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植木屋さん

高い木にのぼり、
枝を剪定しているひとたちを見た。

母ほど年の離れた仕事仲間Hさんと、
その様子を一緒にながめた。
「こんな仕事もあったのねえ。
事務しか知らなかったから、
事務員になったけど。
知っていたら私やっていたかもしれない」
Hさんらしいなと思った。
Hさんのベースには、
なんとかなるさ精神 がある。
その明るさに私はかなりすくわれている。

そんなHさんが木にのぼる姿を想像する。
おもしろい。弟子になりたい。

近所の家はいつも業者に頼んでいる。
プロはすごい。
そこの家だけ、樹形がお見事。
ふわーっと広がっていくように
(グリコのポーズがぴったり当てはまる)、
枝が自由にのびのびとしている。

剪定しているところを見たことがある。
脚立に乗って、ひと枝ひと枝、
方向を確認して切っている。
私はずっと見ていたかった。
おじさんに話しかけたかったけれど、
話しかけて大丈夫そうなひとか
見極め不十分であきらめた。

私は剪定するのが好きだ。
うちには庭はなくて植え込みがある。
そこに木がいくつか。
イメージはあのおじさん。
私はあのおじさんになって切る。
もさもさしたところを
風通しよく、風通しよく。
脚立にのぼり、枝の方向を確認し
切り落としていく。
前より樹形が少しだけよくなったと思う。

今朝もゴミ捨ての時に、
あの家の木々を見上げた。
ため息が出るほど美しい。

残すべきところは残し、もしくは
のばすべきところはのばし、
不要なところは切り落とす。

そうするといいんだなあ。
そうだよなあ。

プロの剪定した木々を
ゴミ捨てにいくたび、
そうだよなあ、と
見上げている。