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(連載42)ハリウッドの習い事とバンドで広がった新しい世界:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2003年-2005年

2000年前半から、それまでの私の人生の道筋をすっかり変えてしまったバンド活動、、、。

コリア系アメリカ人、ケビン・スッコ・リーがはじめた、テルミンをフィーチャーした、シンセポップのバンド「セックスロバ」のお話をしております。

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メンバーはケビン(音楽担当)と私(それ以外担当)のふたりで、私は音楽は出来ないのですが、舞台で何をやってもいいと言われ、、、、、どうせなるなら、誰も見たことのない事がやりたい、、、。と。

で、前回はヌンチャクのお話でした〜。笑

実はバンドの為に、このヌンチャクの他にもいろいろトライしたのでありました。今回はこの事を。

なんせ全力で暴走しているので、これまた、いろいろな事を思いつくわけであります。笑

普通の事にもトライしたんですよ。たとえば、ダンス、、、、。

ロボット・ダンスやヒップホップのダンスで有名なダンススクールに行ってみた。汗

時代は、日本ではアムロちゃん全盛の頃。

そして、そこは、日本からのダンス留学で有名な学校でしたので、日本人の若い方も、ものすごく多くて、、、

当然、40代なんて私、ひとりです。 

しかも、ド素人! = だから目立つ!涙

そして、何かと先生からも注目されてしまう。。。。

先生が、ステップを、チャチャってやって、

「は〜い、まずは、こんなかんじです〜、じゃ!!君、やってみて〜」と

指を差しだす、その延長上にいるのは、このアタシぃ?

。。。。振り返ってみても、後ろには、誰もいないのであった。

「え、え〜?ノーノーノー!!そんなの、できません!!」っていうと、

「カモ〜〜ン! ドン ビー シャイ」と、言われ、

全然、シャイじゃないのに、ただ、本当にできないのに、、、、。


ほんとに、そのステップが非常に複雑なのであります。

昔、あたくしの世代、学校で習ったフォークダンスみたいに、

ハイ!右に一歩、左に一歩、

前に後ろに、クルっと回って、手をパンパン!!

みたいなんじゃないんですよー。

体をぐるぐるのくるくる〜〜のぉ〜〜!!!

右かと思えば、左に半歩!!

それやってる間に、手は反対回しで、スピードアップ!!

最後は指差し確認、右、左、

首はかっくん反対側ににキメる。。。。

みたいな。。。

二十歳だったら、できたかもしれませんが、

アタくし熟女X2倍の年齢ですわ!

いや、年のせいにしたくないけども(涙)。。。

しかし、運動能力は嘘つけないス。(号泣)。。。


だって、クラスのみんな(ほとんど20代)は、出来てたんで。。。

出来ないのは、私ひとり!


なので先生が余計に声をかけてくれるので、目立つ。できない感が増す。そんな悪循環が何度も何度もあって、さすがに、ついていけない。と思って、

やめました。

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で、だったら、もっとゆっくりめ、、なダンス、、、、。

そうだ!!タップダンスだったら、いいかもな〜?

と思って、

今度はタップダンスの学校にいきはじめました。ハリウッドだから、何でもある!笑

こちらは、さすがにオールド・スクールで、平均年齢も高く、なぜかコリアンのおばさん達が多かったので、前のヒップホップの学校ほど、浮きませんでしたー。よかったー。苦笑

教えるスピードもゆっくりで、先生もただ、テクニックを教えるだけではなくて、タップダンス自体を楽しみましょう的な、教育方針。

出来ない事を無理にやらせるというよりも、できる事で流れを作って、「はい、ここで、手は腰にあてて、笑って〜〜!」と、顔の表情までこだわる。。。

ここで、皆様、ちょっと想像してみてもらいたいのですが、

ダンスクラスなので、壁の一面全部が鏡なんですよ。

その鏡で、見る、おばちゃんたちが、全員で笑ってポーズしてる姿。。。。


マジ、 怖かったス。


ま、私もオバさんなんで、その中のひとりなんですけども。

汗がでましたわ。


でも、これはしばらく通ってみました。タップシューズも自分なりにビンテージの靴にヒールをはってもらったりして、、、。なかなかいいかんじでした。

しばらく続けたら、ジンジャー・ロジャースみたいになれるかな〜?とそれなりに、夢は広がっていた。

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しかし、ま、何事も思うようにはなりません。。。


毎回毎回、人が減っていって、、、、なんかおばちゃん達って、すぐ、飽きちゃうのかな〜? 

