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山門の落としもの

私は「大門」の名のとおりの大きな門を見上げていた。

くすんだ朱色の柱には、勢いのある筆使いで書かれたお寺の看板がかかっている。振り返ると、目の前の光景とは別の世界が現れたように高層ビルがそびえ立っていた。

今日は初めて「テレビで見たことがある」東京の都会を訪れた。この摩天楼のどこかで社長をしているヨウコさんに会うのが目的だった。
慣れない土地に行くといつも迷子になる私は、約束の2時間前には最寄り駅に到着していた。

グーグルマップを頼りにあたりをキョロキョロ見まわしながら歩いた。出かける前に、ヨウコさんの会社が入っているビルの場所を調べたはずなのに、画面がくるくる回っていて目的地を示してくれない。
「いったん、仕切り直そう」
心に暗雲が立ち込めそうになるのを振り切るようにつぶやいて、私は画面から顔を上げた。空には雲ひとつない。

大通りから、オフィス街に足を踏み入れた。私の住んでいるところでは、お祭りのときしかやってこないキッチンカーがいたるところに止まっていて、カレーやパンの美味しそうな香りを放っていた。首から社員証をぶら下げたカジュアルな格好の男女が、天井の高そうなカフェやタワーのようなオフィスビルに吸い込まれていく。

私は大門に近づいた。

看板にはお寺の名前が書いてあるのに、門をくぐっても車道が続いている。歩道にある地図を見ると、私のいる、まさにこの道路が数百メートル先のお寺につながっていた。
昔は参道だったのかもしれないと思いながらゆっくりと歩いた。道沿いには、都会には不似合いな少し古めの家屋が並んでいた。地方でしか暮らしたことがない私は、郵便局やコンビニなどのどこにでもありそうな建物を見るとほっとする。

目の前に、ひときわ大きくお寺の名前が書かれた山門が現れた。太くて勢いのある文字が私を圧倒してきた。朱色が、青色に映えてまぶしい。あたりを通る車の音や、歩く人たちの話し声がふっと消えて、一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなった。数分前まで近未来のオフィスが立ち並ぶ大都会を歩いていたとは信じ難い。

気持ちを立て直し、山門をくぐろうとお辞儀をすると、足もとにゾウのぬいぐるみバッジが落ちていた。クリクリした目の青い色のゾウは、手のひら半分くらいの大きさでふわふわしていた。道ばたに落ちているのに、まだほこりも汚れもついていない。いつもの私なら、そのまま通り過ぎていっただろう。しかし、クリクリの目はじっとこちらを見つめている。私はなんとなく放っておけなくなって、ゾウを拾い上げて門をくぐった。

山門から本堂までの道端には木々が生い茂っており、私はその木陰にいた。

向かいではお坊さんが砂利道を掃いている。年季の入った作務衣を着て、慣れた手つきで落ち葉を集めていた。ときおり通りかかった参拝者と楽しげに話をしている。笑うと目がなくなる。
木陰のベンチに座った。ゾウはちょこんと私の膝の上にいる。
「ねえ、ゾウさん。どうしようね。」
せっかく東京まで出てきて、ガイドブックに載っていそうなお寺に出会ったというのに、私はこのゾウが気になって仕方なかった。ゾウのやけにいい毛並みを撫でながら、無邪気な目に話しかけた。

お坊さんは本堂に向かって音も立てずに歩き始めた。
「あのう、お勤め中すみません」
「かまいませんよ、どうなさいました?」
私は急ぎ足で砂利道をじゃっじゃっと進み、お坊さんに声をかけた。砂利が靴の中に入った。
「このゾウさんが山門の前にいたんです。そのまま置いておくのもなんとなく可哀想に思えて、こちらにお持ちした次第です」
警察に届けるようにと言われるかもしれないと頭を掠めた。
「ほほ、このゾウは忘れたころにここに来るんですよ。去年は小学生の女の子が、沙羅双樹の下で見つけていましたね」
1匹のゾウが白い花で敷き詰められた地面から、こちらをのぞき込んでいる。雲の中に浮かんだようなゾウを見つけて、満面な笑みの女の子が駆け寄っていく。
そういう風景が頭の中に浮かんだ。

「そして、このゾウに出会えた、ということは……」
お坊さんは、優しい声でそう言って、慈しむようにゾウを見た。ゾウの毛が風で少し揺れた。

最後の部分は、葉が舞う音で聞き取れなかった。何かをつぶやいたあと、お坊さんは私の手からゾウをスッと取り、自分の手のひらに置いた。ゾウに向かって穏やかに声をかけている。クリクリした目がキョロっとこちらを見たような気がした。
私は仏前でお経を聞くときのように目を瞑った。靴に入っていた砂利の感覚が消えて、ふっと一瞬、体が軽くなった。

そよそよと風を感じ、観光客の声が聞こえた。目を開けるとそこにお坊さんの姿はなかった。本堂を見ても山門を振り返っても、お坊さんが見当たらない。立ち去る足音も聞こえず、動いた気配すらしなかった。
ゾウは、何もなかったかのように私の手の中にいた。青くてこっけいな目をして、相変わらず毛をふわふわさせている。
私はゾウを両手でつつんで、一緒に本堂をお参りした。忽然と消えたお坊さんのことはずっと気になっていた。

時計を見ると、待ち合わせの時間が迫っている。私はゾウを連れてヨウコさんのオフィスに向かった。

大門から出てしばらく歩き「たぶん、この辺だと思うのだけど“……」と、祈る気持ちでグーグルマップを開きかけたそのとき、ゾウが勢いよく私の手から飛び出た。そのままコロコロと、とあるビルの生垣の近くに転がっていった。私は急いで駆け寄り、ゾウを拾い上げた。顔を上げると、ヨウコさんの会社の名前が書かれた案内板が飛び込んできた。
「助かった」
私は、ふぅっと息を吐き、ゾウをギュッと握りしめた。手の中がフワッと温かくなった。私は、銀色のオフィスビルに足を踏み入れた。

社長室は白と木目調の無駄のない色で統一されていた。中に入ったとたん、私は自分の目を疑った。彼女のデスクの上に、まさに同じゾウが置いてあったのだ。
ヨウコさんは、私の驚いた表情を見て「山門で?」と聞いた。私は返事をするよりも早く、出会ったばかりのゾウをバッグから出した。
ヨウコさんは、人差し指を自分の唇にあてて「シーッ」と言った。その目は笑っている。ゾウのふわふわの毛並みを右手に感じながら、ヨウコさんにつられて私も笑顔になった。

窓には秋晴れの眩しく透きとおるような青空が眩しく広がっていた。私たちは日のあたる机にそれぞれのゾウを並べた。
2つの落としものは大きな影をつくって、いまにも遠い空に飛んでいきそうだった。

 


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