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07_昼下がりの湯 -京町温泉(別府)-

 予定が空っぽの休日は、何も考えずに過ごしたい。
 最小限の家事をやり終え、ひと息つく。
 春が来た。近くの川沿いに並ぶ桜は、その年で一番美しい姿を見せようと一斉に花ひらく。風が吹いて花が散る。枝から舞う花はゆらゆらと川へ落ちてゆく。日本人はその景色に儚さを感じる。この感情はきっと遺伝子レベルで刻み込まれている。ずいぶん前に、ある友人が「桜はせいぜい80回ぐらいしか見れないからね」と言っていたことを思い出した。今年もしっかりこの目に春を焼きつけたい。
 

 こうも暖かいと外を歩きたくなった。昼食を済ませて出かける準備をする。手に持つのは洗面器、洗面具、タオル。散歩ついでに近くの湯屋に寄ると決めた。
 

 境川にかかる道路で足を止め、桜を眺める。土手には菜の花のじゅうたんも広がっていて、まさしく春の色が塗られている。そのまま一方通行の道を駅に向かって歩いていると、左手に湯屋の文字が見えてくる。今日の目的地だ。
 

 京町温泉。炭酸水素塩泉。ジモ泉。昼の14時から22時まで開いている共同浴場で、朝はやっていない。近くには若草、餅ヶ浜、弓ヶ浜温泉もあるから正直困らないのかもしれない。ここは一通道路の途中にあって、すぐ隣には田んぼが広がる。目を凝らさなければ建物の入り口にかけられたのれんの存在に気づかない。普段からよく通る道だったおかげで見逃さずに済んだ。


 のれんをくぐっても番台さんはいらっしゃらなかった。集金箱にお金を入れて、左の方へ進む。餅ヶ浜と同じく、2階が公民館、1階が温泉という構成で、浴室と脱衣所は引き戸で区切られていた。
 
 浴室は、入って右側の壁に対して長方形型の浴槽があって、左側の斜め上の窓から差し込む光もやわらかい。あまりの静寂さに、向こう側にもお客はいないと想像した。独泉だ。おかげで、湯を手でゆらぐ度にちゃぷんちゃぽんと大きくまわりに響きわたる。思わずほぉーーーーーっとため息をつきながら、ゆっくり肩まで浸かる。
 
 先客の湯加減が絶妙だったのか、熱すぎず、ぬるすぎず、長湯するのに滴湯だった。日頃から、あれもしなきゃ、これもしなきゃ、頭の中はあっちにこっち、行ったり来たり、止まらない。
 時にはうわぁーーーーーーって放り投げて自由になりたい。
 

 お昼を食べたあとだからか、眠くなってきた。まだ寝ちゃだめと言い聞かせ、あくびをしながら身体を拭きはじめた。
 

 無人の番台で入湯印を押していると、ガラガラガラと後ろから引き戸の音がした。
 地元のおばあ様ふたりがいらして、
「あら、あなたもこれから?」
「いいえ。ちょうどあがったところなんです」
「・・・そうね。近くならまた来てくださいね、それじゃあ。」
と言い残して、女湯の方へ進んでいった。
 
 扉を開けて、自転車にまたがる。
 
 ほわぁ。大きなあくびがまたひとつ。
 
 今日はきっと、ひるねが心地いい。



p.s. 
京町温泉は令和5年9月末をもって閉館した。
身近な湯屋が閉じるのは悲しい。


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