体罰に関する認識について意見を求められた時のこと
先日、ある研究会にて体罰に関するお話があり、
「参加者全員が体罰について、どんな認識を持っているのか、伺いたい」との講師の希望がありました。
第一声ってなかなか言えないので、私が口火を切らせてもらいました。
今日はその時に言った内容をまとめてみます。
個人の意見ですので、全ての人に共感はいただけない部分はあると思います。
まず、体罰は全否定派です。
学校教育法11条に「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。 ただし、体罰を加えることはできない。」規定されていますので、体罰の是非というより「してはいけない行為」だと思います。
そのうえで、どのような時に体罰をしようとするのか、その条件や環境を考えてみると、
・生徒が全く自分の言うことを聞いてくれない
・生徒は威圧的な言動で教員を圧迫してくる
・教員に精神的余裕がない
など、教員の感情を逆撫でるような行為や教員側のメンタル状態が想像できます。
次に、「~だから仕方ない」というフレーズに当てはめてみます。
SNSでよく見られる否定的なものを一部肯定する時に使うものです。
・生徒指導が大変だから仕方ない。
・威圧してくるので、仕方ない。
・多忙だし、見合う給与をもらっていないので、仕方ない。
などとして、使われるのですが、その後ろに「だから、体罰しても良い」を繋げても全く共感できません。
教員が体罰という手段を取るということは、生徒に対し、
「困った時の問題解決の手段として、暴力行為をしても良い」
と教えることになります。
強硬な問題解決手段の再生産、連鎖です。
民主的な態度とは考えられません。
それ以外の手段を考え続けるのが専門家だと思っています。
そのために私はアンガーマネジメントも勉強しましたし、相手に取ってもらいたい行為を伝えられるためのコミュニケーション技法を学び続けています。
ここまで書きましたが、自分の実践を振り返ってみますと、自分は体罰をしませんが、同組織の教員が体罰をしていたと耳にした時に直接問い質す勇気がなく、黙認のような形を取ってしまったことがあります。
それは心残りですし、自分の弱さだと思っています。
上記のようなことを伝えました。
講師の方にも概ね共感はいただけたようです。
福祉の会合だったので、体罰についての認識を尋ねられたので、他の参加者は自己語りと枝葉の多い話に終始していたように感じます。
それはそれで仕方ないのかもしれませんが、色んな社会問題について、「あなたの見解は?」と尋ねられた時に誰かの意見ではなく、自分の意見で考えるようにしていきたいですね。
本日は以上です。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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