はそのままで藩公が代わるだけじゃ。なのですでに弟親子になびいている家臣もおる」
「侍も変わり身が早いのう」
「抗議の姿勢を見せているのは藩公と熊谷たちお味方だけ、しかしそういう者は少数で、いずれ追われるであろう」
「それで熊谷様は伯耆の本を」
「熊谷の奥方は伯耆の出じゃ。なので代替わりとともに藩を出て侍を捨て奥方の実家に行くらしい。熊谷は藩公にも可愛がられ正義感も強い。それが仇になって夜中に三人組に襲われたことがある」
「闇討ちか」
「そうじゃ、あれで藩公がぐらついた。家臣に死人まで出せぬとな。藩公はすでに引退する決心をしているらしい。家臣も下手に騒げば藩公が謀反人にされるし藩公も家臣ももうサバサバしておるよ。吾助たちの瓦版騒動は藩公へのトドメよ。道理は通らぬのがいまの世じゃ、腰元を斬ったというのも真っ赤な嘘での、公儀に狙われたのが運が悪かったとあきらめるしかあるまい」
源三は遅くまでいて鶏が鳴くころに帰っていった。

 勘助が熊谷に本を届けたころから藩公への誹謗中傷や批判が町中に広がり始めた。
藩の名前も藩公の名前もあからさまになった。
幕府に頭が上がらない諸藩からも批判の声が聞こえ、朝日堂も藩公の批判一色になった。
そして町中に藩公のつくられた悪評が独り歩きをし始めた。
 
 そんな中、源三がやってきた。
「藩公の仕置きが決まったぞ。九月一日に藩公のすげ替えをやるそうじゃ」「その日に弟かその息子になるのか」
「そうじゃがの・・気づいておろうが」
平太郎が言う。
「藩邸が静かですよね」
勘助が続く。
「そうよ、静かじゃ。こういうときは藩邸にゴミや石、残飯などが投げ込まれ、落書きもされるのだが、それが全く無いらしいの」
源三が答える。
「そうよ、江戸のもんがみな藩公の不行状と悪評に疑いを持っているからじゃ。あれだけ朝日堂も騒いだのにの」
三人はその日を待った。

 その九月一日になった。
藩邸前も周辺も暗いうちから奉行所の役人が立ち、藩邸には多くの者が出入りし、近辺は野次馬で埋まっている。
夜明け前には供の者およそ五十人を従え、葵の紋が印された乗物が入った。
野次馬はどんどん増える。
藩の門が見える辻の角に勘助と平太郎そして源三の顔もある。
すると戦支度をした者百人ばかりがやってきた。
鎧がすれる音を辺りに響かせながら藩邸前に陣取り門の前を固めた。
槍も弓も鉄砲まである。
「戦支度じゃねえか、何事だい、こりゃ」
野次馬たちは異様な状況におどろいている。

 陽が昇るとともに遠くで太鼓が鳴り響き始めた。
太鼓の音は少しづつ近づいてくる。
「旦那さん、先頭に馬がおり、誰か乗っています」
源三が言った。
「あれが弟よ、背中に抱きついているのが呆け息子よ」
一行は六十人にもなる行列だ。
「大げさな奴じゃの」
勘助が小声で言うと源三も言った。
「旗、幟を立てて太鼓まで鳴らすとは、芝居がかった男じゃな。これからこいつが藩公殿か、公儀に何もかも吸い取られるぞ、愚か者め」
先導役の侍が野次馬を押しのける。
馬上から弟が叫んだ。
「江戸のもんたち、邪魔じゃ道を開けい、どけっ、どかんか、邪魔するな!」
弟親子の乗った馬は勘助たちの真ん前まで来ると野次馬を押し分けながら辻を曲がった。
藩邸の門が向こうに見える。
しかしそこで馬が止まった。
戦支度の者たちが弟親子の前を塞いでいるのだ。
道を開ける気配はない。
勘助たちも野次馬たちもどうなっているのかわからない。
「旦那さん、様子がおかしいですよ、なんで」
弟一行の先導役の侍が大声で叫んだ。
「新しき藩公になられる弟君とそのご子息でござる。思いがけぬご用心ありがたきご配慮にござる。これよりは我らが代わりますゆえ道をお開けくだされ」
すると戦支度の組頭がその侍に向かって大声で一喝した。
「ならぬ!」
勘助たちもおどろいたが、野次馬たちもおどろいた。
オ~~ッとおどろく野次馬たちの声が後ろに伝播していく。
先導役の侍が叫んだ。
「ならぬとは、どういうことでござるか」
組頭は馬上の弟を見上げながら言った。
「新しき藩公殿は先刻よりすでに前藩公殿と引継ぎをされておる最中でござる。そこもとには何の関係もなきこと、邪魔である、お帰りなされ」
野次馬がまた大きくおどろき、そして叫んだ。
「帰れ、帰れ、弟帰れ、息子を連れて朝飯でも食いにいけ」
オ~オ~という野次馬たちの叫びが止まらない。
勘助は平太郎と源三に言った。
「江戸のもんは日本一じゃ、しかし公儀もやるのう」

