恋多き半生

自分の人生を語るにあたり、主人公たる自分よりもヒロインの方が魅力的な半生でした。

僕には今まで3ヶ月に1回くらいの頻度でハマってしまう思考のループがあります。特に最近はその頻度が高まっていて。

それは「このまま今の生活を続けて楽しいのかな」ということ。

本当にありきたりな話ですが、1日の始まりに仕事に向かい、1日の終わりに仕事から帰ってきて、仕事以外の感想を得ることもなく、日々を終えていくことに虚しさを感じてしまうわけなのです。

そうなると真面目に別の分野について勉強して「今とは違う」職業に就きたいと考えたり、今住んでいる場所とは「別の場所」に住んで、フレッシュな気持ちで毎日を迎えたいと考えたり、ただぐうたらしたいと考えたり。

要するに現状の生活を変えたいと望んでしまうのです。

そして一度そのことについて考え始めると、だんだん憂鬱になり、「これは天啓だ!」と思ってしまうような考えに至るまで負のスパイラルに陥ってしまう。

まあ、天啓だと思って出た答えも、時間が経てば陳腐な考えになってしまうんですが、ひとまずスパイラルからは抜け出せます。

それで今週も鬱々と「自分の人生について」という、なんとも哲学者みたいなテーマで悩んでいたんですが、最近何か足りないというか、本当に楽しみがない感じがして、すごく絶望的な状態なんです。

今までも似たような状況になったことはあるはずなんだけど、どうやって乗り切ったんだろうということを考えていた所、はっと気づいたことがありました。

「好きな人がいない」

アラサーが何をティーンエイジャーみたいなことをと思うんですが、これって僕にとって大事なことで。

幼少の頃から、身の回りに好きな相手がいることは自分にとって当たり前の状況だったんです。

保育園で好きだった相手と中学校で再開したり、小学校で転校する前に好きだった相手と高校で再開したり、付き合った相手に一週間で振られたり、いい相手に会えたかと思えばまた振られたり。

よくよく思い返してみれば、ドラスティックな展開に恵まれた半生でした。

重度の恋愛脳なのはわかっていますが、きっとこれが自分の人生なのです。

だから、自分の職業とか住んでる場所とかは些細な問題で、僕が一番熱量を注ぐべきは「どんな相手に出会えるか」なのではないかと今回の天啓を得た思いでした。

結局は「人」なんだなあ。

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