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日記と学習帳を兼ねた自由帳。鬱と潰瘍性大腸炎と共にどう生きるかを考えながら暮らしていま…

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日本哲学史 藤田正勝 学習ノート

目次 序 章 日本の「哲学」と「哲学史」  1 「哲学」をどう捉えるか  2 哲学史とは何か ■第一部 受容期――明治の哲学 第一章 明治前期の哲学  1 「哲学」受容前史  2 西周による哲学の受容  3 福沢諭吉と近代日本の学問  4 中江兆民――「理学」としての哲学 第二章 大学という制度(アカデミズム)のなかの哲学  1 東京大学におけるフェノロサの哲学講義  2 現象即実在論――井上哲次郎・井上円了  3 哲学史の著述を通しての哲学受容――三宅雪嶺・清沢満之

    • 朝倉未来引退しちゃうのかな・・・

      思わずnoteに向かいたくなるような熱量の文章がインターネットに転がっていた。触発されたので一人の格闘技ファンとして語ってみようと思う。 肉体が鍛え上げられ、心に充実感と情熱があって、自分が負けるはずがないと、完璧に自己催眠状態になっていたころの朝倉未来の戦いが鮮明に思い出される。グスタボとの戦い本当に面白かったな。最初のフェイントを織り交ぜたハイキックから、体をくるりと回転させてカウンターパンチの応酬。体を密着させたときの、グスタボの腰の強さがえらい印象に残った試合だった

      • 人は死ぬ前に何に後悔するのか

        この本を図書館でチラ見した。どうやら人間はやろうと思えばできたのに、やらなかったことに後悔するようにできているらしい。単純であるが、まあそうだろうなと納得のいく答えである。 いつかやりたいと思っていることはすべてやったほうが身のためなのだろう。人間の生というのは本当に一度限りしかない。 自分の理想的な死とは何かを考えることが、自分がどう生きていくことがよい人生なのかを考えるいい機会になる。いい人生とは何かを自問自答し、考えつく限りそれを次々と実行していければ、必然とその瞬

        • 引きこもっていることもつらくなってきた

          体調がすぐれない。別に血便を垂れ流していた以前のような悲惨な状態ではない。それなのにもかかわらず、気分がさえない日々が続いている。 孤独がつらい。今ははっきりとそう感じる。だけども15歳以来ずっと続けてきたこの生き方を方向転換できる気がしない。 社会で生きるということは、他者との折衷の中に生きるということだ。それが私にとってはつらい。1年ばかり努力して適応しようと思ったら、潰瘍性大腸炎になってしまうくらいには、私にとってストレスのかかることなのである。 社会でも生きられ

        日本哲学史 藤田正勝 学習ノート

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          シンポニーからジセレカへ薬を変更することになった 潰瘍性大腸炎日記

          いつもの治療記録。シンポニーも感触は悪くなかったが、結局ステロイドを抜いたら週を追うごとに症状が悪化してしまった。そんでまたステロイド20mmから再開。全く困った困った。 今週からステロイド15mmとジセレカで治療することになっている。jak阻害薬は果たして私の潰瘍性大腸炎に効くのでしょうか?効かなきゃ死! ステロイドって腹の炎症は良くしてくれるんだが、躁になりがちで眠れなくなるのが大変に不便である。睡眠って本当に大事ね。早く12時間くらい眠りたい。 いつまでもステロイ

          シンポニーからジセレカへ薬を変更することになった 潰瘍性大腸炎日記

          個人的な苦しみの起源、反芻の源泉

          地味だが強烈な鬱のさなかにいる。困ったものだ。私の鬱的ものの中心症状は反芻が全面化して避けられないものになることである。まあ本当にいつものことである。ただ本当に困ったものである。やたらと反芻されている思考が避けがたいものになる。ただ何を主題として反芻が起こっているかが記憶されない。いつもこの状態になると苦しい思いをしているという実感だけが残る。感覚として、やたらと痛い思いをしたという実感だけが体に沈殿する。それが何に関することに対する思考だったが、何一つ残されないような思考で

          個人的な苦しみの起源、反芻の源泉

          潰瘍性大腸炎日記

          シンポニーでの治療を始めて2か月ちょっと、半年ほど続いたステロイド治療が終り2週間ちょっと経つ。どうも腹の調子がまたおかしい。シンポニーの追加注射があったその週は劇的に症状が抑えられている感じがしたのだが、よく知る体のだるさ、重さが顕在化してきて、また炎症がひどくなってきてしまった感じがする。疲れた。もうステロイドは飲みたくない。 出血がひどくなってくるとおならをするにも一苦労である。粘液や血液が出ないように意識していないとふいに漏らしてしまう。漏らした後はとても嫌な気分で

          潰瘍性大腸炎日記

          私が死んだら私の主観はどうなる?

          眠っていたいことを認識できるのは起きてからである。眠っている最中に眠っているとは認識できない。今日いい睡眠だったと判断するのは、または悪い睡眠だったと判断するのは、結局起きてからである。 死とは起きることのない睡眠である。つまりは永続的に自分が寝ていたことを認識できない睡眠である。それが何を意味するのか。今の私にはわからない。 今、私が確からしいと納得して書けるのはここまでである。この主題に関して腑に落ちた何かを手に入れることが出来たら、ここに追加していくことにする。

          私が死んだら私の主観はどうなる?

