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(連載22)アメリカの二つのファミリーと自分の立ち位置:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:1990年代初頭

今回は、私がこのアメリカ社会で生活しだしてから体験した、二つのファミリーについてお話しようと思います。

この前回ご紹介したユニークな映像作家のリラ・エクステイン。

彼女はいわゆる通称「バレー」と呼ばれるところに住んでいて、それはロザンゼルスの中心からちょっとはなれた、郊外の住宅地でした。

1950年代、アメリカがイケイケだった頃、仕事は、町の中心地、住むのは、郊外という、いわゆる「サバーブ」という概念を定着させ、そのハウジングで理想のライフスタイルを奨励しました。

こんなところに住んで、アメリカンドリームを実現しましょう!と。

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グリーンの芝生に囲まれた、プール付きの一軒家! 
車を買って、家は郊外、仕事は車で町の中心で。という生活です。

日本でもそうでしたよね。

資本主義というシステムにそって、この新しいライフタイルは車の普及とともに、あっという間に広がってゆきました。ありとあらゆる場所が住宅地にとして開発され、家が建てられ、人々がサバーブへ移動しコミュニティが出来ました。

そこで、学校に行き、教育を受け、社会に出て、仕事を持って、結婚して、家を買って、家庭を作って、子育てをして、引退をして、余生を送る。

これが人生のフォーマット。

つまり、いい学校に行き、いい教育、いい仕事、いい会社、いい出会い、広い家、そして、引退後は悠々自適。というのがベストなシナリオ。

一般ピーポーのいい人生を送るガイドより。

前回にお話しました、リラは、そんなアメリカ人家庭で、育ったのでした。

なので、彼女の家には庭があって、プールがあって、両親がいて、医者のお兄さんがいて、犬がいました。。。。絵にかいたような、テレビで見るような、典型的なアッパー・ミドルクラスのファミリーでした。

ところが、一方、私の夫のトッシュは、父親がウァラス・バーマンと言う、ビート・ジェネレイションのアーティストで、60年代のロサンジェルスのアートシーンでは、知る人ぞ知る人物でした。

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。。。。ちなみに、今からお伝えするトッシュの育った環境ですが、結婚する前はまったく知りませんで、すべて結婚してから知りました〜〜。汗

ビート(もしくは、ビートニックと言われる人々)は、もともとは文学からはじまっているので、日本ではそんなにポピュラーではないかもしれませんが、アメリカでは、新しい価値観がここから始まって、のちの若者たちに影響力を拡大していきました。

ざっくり言ってしまえば、ビートの人たちというのは、先ほどのそういう物質主義の典型的な生き方とは真反対なライフスタイルでした。

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典型的なイメージは、先ほどのサバービアが、芝生の一軒家に犬にプールだったら、ビートは、映画などでよく見るのは、地下の穴蔵みたいなクラブで、ジャズを聞いてる、もしくはカフェで詩の朗読会(ポエトリーリーディング)をしている。黒いタートルネックを着た若者や、ヒゲをはやした若者です。苦笑 これはんあくまで、イメージとしてわかりやすく説明してるだけですので!

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ビート•ジェネレイションは、わかりやすく言えば、

社会の枠組みや、与えられたレールの上をただ走るだけなんて、まっぴらだ!

もっと自由に決めて、自由に行きたいところにいって、やりたい事をやろう。 住みたい場所に行き、好きな事をやり、社会のフォーマットなどは信じていない。

現在では、こう考えるのは、特別に変わった事ではありませんが、1940年後期から1950年のアメリカでは、かなりプログレッシブな考え方で、アウトサイダーでした。

そして、アメリカのコマーシャリズムとは距離を置き、自分たちの価値を自分たちで作りあげてゆきました。

そのビートのスピリットは、やがて70年になると、ヒッピーに引き継がれ、フォークソングなどとも合流して、やがてアメリカの社会で、おおきなうねりになってゆきます。

一言でいえば、ビートの人々は、自由マインド!

そして、トッシュの父親のウァラス・バーマンは、その実践者のひとりだったのでした。

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彼の作品。(ポップなのですが、ダークです)

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そして、たとえば。。。。こんな。

また、どこかの廃屋になってるところで、ここ、「俺様のギャラリー!」って、勝手に個展をやったりとか。笑

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サンフランシスコの郊外です


雇われてやった仕事は、家具にムチうって、ビンテージに見せるという仕事のみ。笑

母親のシャーリーは、モデルをやったり、洋服店で働いたりしてたみたいですけども。

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そんなビートな家庭に育ったトッシュの家というのは、むちゃくちゃ狭くて、やっぱり何もなかったらしいです。苦笑

家もトパンガ・キャニオンという山の中。笑

でも、いつも人がやってきて、アートの話、文学の話、周りはみんなクリエイティブな事をやっている人ばかり。。。そして、ドラッグ中毒者や、犯罪者、ロケット科学者が、フツーにいたりする〜。笑 

