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08_日々、いい湯 -幸温泉(別府)-              

 手足がかじかむ冬のある日、気づけば朝まで机にかじりついていた。時刻はまもなく6時を回る。もう少しで朝風呂がはじまる時間だった。のどが弱くて暖房も苦手だから、とにかく着こんで寒さをしのぐ。今日はゆっくり家を出ても大丈夫。朝風呂で疲れをとって仮眠すると決めた。


 近くの共同温泉は、どこも同じ時間に扉を開ける。どの湯に行こうか迷ったけれど、まだ行っていない場所を思い出した。着替えと洗面具を持って、まだうす暗い寒空のなか自転車を走らせた。


 営業が始まる時間から20分ぐらいすぎていたはず。入り口の反対側に自転車を止めていると、半分ぐらい開いた窓から一番客の方々の声が聞こえてきた。


 幸温泉。単純温泉。ジモ泉。裏路地の一方通行の道に面した場所にある。二階が公民館、一階が温泉といった、よくある共同温泉の形式だ。
 
 番台のおばあさまは朝早くからしゃんとしてなさる。100円渡して入湯印を押し、扉をくぐる。おはようございます、まずこちらからあいさつする。地元の早起きじいちゃんたちもおはようと返してくれる。早いねえ、ここら辺の人かい。ちょっと離れてるんですけど、前から気になっていたもので。そうかい、まだちと熱いかもしれないけれどごゆっくり。


 脱衣所から浴室に移っても、こちらからのあいさつは欠かさない。湯をかぶると、とにかく熱かった。壁側には水の出るカランがあって、お湯八割、お水二割ぐらいで混ぜるとちょうど良い。手や洗面器についた泡が浴槽に入らぬよう、注意しながら身体を洗う。このあと眠ろうとしているはずなのに、あちちの湯でシャキっと目が覚めそうだ。

 全身を洗い終え、覚悟を決めていざ湯の中へ。思った通り、しっかり熱い。冬の風に当たってきたのもあって、からだじゅうがピリピリする。浴槽に直接水を入れる蛇口のとなりにいるはずなのに、30秒数えるのがやっとだった。一度上がって床にすわり、少し体を冷ましてまた入る。再び30秒を心の中で数えようとしたけれど、今度は15秒が限界だった。


 ほてった体が冷めないように、早々と拭きあげて脱衣所に通ずる引き戸を開けた。

 脱衣所には3人のおじ様たちがいらして、全員ほぼ服を着終えて談笑を楽しんでいらした。おじ様の一人が自分を見るなり、「早かったねえ、熱かったかい。」と声をかけてくれた。「蛇口のそばにいたけど、やっぱり熱かったです。」と正直に答えた。するとおじ様は、「ボクはここの組合員長だから。いざって時は、ボクが水を出してもいいよって言ったって言っていいからね。だからまた入りにおいで。」と優しい言葉をかけてくれた。

 ジモ泉はあくまで、地元の方々の生活の一部となっているものであって、たまに来るぐらいの僕らが勝手に水でうすめるのは良くないと思っていた。けれど、あつ湯好きな人もいれば、ぬる湯好きな人だっている。みんなそれぞれ、好きは違う。誰かの好き同士が混ざり合って、その日限りのお湯ができあがる。

 おじ様たちは、外に出る時に口をそろえて、
「今日もいいお湯だった。」
「今日も一日頑張らなね。」
にっこりしながら言っていた。

 地元のおじ様こそが、一番その日限りのお湯を楽しんでいるのだと感じて、気づけば明るい気持ちをいただいていた。


 帰り道、境川にかかる橋を渡る。

 横目でちらりと別府湾を見ると、朝の色に染まっていた。


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