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双子

曽城(そぎ)の家に男子の双子が生まれた。
土地の領主である曽城にとっては待ちこがれた跡継ぎの誕生だ。
一方で不安もある。

曽城家の当主は一人、跡継ぎが二人では必ずもめる。
本人よりも周囲が問題を複雑化させる。
跡取りはこっち、そっちは家臣、という周囲の欲だ。

家の外でも問題はあった。
この時代、双子は子をたくさん産む「畜生腹」と陰口を言われ、片方が捨てられたり、両方が殺(あや)められるれることもあった。
曽城の家臣にも双子を嫌う者は少なからずいた。

しかし当主は賢明だった。
当主である父は、跡継ぎがいきなり二人産まれたと喜んだ。
「奥も大したものじゃ、普通であれば一人しか産めぬものを一度に二人も産みよった。一人に万が一のことがあっても一人は残る。よう産んでくれた、礼を言う」
母は父の言葉で泣いてしまった。
双子の命はどうなるのかと案じていたからだ。

次は名付けだ。
「先に出たほうが兄じゃが」
しかし産婆も女中も忙しく、母はなお大変だった。
双子が籠に入れられ目の前に並べられた瞬間に母はどっちが先だったかわからなくなった。

父は母に「自分で産んだのじゃ、わかる、であろうが・・」と無理なことを聞いた。
母は首を横に振った。
「どちらも同じ息子でありまする。どっちが先かなどわかりませぬ」
と答えた。

しかし父は跡取りを決めねばならない。
「どっちが先かわからないまま育てていけば、必ずお家を揺るがす大問題になる。今のうちにその芽をつんでおく。わしがここで決める」

「それででございますか・・」と母。
父はサイコロを投げて兄と弟を決めた。
そして兄には「神羅(じんら)」、弟には「羅門(らもん)」という名を与えた。 
一番大事なのは家の浮沈に大きく影響する双子それぞれの性格だ。
しかしこれは成長してみなければわからない。

二人はケガもせず、病にもかからず育ち、物心ついたころから養育の仕方が少しづつ変わり始めた。
神羅は当主の跡継ぎとして、羅門は分家として神羅を補佐する養育を受けた。

だが、どちらかといえば羅門の方が荷は重い。
いざというときは兄に変わって当主にならねばならない。
つまり羅門は当主と補佐の両方の自覚と責任を負わされたのだ。
だが羅門もそこは心得ており兄弟の仲は実に良かった。

 二人は成長するに従い性格の違いが少しづつ現れ始めた。
神羅は本が好きで一日中読んでいることも珍しくなかった。
機会があるたびに市や骨董屋に出かけて本を買い込んでいた。

逆に羅門は外が好きで特に山歩きを好んだ。
薬草に詳しい守役を連れては山に入って薬草などを持ち帰り、それを煎じて父母や神羅に身体に良いからと飲ませることが多かった。

自然と神羅が静で、羅門が動となった。
「二人で和し、ともに家を盛り立ててくれれば」
と父も母も期待し、末を楽しみにしていた。
しかし世は戦さ続き。
あそこは戦さ、ここは焼け落ちた、という噂や話しばかりが聞こえてくる。

やがて家臣や領民から、当主が本読みばかりでは心もとない、神羅様で曽城の家は大丈夫か、という声が上がり始めた。
それは父の耳にも入った。
これは軽く見ると家中の一大事、家の分裂の元となると思い父は家臣を大広間に集めて断言した。

「みなに改めて申し述べる。次の当主は神羅である。羅門はその補佐役である。これは不変である。神仏でさえも変えることは出来ぬ。これに異を唱えるは謀反であり、厳しく罰する」

羅門も立ち上がって言った。
「父上の言われた通りである。わしは弟であり兄神羅を支える身である。父上の言葉に異を唱えるは、まさしく謀反である」
家中は羅門の言葉で一気に収まった。

ただこのとき神羅は呆けたような顔で他人事のように庭を見ていた。
それに父も羅門も家臣たちも気づいている。
神羅は最近はそういう姿が見受けられ、ときには家臣や女中に暴力を振るうこともあった。