ウァラス・バーマンは、私がトッシュと知り合った時はもう亡くなっていました。今ではレジェンドになっている存在です。

(ちなみにビートルズのサージェントペッパーのカバーにもなっています)

これです。赤丸の中。

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デニス・ホッパーのイージー・ライダーにもチラッと友情出演しています。

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話がトッシュの方にそれましたが、そんな二つのトッシュとリラのそだったアメリカの家庭。 同じアメリカなのに、全く違う家庭環境です。

今でも、アメリカってどんな国?と聞かれても、その人がアメリカにきて、どんな体験をしたのかによって、それぞれのアメリカがあると思いますが、

その中の二つが90年代前半にアメリカに引っ越した、私の目の前に、ポイっと投げ出されていたのでした。

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私は私で、自分が育った昭和の日本というのは、「戦後の資本主義のレールに沿って人生を送る」のが当たり前でしたから、ビートの人々ように、そのレール自体を疑問視するというような考え方が、まったくありませんでした。

でも、80年代のバブルのピークに向けての消費、消費、の、コマーシャリズムが作り出す「広告代理店が神様の時代」に、疲れていたのも事実でした。

だから、ビートの両親に元にトッシュの育ってきた環境は、自然に理解できました。結婚してから、出会ったトッシュの家族の周りにいる人々は、みんな何かしらアートに関わっている人で、そして、自由に暮らしている人ばかり。安定した仕事をしている人や、ましてや、サラリーマン、会社員、コーポレイションで働いている人はひとりもいませんでした。


、、、ですよ。

自分は外国に引っ越してきて、言葉も違う、習慣もまったく違う環境です。まず、心がくつろぐ環境は、普通の人たちの環境だったのもぶっちゃけありましたよーーー。笑 
国をまたいで引っ越してきて、アメリカ社会の溶け込もうとして懸命になっている時に、クリエイティブな話や社会を変えよう!みたいな事をまくしたてられても、あんまりピンとこないですから。笑

父親らしい父。母親らしい母親。家があって、犬がいて、あったかい暖炉がある。

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だからリラの家に行くと、正直、なんか落ち着きました〜〜。笑

この目の前に広がったライフスタイルの二つの例ですが。。だったら、自分はアメリカでどんな生活をする事になるんだろう?

など。。。。自分の未来については?

あんまり。。。。。。 考えなかった。

当時の私は、前も申したようにフリーランスで撮影の仕事を手伝ったり、アクセサリーなどを作って、お店に置いてもらったり。なんとか毎日が生活できるくらいの収入しかなかったですけども、トッシュは、そういう環境で育っているので、私に、「定職について、フルタイムで働いたら?」とは言いませんでした。

彼自身も日本で1年間、私の看病生活につきあって、その後は、ブックスープという本屋に復帰して、また働き出しましたが、別にそれでキャリアを積んで、マネージャーになって? ゆくゆくは??なんて、まったく思ってもないようでした。

私の毎日はやりたい事をやる、つまり自分の作品を作る。

もうこれしか頭にありませんでした。

今から考えたら、これは、ビートのスピリッツでありましょう。

アメリカに引っ越して、決して、ビバリーヒルズに住みたいとは思わなかった。

誰かが家をくれたら、別ですよ〜。笑

ハリウッドのセレブが行くような高級レストランに行ったり、夜景の見えるプールサイドでシャンペンを飲んだりするのは、たしかに、気持ちがいいでしょう。

できるもんなら、そういうのがいいです。

しかし、私はそれがゴールにはなりませんでした。

そういう不動産屋のコマーシャルや旅行代理店の写真にでてくるような光景を、そのまま体験しても、別にそんなに感動しませんでした。(今でも)

太宰治も「富嶽百景」で、富士山があまりにくっきり見えてると、風呂屋の背景みたいでつまらない。というようなくだりがありましたが、

それと同じで、

自分が好きなものは、自分で見つける!


アーティストというのは、既成概念をこわして、自分ならではの新しい価値観を作っていくものだと信じています。(今でも)

「好きな事が正しい。」

それだけで、何もゴールなんてものはありませんでした。

そのパッションだけで、いいとも思いました。

流れが自分のたどり着く場所をきめてくれるだろう。

誰かが決めた、社会が決めた、そんなゴールじゃなくて、たどりついたところが目的地なのだと。。。。たとえ、それが人から見たら最悪の場所であったとしても、、、、。

うさぎと亀の話。

地道な努力を欠かさない亀が、最後は勝つ!という話がありました。

本当だと思います。

でも私がうさぎになりたかったんです。

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走りたい時に走って、昼寝したい時に昼寝したいのでした。

でも最後は。。。。負けるんですよ。。。。

でも、負けても、

敗者には敗者の美学があれば、それでいい

そんな気がしました。

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では、また次回!!

L*




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