 弟が必死で叫んだ。
「そなたではわからぬ、ご老中はいずこか」
すると門から肩衣袴姿に正装した年配の侍が従者とともに出てきた。
年配の侍は老中の側近だ。
弟が言った。
「これはこれは、ご苦労様にござる。これはどういうことでございましょう」
側近が答えた。
「そこもとは新しき藩公に非ず。そういうことじゃ。お戻りなされ」
ウワ~とまた大歓声が上がった。
「旦那さん、こりゃ歌舞伎より面白い。えらいことになりましたね」
勘助は手拭きが濡れている。
「泣かれてるのですか」
「嬉し泣きじゃ、生まれて初めて嬉しゅうて泣いた」
一方馬上の弟はどうしていいかわからない。
なぜか息子は弟の背中で笑っている。
「さっさとお帰りなされ、さもなくば反意ありとして成敗しますぞ。お帰りあれ、これが最後じゃ!」
側近は激怒し本気で弟を怒鳴りつけた。
そのとき弟は門の下で自分をにらみつけている老中に気づいた。
老中は弟を見ながら持っていた扇子で自分の袴をビシッと思いっきりたたいた。
「帰れ」という意味だ。
弟は顔から血の気が引いた。
真っ青な顔で馬の首をぐるりと回すと野次馬たちを押し分け去っていく。
従っていた者も一斉に弟親子のあとを追った。
うわ~と野次馬から歓声が上がった。

弟親子の姿が消えたころ、門前辺りが静かになり、続いて女たちの悲鳴が上がった。
「悲鳴じゃ、何じゃ見えるか」
「よく見えません」
前のほうから言葉が伝播してくる。
まん前にいる職人姿の男が勘助に向いて言った。
「前の藩公殿が門の中で腹を切られたらしい、後を追った侍もいるらしい。後ろへつないでくれ」
平太郎は後ろの者にそれを伝えた。
「平太郎、熊谷殿が心配じゃ、前へ行けぬか」
「無理です」

「帰れ、みな帰れ、でなくば縄をかけるぞ」
役人に追われ、熊谷の生死はわからぬまま勘助と平太郎は帰ってきた。
夕方近く、源三が走り込んできた。
「新しい藩公は松平姓じゃ、前藩公の養子として入ったそうじゃ」
勘助がぼそっと言った。
「暗いうちに藩邸に入っていった葵の紋の乗物は、それか」
「前藩公と近侍の侍の切腹で屋敷は大騒動じゃ」
「そうか、藩公様はお気の毒にの」
「命を捨てて公儀へ反意を示したのであろう」
「熊谷様は」
「わからんが切腹は別人じゃ」
「そうか」
「それでの朝日堂と吾助じゃがの」
源三はニコニコ嬉しそうに笑い出した。
「何がおかしい、どんな様子じゃ」
「聞いておどろくなよ、あんた、おどろくな絶対に・・」
「ええからはよう言えよ」
「朝日堂はの、市中に流言飛語をまき散らし、市井に混乱を呼ばせたこと許し難き、とされて取り潰しの命が出された。さっき見たときは奉行所の者と人夫が何人も入って店の物を外に放り出しておった。野次馬が取り巻いておったよ」

「ほ、ほんまか、吾助は」
「吾助はの『世間にあらぬことを書き散らかせたこと、その罪は極めて重い。生涯の所払いとする』」
「生涯の所払い、江戸から」
「そうよ、朝日堂の主人も吾助もその仲間ももう一生江戸には近づくこともできぬ。もしも破れば磔獄門晒し首じゃ」
「源三、酒飲んでいけ」
「まだ日中じゃが、ええのか」
「構わん、平太郎、閉めんでもええが、紙に本日休みと書いて戸板に貼っておけ」

 それから数日後、藩邸に落ち着きが戻ったころ都屋に足軽らしい者がやってきた。
「ご免」
「どちら様で」
「熊谷の使いにござる。ご主人様はおられるか」
「わたしが主の勘助にございます」
「熊谷よりの書状を持参いたしました」
「ご返事は」
「不要だそうにござる。では失礼いたす」
勘助は平太郎の前で書状を読み上げた。
「別れの挨拶もせずに失礼いたしたことお詫び申し上げる。
拙者、妻女とともに伯耆へ向かっております。妻の実家は廻船問屋にござる。妻の兄が当主にござるが、元侍の拙者に廻船問屋勤めができるかどうか思案しながらの旅にござる。まあ命と家族があれば何とかなりましょう。落ち着いたら伯耆の旨いものでもお送りいたす。平太郎殿にもよろしくお伝えくだされ。家中の者どもともにお世話になったご厚情忘れませぬ。お達者に 品川辺りより  熊谷義明」
勘助は顔をしかめながら言った。
「屋敷勤めからいきなり廻船問屋勤めか、勤まるのか、海に落ちたら鮫に食われるぞ」
・・・・・
「そもそも泳げるのか、熊谷様は」




































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