「神羅殿は大丈夫か、突然人が変わったようになられる。心か頭の病ではないのか」
父も気になったが特に異常はない。
「少し様子を見よう」

こういうときは双子は便利だ。
「なあに神羅の次には羅門もおる」
と父もみなも思っている。

だが母にはその羅門も心配の種だ。
「神羅もですが、羅門もです。羅門は何を考えているのか、寡黙でわからぬ時がございます。おじい様も寡黙なお方でしたから、おじい様に似たのでございましょうか」

「じい様か、寡黙じゃったの。寡黙な者は見てないようで見ておるし、知らないようで知っておる。利口じゃが何をしでかすかわからず油断ができぬ。じい様も口と腹が違い顔を二つ持っておった。それゆえにわが家も続いてきたとも言えるがの」

「顔が二つ、羅門もそうかもしれませぬ」
「そうじゃな、しかし神羅も一つだった顔が二つになり始めておるような気がする。お前もそうは思わぬか」
「言われてみれば、そのような気も・・」

「人は誰でも顔が一つではないからの・・・あの二人、われらの想いから外れた世界におるのやもしれぬ・・・」
父と母は互いの顔を見ながら黙ってしまった。
でも母もやっぱり思っている。
( 神羅に何かあっても羅門がおる、逆もまたありじゃ )

 その頃のこと、父が鹿討ちに出た際、白い野良犬を連れて帰ってきた。
「利口な野良じゃ。餌をやろうとすると離れて近寄らず、少しづつ用心深く近づいてきた。餌を食うときも油断せず、食ったあとはじっとわしの目を見て値踏みしよった。これはよき家来になる。おい、神羅と羅門を呼んで来い」

二人がきた。 
「今日よりこいつを我が家で飼う。利口な犬じゃ、かわいがってやれ」
父は野良に向かって言った。
「お前は今日から神羅と羅門の家来じゃ。お前の名前は羅昆(らこん)とする。よいなお前は『ら・こ・ん』じゃ」
と羅昆の目を見ながら頭をなでた。

羅昆は自分は羅昆であることを理解したようだ。
羅門が羅昆と呼ぶとすぐに反応した。
「こやつ、気に入った」
と羅門は言った。
神羅は黙ってそれを見ていた。

羅昆は以後二人に仕え、特に羅門になつき、山歩きには必ずついていった。
犬にとっても主人は一人しかいないのだ。



 そのような中、神羅に縁談が持ち上がった。
相手の娘は性格も良く利発で美人、だという。
家は伊勢にあり少々遠いが、遠交近攻は時代の流れだ。
「遠くと結ぶのも悪くはない」

互いに使者が行き交い、戻ってきた家臣は父と母に言った。
「実に良き姫様にございます」
「美人か」
「一度ご挨拶いたしましたが、うつむかれており美形か否かは・・ただ色白ではありましたが」

「上等じゃ、顔もじゃが大事なのは性格じゃ、人間が良ければそれで良い」
話しはとんとん拍子で決まり、嫁入りは来年の弥生(三月)の大安の日となった。
伊勢から曽城まで、街道沿いの諸領にも無事に通すように手配が始まった。

 部屋につめている守役たちが囲む中で、羅門が煎じた薬湯を神羅が飲んでいる。
飲み干す神羅を見ながら羅門が言った。
「兄上、嫁御殿は良きお方らしく、よろしゅうございましたな」

 するともう一人の神羅が現れた。
腕を組みアゴを上げて羅門に命じるごとくに言った。
「羅門よ、一度しか言わぬ、よく聞け。兄という言葉は以後禁句にせよ。双子で同い年とはいえ今は立場が違う。主人はわしでありお前はその家臣じゃ、わしを敬え、よいな。さもなくば、お前のおる場所は無くなるぞ」
一同はおどろいたが、羅門は伏し目がちに「はい、そのように」と答えた。

この話しはあっという間に家中に拡がった。
もちろん父と母の耳にも入った。
父はつぶやいた。
「神羅のやつ、言わずもがなの余計なことを。あいつ、様子がひどくなる一方ではないか」

母もそう感じていた。
「はい、ときには目の軸が定まらぬときがございます。跡継ぎということで力が入り過ぎておるのでは」
「それだけではあるまいが」

父と母の最後の拠り所はやはり同じだ。
( 一人がダメでも、まだ一人いる )
いつもそこで終わるから、神羅の変わりように加速がつき始めた。

肝心の羅門は神羅に何を言われようと平気な顔だ。
家中での人当たりは逆に良くなり、兄がそうであればこそ、自分がしっかりせねば家が危ないと思っているようにも父と母には思えた。
一人が沈めば一人が浮くのだ。

