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「 バックミラー 」 - Short Story -

海べりにある巨大モール。
日曜の午前9時、里子は車に乗ってやってきた。
いつものように地下一階の駐車場に車を停めようとしたがすでに空きがない地下二階のサインが点灯している。
まだ空きがあるようだ。
地下二階の駐車場に入った。
駐車したところからモール入り口までは遠くはない。
歩いていると後ろに人の気配がした。
振り向くと誰もいない。
なんとなく、なんとなく不思議な感覚に襲われた。
なんだろ、と思いながら入り口に近づいた。
入り口の周りは透明ガラスだ。
里子の姿が映っているが、後ろにもう一人映っている。
里子より少し斜め後ろ、女性、年配の女性に見える。
さっき感じたのはこの人かと思いながら、姿は見えなかったけど、とも思っている。
自働ドアーの前までくると後ろの女性も続いている。
ドアーが開いて里子はそのままエレベーターには乗らずにエスカレーターに乗った。
女性もエスカレーターに乗ったのがガラスに映っている。
このエスカレーターが意外と長い。
スーと上がっていきながら里子は何げなく後ろを振り返った。
「ウッ」
思わず声が出た。
誰もいない。
後ろを振り返り見回したが誰もいない。
「あの人、どこ」
ガラスを見ると、後ろに映っている。
だが振り返るとやはり誰もいない。
里子は混乱している。
一階の食品売り場が見えてきた。
降りたときまた後ろを見た。
やはり誰もいない。
どこにもいない。
「あれ、錯覚なの、まさか」

帰りも同じエスカレーターの前にきた。
一瞬立ちどまった。
(どうしょう、まさか)
後ろに親子連れがきた。母親と小学生くらいの女の子だ。
そのままエスカレーターに足を置いた。
スーッと下がっていく。
ガラスに自分の姿が映っていく。
じっと見た里子には見えた。
さっき見た年配の女性が親子のすぐ後ろにくっつくように立っている。
里子は真後ろを振り返った。
里子のおどろいた顔をいきなり見て親子連れもおどろいた。
「どうかされましたか」
と親子連れが聞いたが、後ろには誰もいない。
「ああ、いえ、勘違いでした、すみません」
「前、前、おばさん、前」と子どもが叫んだ。
前を見ると同時にバタバタパタッ 里子はひっくりこけた。
買った総菜や茶菓子や小物が袋から飛び出て散らかった。
「すみません」
あわててひろう里子、親子連れもひろってくれている。
「ありがとうございます。ごめんね」
子どもにも礼を言いながら見ると横からも手が出てひろっている。
親子は前でひろってくれている。
(この横の手は何よ)
細く白い手がチョコレートの箱をひろって里子のレジ袋に入れてくれた。
(これはだれ、だれよ)
里子は手の先を見ようと顔を回すと誰もいない。
目をもどすと手は消えていた。
「どうもありがとうございました」
「いいえ、お気をつけて」
「さよなら」と子どもが言った。
「さよなら、ありがとう」
親子はエレベータールームから出ていった。
里子は一人で立っている。
辺りには誰もいない。
(おかしい、どうして、わたしどこか悪いのかな、クリニック・・)
(とにかく出ましょう)と自働ドアーの前に立つと、女性が後ろに立っているのがガラスに映った。
振り返ったが誰もいない。
また前を見るとやはり映っている。
今度は顔もはっきりと見えた。
知らない女性だ。
里子をじっと見ている。
ドアーが開いた。
後ろを振り返りながら車に入った。
まさかと思いながらバックミラーをそっと見た。
「誰よ、誰アンタ」
車の中で大声を上げた。
バックミラーの中の顔はじっと里子を見ている。
車を降りた。
外から車を見ていると今度は周りが気になり始めた。
身動きが取れなくなってきた。
車がどんどん入ってくる。
(どうしたらいいの)
車に荷物を置き、キーをかけてまたモールに戻った。
お客が多くなっている。
エレベーターホールのガラスにはもうあの女性は映らない。
映っていてももう見えないほど客が多い。
里子は4階のカフェで休んでいる。
とはいえいつまでもおられない。
周りも客が立て込んできた。
「電話しよう」
車の面倒を見てもらっている工場は今日は休みだ。
里子は近くにあるメーカーのディーラーを探して電話し、事情を話した。
相手も俄かには信じない。
「何か、見間違いじゃありませんか、もう一度ご覧になって」
車に戻ってまたバックミラーをそっと見た。
いた、こっちを里子を見ている。
もう恥も外聞もない。
「わたし正気です、嘘でも間違いでもありません。本当に女性の顔が出てるんです」
「う~ん、あのぉうかがうだけでも基本料金がかりますが」
「おいで頂ければその場でお支払いいたします。早く来てください、怖いんです」
「じゃ、お伺いいたします」

