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鬱っぽくて本が読めないので動画について書く

ここ一年間潰瘍性大腸炎の治療がうまくいかず、炎症が収まる気配を見せなったせいか、自分のもう一つの特徴である、鬱的感情と負の思考が前面に出てきてしまっている。小さく目標にしていた、本をひと月何冊か読んで自分の哲学を構築するといった使命もストップしている。目標にしていたことがまともにできないことを自己嫌悪し、さらに鬱屈し、それによってまた更に集中力や興味関心の能力が低下していく、それによって・・・といった負のループの中に今現在いる。

そんな中一つ私に癒しを与えてくれた動画。この動画の中でひたすらに自分自身であることこそが、精神に平穏を与えてくれる必須の条件であると再認識した。

曰く不幸に陥っている人に共通する特徴とは、強迫的に他人と自分とを比較する傾向にあるらしい。

ウサギと亀の話の奇妙さは改めて指摘されると確かにうなずける。根本的に運動能力が劣っている亀が運動能力勝負の場に引きずり込まれている。単一の価値の上で一喜一憂することのおかしさである。ウサギは亀に、その価値観の上で勝負することを強いた。足が速いほうが勝つことが至高とされる世界に引きづりこまれれば、亀はいつしか絶望してしまうだろう。

白鳥は美しい。その美しい体躯から、美しい声を期待されるが、白鳥の体の構造的に美しい声を出すのは不可能である。美しい声を期待するのであれば、どうぞほかの鳥へ目を移してください。白鳥には美しい声を出すのは不可能なので。自分自身であることを恐れず主張すること。不可能なものは、やっぱり不可能であることを認識すること。そう言えないことが不幸への決定的な第一歩である。

まあでも、自分自身であることとは、自分にはできないことがあると認めることである。あきらめることも苦痛を伴う。自分の欲望を否定することが苦痛でない人はいない。人間は生きていく以上、悩みからは解放されない。でもそれは、絶望でも何でもないはずだ。苦痛と共に、悩みと共に、虚無と共に生きていく。今そう決心したのであった。

哲学に関することを読んだり考えたり書いたりしているうちに、なぜか数学に関する興味関心が湧き上がってきた。その過程を説明するとこんな感じである。最も確からしい論理展開は存在するか。存在するとしたらどんなものか。厳密に用語が定義され、同じ言葉でも違った対象を指すことのないような学問はないものかとぼんやりする。あるではないか数学が。ということで哲学的な本を読む傍ら、数学に関しても学んでいこうと思う。その際、学びの深さと進捗は他人と比較しすぎないようにして。自分自身を忘れずに。

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