 ある日、神羅と羅門が館のそばを流れる川べりで話している。
「ところで羅門よ、あの嫁御、見てみたいがお前も見とうはないか」
「そりゃ見とうございます。姉になられるお方ですから」

 「どうじゃ内緒でその娘を見にゆかんか、徒士の新兵衛も連れていく。三人で遊山気分で行こうではないか」
遊山気分という言葉に引っかかったが、羅門は喜んだ。
神羅の供であろうと外の世界が見れる。
「はい、同道させていただきとうございます」

神羅は父に頼んだ。
「羅門を連れて伊賀・大和あたりまで旅をして見聞を広め、近隣諸国の様子も探りたいと存じます。供には徒士(かち)の新兵衛を連れてまいります。年が明ければ婚儀もあり、これが一人身としての最後の旅、およそひと月、お許し願いたく・・」

父は少し考えている。
嫁御の家がある伊勢は伊賀・大和の隣だ。
( こいつ、伊勢に廻る気じゃな )
「向こうに誤解を招くゆえ伊勢には入るな。それが守れるなら許す。しっかりと見てこい」

 母が玄関で火打石をこすって三人の旅の無事を祈った。
前に羅門、後ろに挟み箱を担いだ新兵衛、神羅はその真ん中にいる。
双子の兄弟の旅ではなく主従の旅である。
父は庭の端で三人を見送った。
羅昆は父の手綱につながれ、一行が見えなくなるまで見ていた。

一行は街道の途中で伊勢へ道を変えた。
新兵衛が問うた。
「神羅様、大和は右の道にございますが」
「こっちでええ、伊勢に真っすぐ行く」
「はあ、まさか」

「そうじゃ、わしの嫁御殿を見に行くのじゃ」
羅門も言った。
「新兵衛、この道で良いのよ」

「しかし伊勢行はお館様に止められておりましょう。向こうで万が一見つかれば無礼千万、破談という最悪の事態にも。拙者まだ腹を切りたくはございませぬ、右へ」
「よい、行ってしまえばこっちのもんじゃ、わしが取りなしてやるで安心せえ」

「しかし、それでは」
「ごちゃごちゃ抜かすな、これ以上言うとここで腹を切らせるぞ」
新兵衛は黙り神羅は鼻歌を歌い始めた。
三人は伊賀を越えて伊勢へ向かった。

 伊勢の宿場町。
旅人でいっぱいだ。
新兵衛が外から戻ってきた。
「どうであった」

「はい、市の番頭に聞きましたところ、あの姫様は毎月の八日の市には必ずおいでなさるそうにございます。今日は六日、明後日ですな、ちょうどよい按配でしたが、お待ちになりますか」
「むろんじゃ、ここで明後日まで待とう」

その晩は芸者が入った。
「兄上、ここは嫁御の地元、我らのことも漏れるやも知れず、ましてや芸者は」
「黙れ!兄と言うなと言ったであろう。芸者はええ、おれがさっき帳場に頼んだ」

新兵衛も神羅がここで芸者を呼ぶとは思ってもいなかった。
羅門は再度言った。
「ここで何か起きればこちらの家にも知れます。相手は嫁の下見なんぞ無作法の極みと受け取ります、そうなれば一大事にございます」

「家来の分際でわしに説教する気か、弟じゃというてええ気になるな!兄弟の縁は切る」
神羅の大声に、そばにいた女中もおどろいた。
「ご兄弟で主従、縁も切ると、いやあ大変やん」
大変やんは伊勢の言葉かと羅門は思い、縁を切ると言った神羅の言葉には反応しなかった。
双子の間にはすでにヒビが入っていることを新兵衛も感じた。

あくる七日の夜も神羅はその部屋で芸者遊びをしている。
そして八日の朝がきた。
神羅は二日酔いのような顔で羅門たちの部屋に戻ってきた。

「オイッ羅門、薬湯を煎じろ」
「はい、すでに湯は沸かせておりますので」
「手早いことじゃ、ほめてつかわす」
「ありがとうございます」
新兵衛はその光景を黙って見ている。