 ベテランらしい整備士と同じく若い整備士、それに私服の中年が三人でやってきた。
車を近くに停めて降りてきた。
中年が里子に話しかけた。
「人の顔が見えるということですが、わたしもそう言われるご本人に会うのは初めてです。年配の女性の顔や手が見えるとも聞きましたが」
笑いながら言う。
本気にしてないんだ、と里子は思った。
でも誰でもそりゃ本気にはしないとも思っている。
「バックミラーに異常はありません。何も映りません」
と若い整備士が言う。
里子も見るが、あの顔はない。
(こうなるのよね、こういうときは)と思うが声には出ない。
「もう一度詳しく話していただけますか。こういうことは聞いたことは何度もありますが、現実にそれをご本人からお聞きするのは初めてでして。車の調子ならおやすいご用ですが、バックミラーに顔が映るというのはオカルトでして三人とも経験が無いものですから」
ベテランが言った。
言うことはそのままその通りだ。
里子も立場が逆だったら同じことを言うだろう。
(少しどこかおかしい、この人)と思いながらだが。
里子はそのまんま素直に見たことを話した。
若い整備士は会社に電話している。
ベテラン整備士はじっと何か考えているようだ。
「う~ん、これはわたしたちの出番じゃありませんが、といってここに置いとくわけにもいきませんでしょ。とりあえずお住まいまでお送りいたしましょう。お車は若い者に運転させますから。お客様はこちらに乗っていただければ。どうされますか」
「はい、じゃそれでお願いいたします」
里子の車は若い整備士が乗ってついてくる。
昼過ぎで車も多い。
走っていると後ろにいる里子の車の若い整備士がパッシングをした。
ベテランは車を脇に寄せて停めると窓を開けた。
後ろの若い整備士が里子の車から降りて走ってきた。
真っ青な顔をしてかすかに震えている。
「どうした」
「で、出ました。見ました、顔・・女性の・・お、オバサンです」
と言ったまま若い整備士は固まった。
「本当か、おい」
「じッ、冗談で言いません。女性の顔です」
幸いというか前にコンビニがある。
「あのコンビニに入れよう、お前、大丈夫か」
まだ震えている。
「車を代われ。オレがあっちを運転する、この車をコンビニに入れろ」
後ろの車が警笛を鳴らす。
「おい故障か、押してやろうか」
中年が窓を開けて言った。
「ああ大丈夫です、すみません、すぐ動かしますから」
ベテランは里子の車に走って行って乗り込んだ。
若い整備士は里子を乗せたままコンビニに入った。
「み、見ました」
顔が青くなっているのが里子にもわかる。
車が入ってきた。
ベテランは運転席から動かずにバックミラーを見ている。
三人は近づいた。
ベテランは寝ていた、いや気を失っていた。
「この人も見たんじゃないの」
「そ、そうかもしれません。課長、課長」と身体をゆさぶっている。
「この人、課長さんなの」
「そうです」
中年が課長の身体をゆさぶりながら声をかけている。
「オイッ大丈夫か」
課長は気がついた。
「ウウッ」
と唸るや車から飛び出た。
(ほうらわたしの言った通りでしょ、見たのよね課長も)
こうなると女は強い。
「見ましたね」
「見ました、オバサンの顔でした」
「三人とも見たことになるよね、どうしたらいいの」
中年はそっと車に近づいてバックミラーを見た。
顔が硬直しているのがわかる。
三人の前に戻ってきて言った。
「おれ、祟られるのかな」
顔は真っ青だ。
「それはないでしょう、おそらく」
里子が慰めると少し安心したようだ。
「しかしどうする、事故じゃないし」
「見た者にしか理解できないでしょう」
「でもあれ誰だよ、奥さんご存じないのでしょ」
「はい、わたしも初めて見る顔です」
「整備士30年のオレでも、これは初めてだ。レンチもジャッキも使えんしな」
「もう一度四人で見てみるか」
慣れてくると、今度は興味半分になり面白くなってきたらしい。
四人は顔をくっつけて車に入りそっとバックミラーを見た。
いた、同じ顔の女性だ。
じっと四人を見ている。
だが笑うでも怒るでもなく、祟りそうな雰囲気もない。