公民館の教養スクール?のノリで「次は、陶芸やらない???」と、なるんでしょうかね〜? だんだん、いなくなっていき。。。

結局、残ったのは、私と70歳のおじいさんだけ。。。


さすがに、先生の方から、「大変申し訳ありませんが、このクラスは閉鎖します。」と言われ、、、、、

がっかり。。。。。

タップダンスは夢の中に消えました。。。。

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はい。。。。次にいきます。

セックスロバを始めた頃は、最初は私は音出し禁止だったのですが、だんだん、セリフのようなボーカルもやるようになったので、

ボイトレ(発声練習)もやってみようかな〜と思い、

こちらの先生は、もともと知り合いだった日本人のジャズ・シンガーの女性に教えてもらう事になった。 日本人同志なので、コミュニケイションも取りやすく、教えるのもすごく上手な先生で、とても勉強になりました!!

ボイトレの他にも、簡単なジャズソングをピアノに合わせて歌ったり、ケビンが「日本人の演歌はいいよな〜〜っ」と言ってたのを思い出して、彼女には、演歌の歌い方のコツみたいなのを教えてもらったり、、、、、、

昔はカラオケでは、ただ大声で叫んでいるだけでしたが、少しはマシに。。。とはいっても、まだ、普通の人よりヘタクソでしたので、

場数を踏もう!とばかり、張り切って、ハリウッドで、当時、英語のカラオケナイト・ナイトをやっていたバーがあり、

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知合いの人が働いていたので、他の人が、フランク・シナトラやビリー・ジョエルを歌っている合間に、頼み込んで演歌のカラオケのバックトラックを持ち込んで、歌わせてもらいました。

その頃は、まだDVDのカラオケ・トラックで、操作も手動。

夫のトッシュはカラオケ嫌いだったので、毎週ひとりで行って、歌ってたんですよ。

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みんな演歌なんて聞いたことないので、いくら私が下手クソでも、まったく気がつかなくて!!!!笑。

ただ珍しさで、聞いて盛り上がってくれてました!!!!苦笑 

そしたら、ある日、夫のトッシュの同僚にその現場を目撃されてしまい、

トッシュのワイフが、毎週ひとりで、ハリウッドのカラオケバーに通って、日本の歌をガナりたてて、歌いまくってるらしい。。。。

(大袈裟でもない、ほんとのことですが。笑)

それで、なんだか、私のせいで、

トッシュのダンディなイメージが、壊れたら悪いなあ〜。

それが原因で、彼が仕事場でいじめられたりするのでは?と思って、

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そこに行くのをやめました〜〜。苦笑

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そんなこんなで、ま〜、いろいろと

「生きていく事には、どうでもいいような事」まで、手をだしてみた次第であります。

バンドをやってなかったら、こんないろいろな事やらなかったと思います。

また、習い事だけでなく、ほんとにこのバンドのおかげでいろいろなところに、旅しました。

1枚目のCDがベルリンのレーベルだったので、ヨーロッパでツアーをした話は、前にも述べましたけども。

2枚目のCDが出た直後も、ツアーで、日本にも行きました。東京の西麻布の「スーパーデラックス」というところと、今はもうないですが、「青い部屋」という青山にあったシャンソン歌手の戸川昌子さんがやっていたライブハウスで、サエキけんぞうさんの夜に出せせてもらいました。