神羅は薬湯を一気に飲み干した。
「さあ嫁のご尊顔を拝しにいこうぞ」
市は人も物もいっぱいだ。
新兵衛が市の番頭と話している。

新兵衛が手を上げると神羅と羅門が駆け寄った。
「ほれあそこでござる。侍が三人ついておりましょう、傘をかぶられ青い肩掛けをされたお方にございます」

羅門が新兵衛に問うた。
「間違いないか」
「はい、市の番頭に聞き確認いたしました。あのお方が嫁御寮になられる『初姫様』にございます」

三人は近寄っていった。
警護の者も三人、初姫の左右と後ろを守っている。
近寄る三人、羅門と新兵衛がそれぞれ警護に話しかけると初姫の横に隙ができた。

神羅がそこにするっと入って初姫の全身を見るやすぐに傘の下の顔を見上げた。
神羅は頭を上げて棒立ちになった。
その神羅を見ながら羅門は思った。
( どうされた兄上 )

そのとき初姫が神羅に気づいて傘を少し上げ、神羅に問うた。
「どちら様でございましょう」
そのとき羅門も新兵衛も初姫が見えた。
二人も棒立ちになった。

初姫は
「美しかった」
笠を少し上げて神羅を見た姿も絵のようだった。
三人はただ見惚れた。

警護の侍が強く言った。
「どきなされ、そなたたち邪魔じゃ」
と三人は初姫の周りから押し出された。

宿に戻った三人は腑抜けのようになっている。
宿の女中が言った。
「まあどうされました」

新兵衛が言った。
「今朝の市で、ここのご領主の初姫様とやらを見かけた」
「姫御がおられましたか、それは珍しい。来年は曽城に嫁入りされます」
「珍しい」という言葉に三人は少し反応したが、腑抜けたままだった。
それほど初姫の記憶が強かった。

神羅が女中に戯言(ざれごと)を言った。
「お前とは天地ほど違っておった」
「わかっておりますとも」
茶わんをガタッと置いて部屋を出て行った。

「ケッ田舎もんの醜女(しこめ)め」
「神羅様、言葉が過ぎますぞ」
「うるさい、偉そうに言うな」
「これはどうも」

険悪な空気を察して新兵衛が割り込んだ。
「しかし、美しいお方でしたな、まさに三国一の姫様にございますな」
羅門も言った。
「確かにの、あれほどの者は滅多におらぬ、香気が今も漂うてくるようじゃ」

神羅はその夜も宴会をやっている。
帰りの道中は神羅の態度がますます不遜(ふそん)になってきた。
一家の跡継ぎになり、怖いものもない、あの女も手に入る、天下を取ったような気分かと羅門も新兵衛も思わされた。

 門前に立つと羅昆の吠える声が聞こえてきた。
風に乗って羅門の匂いがするのだろう。
門番が気づいて奥に走って行った。
神羅を先頭に三人は門を入った。

女中頭が出てきた。
「ご無事のお帰り、ご苦労様にございました。水と桶などお持ちいたしますので広間の縁側にと奥方様が申されております」
三人は縁側に廻った。

神羅は縁側の廊下に座り、羅門は神羅の足を拭き、新兵衛は庭石に腰かけて足を洗っている。
母がやってきて神羅と羅門の姿を見て絶句した。
母はやっと口を開いた。
「無事でよかったの」

父は羅昆を連れて庭から入ってきた。
母と同じに二人の姿を見るやすぐ羅門に言った。
「神羅、足は自分で拭け、羅門、廊下に座れ、お前は神羅の補佐役であるぞ、わかっておるのか」
すると神羅の顔が一瞬で変わった。

「父上、羅門は家来にございます。本人にもそう厳しく言いつけております。道中もそれで通してきました。何の不都合もございませぬ。羅門はこのままにして足を拭かせます」

父は激怒した。
「思い上がるな愚か者、それでも一家の跡取りか、何をバカなことを言うか、羅門はお前の補佐役であり、お前に何事かあれば羅門が一家を背負う身じゃ。それにお前はまだ当主ではない。当主はわしじゃ。
自分勝手に弟を家来にして足を拭かせるとは言語道断じゃ、そのようなことでは跡取りにはできぬぞ」

すると神羅は顔が真っ青になり、次には赤くなった。
みなが初めて見る顔だった。
突然ウワーと叫びながら父に迫り突き飛ばした。
父が転ぶと羅門が駆け寄ってかばった。
「父上に何をされる兄上」