それにまだ辺りも明るくて人が多く四人で見ているせいか、怖くはなくなった。
ベテランが女性に言った。
「何か言いたいことでもあるんですか」
すると女性はうなづいた。
「おい、うなづいたぞ、この人」
四人は顔を合わせた。
里子が言った。
「何か言って」
そこへ隣に入ってきた車から男が降りて四人の様子を見て言った。
「どうしたんです」
中年が言った。
「バックミラーに映る女性の方と話しをしてんです」
「どういう意味よ」
わざわざ京子や主任たちを押しのけてバックミラーをのぞき込んだ。
「なんだ奥さんの顔・・」
と言いかけて里子の顔とバックミラーの顔を何度も交互に見ながら言った。
「このバックミラー、映像が出るの?」
四人は首を横に振った。
「なら何でオバサンの顔が映るのよ」
四人は男を見ながら黙っている。
男は何も言わず真っ青な顔で車に戻り、そのまま出ていった。
「あの人、真っ青な顔になってましたね」
「そりゃなるわな」
「しかし、この人、なぜうちの車のバックミラーに」
「恨めしそうな顔に見えませんか、この方」
「そう言われれば確かにそうなのよね」
「うんそうですね、そんな感じ」
四人の思いが一致した。
「この車に憑りついているんじゃないか、この車と何か関係があるのかもな」
しかし里子には心当たりはない。
「この車の車検証を見せてください」
「ダッシュボードに入っています」
ベテランは車検証を見ている。
里子はまたバックミラーを見るとオバサンはまだいる。
「まだいるわよ、この人」
若いのも見た。
「まだいますね」
ベテランが尋ねた。
「この車は中古車で買われたんですか」
「はい、新車同様で値段はかなり安いですよ、超お買い得の車です。事故もありませんし、傷ももちろんありません、と言われて」
「どこの店で」
「ここのモールで開かれた中古車展示会でです」
「はあ、ここで、おいくらで」
「新車価格は250万円でしたが、その約40%引き、ぽっきり100万引きの150万円でということでした」
ベテランと中年は「えらく引いたもんだな、安過ぎだよな」と言った。
ベテランと若い整備士はボンネットを開け、ライトを手にして中を見始めた。
身体を乗せるようにして中を見ては、下にももぐって見ている。
若いのは慣れたのか、またバックミラーを見ている。
「主任、オバサンの顔が少し変わってますよ」
主任と京子が見ると確かに顔が少し和らいでいる。
「車を調べているからでしょうかね」
里子が言うと主任も同意し、首をタテに振って言った。
「かも、しれません」
「何かわかりましたか」
ベテランが言った。
「奥さん、これ事故車ですよ、おそらくですが」
里子はびっくりした。
「そんなこと全然聞いていません。無事故ですとはっきり言われました」
「少なくともそれは、ウソですよ」
「前の右で何か当ててます。バンパーも交換していますし、新車の状態とは微妙に違います」
「あの車屋さん、何か隠していたんでしょうか」
「その車屋と断定はできませんが、この車に何か起きていたことは確かです。バックミラーの顔もそれに関係がある可能性もあります」
「どうしたらいいんでしょう」
「これは一度工場に入れて右の足回り辺りを仔細に見てみる必要がありそうです。おそらく、いや100%の確率で何か出てくるでしょう。ただ費用がかかります。販売元に請求できますが裁判になることもあり得ます。最悪の場合つまり轢き逃げという容疑が出た場合は警察に通報ということになり車は証拠品としてしばらく乗れないこともあり得ます」
「どうされますか」
と言ったが万が一の場合は警察の出番だ。
里子はすぐに答えた。
「調べてください。どちらにしても顔が出るバックミラーの車には乗れませんから」
若いのがすぐに電話した。
レッカー車はすぐにやってきた。
車をディーラーの工場に入れると営業所長が真っ先にやってきた。
「どれだ見せろ」
とはいえ所長もへっぴり腰だ。
そっとバックミラーをのぞいた。
そのまま固まって震えている。
「おい、気絶した。みんなで運んでくれ」
「救急車は」
「要らんだろう」

