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ポジかネガ

"楽観主義"と"悲観主義"
よくコップの水がまだ少しあるかもう少ししかない
なんて話の例えで聞きますね。

僕はどちらかというと悲観主義です。
悪いことが起こったわけでもないのに、こうなったらどうしようとか
そうなった場合はこう対処しようなんていくつか考えて結局何も起こらず無事に事が終わるなんて言うのがざらにあります。

ありもしない先のことで恐怖したり、そこに余計な労力を使ってしまいます。少しでも不安要素があるとそこに頭が支配されて影響をうけます…

行動や考え方で変えていくことはできると言われていますが、
自分自身の根底に根付きすぎて変化していくのがなかなか難しく
なんなら尚更に深くなっていくし、自分の首が尚更締まっていく
感覚にすらなってしまいます。
そもそもそれを変えたいのか、また別の考えが浮かんできたり
わけがわからなくなってきます。
基本はそこまで考えないのですが、何か問題があった時に
考えがやはり悲観的な方向に行きがちなので、問題と一緒に芋づる式に
どんどん色々考えてしまいますね。

ただ少し前から悲観主義を霞ませると言うのか誤魔化すと言うのか
そんな事ができるようになってきました。

その理由が二つあって一つ目が"日本人は不安遺伝子を持っている人が多い"
これですね、不安遺伝子は不安の感じ易さを決める遺伝子だそうで
人種によって異なるそうですが、その割合が多いらしいです。
諸説あるらしいですが、日本は自然災害などが多いので危険予知=不安遺伝子が多い人間が残ってきたなんて説もあるとのことです。

これを知ってから"なんだそう言うことか"と自分の中ですとんと腑に落ちた感じがしました。
流石に遺伝子には逆らえません。
でも、悲観的な考えや不安になっても「あ、これは不安遺伝子が多いからここんな考えになっているのか!」と思考をそこで切り離す事ができるようになりました。

全ての不安に対してその考え方ではなく、不安(あくまで危険予知)は参考にしつつ、考えがあまりに深く飛躍してそうな時は遺伝子のせいという
完全に都合の良い解釈をするようになりましたね。
一つ目のこれを知れたのは自分の中でとても大きかったです。

二つ目は"いずれ終わりが来る"
これですね。極論ですが…
よく言われていることですが、"人生は一度きり"
耳にタコができるくらい聞く言葉である意味当たり前です。
この言葉がわかっていながら、終わりはまだ先のことだななんて
呑気に思ってしまっている自分がいました。

その考えは改めました。
かといって毎日高尚なことをして無駄なことを一切しないというわけではありません。
ただ、悲観しすぎたり過去や未来への不安に囚われすぎて何もできなくなってしまうのはやめにしました。

この二つは自分に深く刺さったことですね。

時間切れになりました。
それでは、また明日。

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