「兄と言うなと申したであろう、不忠者め」
いきなり神羅は刀を抜いた。
振り上げ上段に構えて羅門を見下ろした。
「わしを斬るおつもりか」

「おのれ、許さぬ」
羅門は父におおいかぶさった。
神羅は羅門めがけて刀を一気に振り下ろした。
ギャッと鈍い声が上がった。

羅門の身体の上で羅昆が血を吹いていた。
羅昆は羅門の身代わりになった。
首肩から血が噴き出てぐったりとしている。
牙を少しむき出し、目を薄く開けすでに死んでいた。

羅門は立ち上がり神羅に向かって刀をゆっくりと抜いた。
「やめんか、二人とも、刀をしまえ、しまわんか」
夕刻、神羅は屋敷の隅の小部屋に入れられ、襖も障子もはらって若い家臣が五人で囲んで見張っている。
でも神羅は何事も無かったかのような顔をして茶を飲んでいる。

父は始末を考えている。
弟のみか父まで斬ろうとした神羅の行為は許されない。
父の前には新兵衛が座って話し、そばには側近や神羅と羅門の守役たちもいる。

羅門は裏山に自分の代わりに死んだ羅昆を埋めるために小者を二人連れて入っている。
母は部屋で泣いている。

数日後、神羅は病で急死したと門前と町に立札が立った。
誰かが引導を渡したのか、それとも切腹したのかはわからない。
地味だが神羅の葬儀が行われ、墓は曽城家の墓地に立てられた。
なら跡継ぎは誰か、当然ながら羅門だが本人は黙っている。

事を初姫の実家に知らせると、使者が書状を携えてきた。
「神羅殿がお亡くなりなら双子の弟君である羅門殿が跡取りでありましょう、ならば決め事通りに初を羅門殿に嫁がせたい、いかがか、お早く」と書かれていた。

家のためにと父も母も家臣も羅門に言う。
ならばと羅門は話しを受けた。

 春になり婚儀は無事に終わり羅門は初と夫婦になった。
その婚儀のあと、庭の隅で羅門が新兵衛を責めている。
「新兵衛よ、初の顔が市で見た顔とまるで違うではないか、お前、人違いしたのではないか。初についてきた女中の中にいるのが、市で見たあの女であろうが」

「はい、どうもあの番頭に騙されたようで。こっちをよそ者と見下してウソをついたのでは、申し訳ございませぬ。でもまあよろしいではございませぬか、初様はお人柄も良さそうで書画にも優れておると聞いておりますし」

「あれは初ではなくて女中だったとは、それであの旅籠の女中が『珍しい』と言うたのか、今わかったわ。しかし騙されたとはの、お前、謝れ」
「申し訳ございませぬ。でもまあ我慢しなされ」
「偉そうに言うな新兵衛」

「ああそれと忘れておりました、羅門様」
「何じゃ」
「伊勢への道中も含め、以前から神羅様に何度も薬草を煎じておられましたが、薬草袋に混じってチョウセンアサガオの乾燥した種も入っておりました。取り除いておきましたから」
羅門の顔色が変わった。

 その後、新兵衛は新当主である羅門の下で、曽城家始まって以来、もっとも若い家老職となった。
新兵衛はどえらい出世じゃ、と内外でささやかれた。

神羅のいる墓には花が絶えることはなく、羅昆が埋められた場所には桜の木が植えられた。

 時が経ち、当主を羅門に譲った父は孫が生まれるのを待ちながら悠々としている。
館の横を流れる川べりに母といる。
父は小さな袋をひっくり返して粉のようなものを川に捨てている。
「それは何でございますか」

「これか、チョウセンアサガオの種をつぶした粉よ、忘れておったが引き出しから出てきた。頭や身体に悪さする強い毒があるでの、家では捨てられぬゆえ、ここで捨てておる」
「そのようなもの、どこで」
父は答えなかった。

 それからずっと後のことだ。
亡くなる前、父は羅門を枕元に呼び、羅門の耳に口をつけてそっと言った。
「神羅のぶんまで死ぬ気で家と領地を守れ、さもなくばあの世からチョウセンアサガオを飲ますぞ」

父は笑いながら羅門に「このヤロー」と言って目を閉じた。
享年95歳だった。

















































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