また、その後はメキシコにも行きましたし。。。。やったライブは100回以上になりました。

こんなにライブ活動を頻繁に続けていたので、ロサンゼルスでは、いろいろと注目されました。

LA weekly という新聞で、2年連続でベストダンスミュージックにノミネートされるなど、評判は、かなりよかったです。

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また、KCRWというラジオの劇場用のコマーシャルに、出たり、ミディアに取り上げられたり、

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先述のテレビ出演があったり、確実にバンドを始めた頃から、だんだん発展してる実感がひしひしと感じられました。

そして私は、こんなにバンド活動に夢中になるなんて、思ってもみなかったのです。

繰り返し申しますが、私はアーティストで、家で作品を作って、バイトをしながら、それを1年に一回くらい発表して。。個展をやったりして、一生過ごすのかと思っておりました。

それがどこで、何が狂って、こんな事になっちゃったんだろ?

なんで????


と、今、考えてみるに。。。

それまで、服を作ったり、絵をかいて個展をやったりしても、これも、前にも申しましたが、オープニングが終わって、さんざんグレート!と言われても、次の日からは、また元に戻って、何事もなかったようになる。。。

また仕事部屋にこもって、1年くらいはコツコツと一人で、ものづくりの毎日でした。(それがもちろん、良い悪いの話では、もちろんありません。)

この時点で、アメリカに引っ越してきて、10年くらい経ってます。

日本人として、アメリカで生活する。言葉の壁もあるし、カルチャーの違いもあるし、今のようにSNSもありません。ロサンゼルスは特に車社会なので、友達も知り合いも出来にくいし、ましてや自分を表現する機会がたったの1年に1日。。。。

。。。。このサイクルと比べると、バンド活動は、毎回ライブをやるたびに知り合いも増え、反応も体感でき、そして、レコードが売れたり、Tシャツが売れたり、ラジオでかけてもらったり、どんどんと3次元的に膨らんでいくのが実感できました。

いろいろな所に飛び火していってる手応えがものすごくあったんです。

アメリカで何かやってる実感!!!


確実な手応えがあると、それがまた、エネルギーになって、勢いになって、その方向に進みます。今まで経験した事ないような刺激的な世界が、自分の目の前にどんどん、広がってゆきました。。。。

文字通りのライブの空気感!!

ものすごいスピードで突き刺さってくる緊張感!

瞬時に音に反応する直感的な今今今の連続!!!


これは、それまでの私のゲー術活動にはありませんでした。

ともかく、やってて、楽し〜〜〜〜〜!!


そして、もっと!!もっと!!!と、追いかけてたら、3年も経ってしまいました。。。。。


そうしたら。。。。。


次第に、自分の中にある疑問が、湧いてくる様になったんです。。。

私は、自分がバンドをやってるっていうのに、音楽もできないって、

なんか、、、、ちょっと違う? 

、、、、ような?

気?、、、、、も、

、、、、、してきたんですわ。

なんか、普通のバンドがやってるようなことがやりたい!!


それまでのような、朗読みたいなんじゃなくて、もっと歌みたいなのを歌いたい!

ミュージシャンっていう人たちが、やってるような事がしたい!!!

フリンジ衣装の踊り子だけじゃなくて!!

厚化粧して、ヌンチャク振り回すだけじゃなくて!!


本気で歌ったり、踊ったり、

ギターをかき鳴らしたり(この時点ではギターはできない)苦笑 

ワウワウペダルをふんだり、DJしたり、スクラッチしたり、

ボーカルでも、ビートボクシングみたいな事とか、

そんなん、できたら、かっこいいだろうよね〜。と。

しかし、


それは、ケビンが追求したい世界は違った。

当たり前っちゃー当たり前ですよ。

こちら、音楽ができないカラオケ馬鹿騒ぎの盛り上がり系出身ですから。、、、


そうこうしてるうちに、ある日、、、一通の封筒が届いたんです。。。

これのせいで、、、、、また、、、、。

次回へつづく。。。。

L*




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