          最近の状況

          時間がのっぺりしている。思考がないせいだろう。ぼんやりとユーチューブを見て、fpsをし、またぼんやりとユーチューブを見る生活。考えていることがなくなった。考えるための主題が消えた。少し前まで哲学に興味がわいて、必死こいて読んで考えていたが、思考の筋肉が突然伸び切ってしまって、そこからぼんやりと過ごすことが多くなった。こうなったのにも私なりの理由はある。少し前まで、私は絶対の真理を求めて哲学へと接近した。この絶対とは、私にとっての絶対などではなく、人類のこれまでのすべてを内包し

          最近の状況

          鬱っぽくて本が読めないので動画について書く

          ここ一年間潰瘍性大腸炎の治療がうまくいかず、炎症が収まる気配を見せなったせいか、自分のもう一つの特徴である、鬱的感情と負の思考が前面に出てきてしまっている。小さく目標にしていた、本をひと月何冊か読んで自分の哲学を構築するといった使命もストップしている。目標にしていたことがまともにできないことを自己嫌悪し、さらに鬱屈し、それによってまた更に集中力や興味関心の能力が低下していく、それによって・・・といった負のループの中に今現在いる。 そんな中一つ私に癒しを与えてくれた動画。この

          鬱っぽくて本が読めないので動画について書く

          インターネットが怒りっぽくなっていると語られているらしい

          インターネット、もといsnsが現実に浸食されて久しい。その変化が表れているのだろうか、相互コミュニケーションの領域で、怒りを目の当たりにする経験が増えているとの声が聞こえる。確かに最近のxなんかは妙に男がどうたら、女がどうたらうるさいっちゃうるさいのである。と自らの経験に引き付けて話したいのだが、困ったことにそういった勢力の書き込みを見つけた瞬間即ブロックしていったかいあって、私のxには一切流れてこないので、なかなか共感しずらい。困ったものだ。私の精神衛生上非常に有益な環境構

          インターネットが怒りっぽくなっていると語られているらしい

          哲学って何を対象にした学問なのだろうか?というか哲学って何?

          自分史上空前の哲学書ブームが来ている。前々から好きな領域ではあったのだが、少しばかりそうしたことへの興味関心が薄れていた。だがニッポンの思想を一読したのを皮切りにして、次々に積読してあった哲学史の本に目を通し、カントやヘーゲル、マルクスなどの本格な哲学書を理解するには、その周辺知識を頭に入れておかないと理解に近づくことすらできないだろうと、やけになって当時の政治、経済、社会、宗教などの知識をこの身にしようと苦闘している。また哲学思想に対する情熱が沸き上がるなど、夢にも思わなか

          哲学って何を対象にした学問なのだろうか?というか哲学って何?

          柄谷行人 トランスクリティーク 感想やらメモやら

          哲学史や哲学入門書とは打って変わって、本格的な哲学書の何たるかはその難解さに現れやすい。哲学をするとは、これまで認識されていなかった概念を想像することであるから、もっぱら抽象的な行いである。私たちの日常生活の舞台においてほとんど現れないことや、現れたと認識されていないことを語るこの行いは、意識して考えていない状態の人間にとって、ことさらに距離の遠い行為である。さらに言うなら考えているはずの人間にとっても遠いことである。私たちはなんだって自分にひきつけつけて、自分との連関の中で

          柄谷行人 トランスクリティーク 感想やらメモやら

          暇と退屈の倫理学 國分功一朗 感想とメモ

          暇と退屈ほど身近でありながら、思考の対象に上っていなかったものはないだろう。いや、正確に言うならば輪郭がぼやけすぎてどうとらえ、どう語ればこの現象?概念?をうまいこと哲学できるか悩ましいものはない。 つい最近、高度消費社会や情報社会と苦痛、不安の関係性を考えていた私にとって、非常に有意義な時間を与えてもらった気がする。 人間は退屈を逃れるのなら事件を望み、なんなら自分自身に不幸が降りかかっても構わない倒錯に陥る。退屈な現実をいかに逃避できるかを試行錯誤している。 著者の

          暇と退屈の倫理学 國分功一朗 感想とメモ

          潰瘍性大腸炎日記 2024、1月2月3月の状態

          肉体の状態が悪くなると精神がそれに対抗するのかいつもより元気になる、まあこれは何度も経験してきた躁だ。なんてことはない。いつものやつだ。 一本10万もするシンポニーの治療を受けだして2か月くらいたつ。縁の下の力持ち的な効能しか出さないシャイな奴だ。もっとシャキッと粘膜治癒までもっていきたいのだがそうは問屋が卸さないらしい。 2023年10月か11月ごろからステロイド30mmで始まった治療も、なんやかんやで2.5mmまできた。上気した通り粘膜治癒に至らず、持続的に粘液と血液

          潰瘍性大腸炎日記 2024、1月2月3月の状態

          私=自我=他者?

          前回の記事にも関係するだろうか? 赤ん坊は何も持っていない。そこにはただ学習能力だけがある。 赤ん坊は言語を吸収する。 言語はもちろん赤ん坊が生み出したわけではない。 他者が他者と通信するために生み出した精密なプロトコルだから。 赤ん坊が生み出す言葉もある。あーとかうーとか。言語水準未満。 赤ん坊はまず言語という他者を己として同化する。 そして同化した他者たる言語で提示された他者の価値観を吸収していく。 最初は家族とか養育者の価値観を吸収する。 そのうち幼稚

          私=自我=他者?