柿食えば

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

と、友人はうたう。
私の友人は稀有な人物で、まだ三十代だというのに、寺社仏閣をこよなく愛し、休日となれば近隣のそれに足しげく通うという趣味を持っている。
その友人が、この秋、結婚をするという。
私と友人の歴史は長く、知り合ってかれこれ10年はなろうかという。
私は女、友人は男、知り合ってすぐに恋に落ち、一年も経たないうちに別れ、それ以来、暇を見つけてはしゃべる間柄となっていた。
その友人が、この秋、結婚をするという。
友人は言う。
結婚をしたら、今までのように連絡はとれなくなるから。
生涯、音信普通となるので、よろしく、と。

あんまりじゃないか、と、私などは思う。
10年のつきあいのある、元カレ兼今友人の私より、ぽっと出の嫁を取るなんて!
そりゃあ残りの人生を考えたら、嫁のほうが長く付き合うことにはなる。
それを考えれば彼の選択は正しいに違いない。
けれど、けれど、それはないじゃないかと思わずにはいられないのだ。
私に、彼以外の友人はいない。
いったい、このやるせなさ、寂しさを何にぶつければよいというのか!

という夢を連日見るようになって、かれこれ一か月が過ぎようとしている。
きっかけは、彼が雑談の中で、「結婚して嫁に言われたら、音信を断つから
。」と言ったことだった。
よって、まだ彼は結婚しない。
ただ、いつかはするだろう。
その時になれば、彼の性格上、彼は容赦なく私を切り捨てる。
なんということか!
私は元カレ兼今友人の彼を、その瞬間に生涯失うことになってしまうのだ。
繰り返すが、私に彼以外の友人はいない。
こんなに寂しいことがあってたまるか!
何が鐘が鳴るなり法隆寺だ。
と、うそぶきたくもなるのである。

果たして、私は、いつか来るであろうその時を、ただ座して待つしかなく、そんな己がただただ悲しく、みじめで、情けなく、であれば私も相手を見つけるかとマッチングアプリに登録してみたりして、今ここにいたるわけである。
ちなみに、そのマッチングアプリで知り合った男性の一人とは友人になり、彼には日々の悩みを聞いてもらう間柄になっているが、その彼とは恋愛抜きで関係を進めることが確定している。
先の不安にかられて、早くも友人をゲットしたわけだ私は。

げにおそろしきは人の絆というものかもしれない。

はてさて、私の未来にどのようなことが待ち受けているのかはわからないけれど、うだうだ言いながらたくましく、したたかに生きていきたいものである。

と、今回の告白はここまで。
お読みいただきありがとうございました。

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