 車は顔と一緒に整備工場のリフトに乗って上げられた。
すでに時間外だが事が事だけに整備工場の者の多くが残って様子を見ている。
里子は車の近くに座って見ている。
車のパーツがどんどん外されていく。
するとベテランの手が止まった。
何か手に持ってタオルで拭きながら何かを見ている。
京子に近づいてきた。
「これ、おそらく女性の髪の毛です。あの顔の人かもしれません。まだ何本かからまっています。警察を呼びますが、いいですね」
里子には良いも悪いもなく、覚悟を決めた。
「はい、お任せします」
もうこの車には乗れないと覚悟を決めた。
(これからどうしょう、車のローンの支払いと税金だけがかかってくる。あの車屋に請求してもこれでは裁判になって勝ってもお金は返ってこないだろうし、轢かれた人と遺族の気が休まるだけか、でもまあ仕方ない、安い車を買ったこっちがバカだった。それにしてもあんな車を売りやがって、許さないわよ)
警察の鑑識車もパトカーもきた。
さすがの警官もバックミラーにはおどろいた。
しかし報道には伏せることになった。
騒動が大きくなるだけだかららしい。

家に帰るとへとへとだ。
電気をつけると窓ガラスに自分が映ったが、その周りに誰かいないかつい見てしまう。
「これがしばらく続くのか、いやぁね、鏡を見ても気にしてしまう」
警察の動きは速かった。
車の履歴を調べるうちに加害者が名乗り出てきた。
逃げられないと覚悟したのだろう。
婦人は轢き逃げされて死亡した被害者だった。
車は当初展示車だったが、それを買取った車屋の息子が乗って走った夜に婦人を轢いたという。
親も元整備士で車の修理はお手の物だ。
おまけに素早く修理したので警察の捜査からも逃げおおせたという。
翌朝には事故部分を解体し鈑金し注文した部品に交換し外したパーツは砕いて、そのままオークションで同業者に売り、その同業者がモールの展示会に出品したという。
車の売買は闇が多い。
うん?と首を傾げながらでも金になれば少々のことには目をつむる。
大手の中古車ディーラーでもわざわざ客の車を壊してでも安値でたたいて買い高値で売る時代だ。
買う業者もそうそう細部までは調べない。

 被害者の遺族とは里子は一度会った。
持っていた遺影にある顔はバックミラーにいたあの顔と同じだ。
だがみんなが困ったことがあった。
事故が露見したそもそもは里子が顔と手を見たからだ。
最初は警察も信用せず、里子も何かの事件の関係者ではと疑われたくらいだ。
警察もこんなことを真面目な顔で公表はできない。
整備工場も噂になったが冷やかしの客ばかり来る。
それもみな半信半疑だ。
オカルトの好きな連中も毎日のように来たが説明に人手を取られて商売にならない。
とうとう工場だけ開けて店はひと月ほど休んでしまった。
里子は宙ぶらりんで裁判にするかどうか考えている。
一番の問題はローンの残債だが、これはまだほとんど残っている。
しかしローン会社はすでに支払っているので里子からの頼みは一切聞かない。
せいぜい支払いが伸びただけで、それにも利息がついてくる。
「いやんなっちゃう、警察は関係ないと言うし、おかげでしなくてもよかったパートをしなきゃならない、オバサンさえ出て来なきゃね」
被害者に愚痴を言ってもしようがないのだが、言いたくもなるだろう。

そんなとき整備工場から電話がかかってきた。
「あの車を買いたい、ダメならバックミラーだけでも、と言われるお客様がおられるのですが、いかがされますか」
途端に元気が出た里子は尋ねた。
「買ってどうするんですか、わたしこれ以上あの車と関わりたくないんですけど」
「幽霊屋敷の展示物に利用されるそうです。事件の経緯とそもそもバックミラーに顔が映った前後のあなたも含めた話しを一本つくって幽霊屋敷の展示のメインにしたいとのことです。買値でローンも税金もおそらくケリがつくと思われます。いかがされますか」
里子には願ってもない話しだ。
即答した。
「お売りします」
車は売れた。

 夏がきた。
幽霊屋敷は、あのモールの中にできた。
「モールもやるもんだ、そもそもモールから始まったんだからね」
里子はそっと見に行った。
ネットで噂を見聞きして客は列をつくっている。
入場制限がかかったが、里子は無料の観覧券をもらっている。
中に入った。
コースからいけば車は真ん中あたりにあるらしい。
人が多くて中々進めない。
途中で化け物や妖怪が出てくるが人が多すぎて怖くもなんともない。
化け物も子どもにさえバカにされている。
ほとんどの客の目当てはあの車とバックミラーだ。

 婦人の顔と事故の経緯、その夫の顔も画像で出てくる。
肖像権を幽霊屋敷を運営する法人に売ったらしい。
被害者の遺族もモールも幽霊屋敷もみんなビジネスにしてしまった。
いやみんなたくましい、大したもんだと里子は思っている。
婦人らしき女性の顔が印刷されたバックミラーのコピーも売られている。
信用し難いけど現実にあった怪奇な事件として扱われ、里子も名前や顔は出ないものの、それが見えた最初の女性として人気があると聞いておどろきあきれた。

 ある日、幽霊屋敷の法人から荷物が届いた。
中元だった。
あの婦人の顔らしいイラストが印刷されたどら焼きが入っていた。
「ああおいしいわ、これ」
婦人とはその後会ったことはない。
ネットの情報では最近時々だがあのバックミラーに婦人の顔が出るらしい。
本当かどうかわからないが、あまりの人気に婦人本人が出てきたのではという。
「あの婦人までビジネスに入ってきてるの、おどろいた」
盆が過ぎても幽霊屋敷はまだ列が長い。






















聞いたのははんえnのつてはボンネットを開けて見回している。





エレベーターにはほとんど乗らない。
いつも歩くかエスカレーターだ。

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