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【往復書簡エッセイ No.5】高齢母のおしゃべりが、どこまでも続く理由

レラちゃん、こんにちは!

病み上がりのお父さんが、いそいそと銀座のうなぎ屋へ出向き、すばらしい健啖ぶりを見せた前回のお話。

生きる喜びが伝わってきたと言ったら大げさかもだけど。食欲があることが元気な証とは、本当にその通りだね。

私の今回のストーリーは、おしゃべりの勢いが止まらない母のこと。食欲と同じく、おしゃべりのパワーも、元気と直結すると感じています。


高齢母のおしゃべりが、どこまでも続く理由

実家の両親と定期的にLINEでビデオ通話をしている。週2回ほど、見守り的な意味を込めて。

80歳を過ぎて初めてスマホに触れた父と母。ビデオ通話を始めた経緯は、こちらのブログ記事をお読みいただきたい。

久しぶりに両親と頻繁に話すようになって気づいたのは、母のおしゃべりの勢いがかなり強いことだった。こちらの反応にお構いなく、話したいことを披露し続け、私がやんわりと切り上げさせようとしても、絶対に止まらない。

はて、前からこんな人だったかな? というのが当初の私の感想だ。「年を取って、周りに気を配ろうとしなくなったから」というのが、母自身の言い訳である。

私が父に話してもらおうと話題を振っても、「あ、その話はね……」と横から母が奪い取ってしまうことも多い。認知機能が弱りつつある父にも発話の機会を作りたいのだが。

ちなみに母が不在のときは、父が調子よくおしゃべりすることもあるので、父が寡黙というわけではない。どうやら二人のパワーバランスが、知らぬ間に変化してしまったようである。

他にも高齢者あるあるだが、母は同じ話を何度も繰り返す。

先日、母の妹(私の叔母)が脳梗塞で倒れて入院した。両親二人でお見舞いに行ったのだが、そのときのことを母は細部にわたって何度も語る。

病室に入って、○○(叔母の名前)がベッドに寝ていて、△△と声をかけたら□□という反応をして云々……。そして病室を出たあとの叔母の娘のセリフから、彼女が隣人に声をかけられた話、さらには隣人のご家族が同じく脳梗塞で倒れたときの状況へと、際限なく展開していく。

最後の部分は、ハッキリ言ってしまえば赤の他人のことなのだが、母のなかでは「倒れた妹のお見舞いに行ったときの出来事」に組み込まれてしまっているようで、それを含めてワンセットとして物語るものだから、長い長い。

たぶん妹が倒れたショックが大きかったのだろう。だから何度も話さずにはいられない。

その気持ちは私にも一応わかるつもりだ。しかし話の展開から細部のセリフまで寸分たがわぬエピソードを1週間で3回聞かされたときは、さすがに途中でさえぎった。一応、3回目も隣人が登場するところまで聞いてから「そのおじさんのセリフはもう知ってるよ」と。

ふと思った。母の話が止まらないのは、日常で父に話すだけでは「話を聴いてもらった感」が不足しているからなのではと。だから溢れ出てしまうのだ。「聴いてほしい」という気持ちが。

父の認知機能が弱まったせいで、母に満足のいく反応が返ってこなくなったのか。あるいは父の反応は以前と同じだが、母の方が変わって、我を通すようになった可能性も考えられる。

私は母に、認知機能が低下しつつある父のことを、しっかりとサポートしてほしいと無意識に願っていたようだ。それで父のセリフを奪ってまで話そうとする母に、正直言って辟易する気持ちが少しあった。しかし母だって既にサポートを受けてしかるべき側にいるのである。口が達者なので、つい忘れてしまうのだが。

親身になって母の話を聴いてあげるべきなのだろうが、なかなかそこまでできない私である。もっとも、私の内心の揺れなど意に介さず怒涛のように話し続ける母なので、別に気にしなくていいのかもしれない。

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