スピッツが聴けるようになったら、春も終わり

春も近付く年度末、今のところ頑張って生きている。

最近の自分の感情の動きについて思索を巡らせてみる。ほど近い将来に不安を持ちながら、なんとか気を紛らわせて心の平衡を保っている。今は報われなくてもいつかはきっと、と先延ばしにしてきた希望が訪れる日、それが今であれば良いなと願いながら。

そういえばスピッツが聴けるようになった。なんでだっけ。
最近、YouTubeで見つけたブランデー戦記のMusicaという曲を気に入ってる。今っぽい言い方をすると、最近バズってるらしい。自分の感性なんてまあ万人と同じもんか、なんて勝手にスレた思いを抱きながら。
確か、他に曲は出してないのかと調べていた時だった。ブランデー戦記と共に最近の気鋭っぼい若手バンドが取り上げられている記事を流し読みながら、そういえばあのバンドは何をしてるのだろうと考えた。「あのバンド」って、いつか一緒だった人が音源配信とかしてたバンドのことだ。当時デモ音源とかもらって感想を求められたりしていた、それを少し誇らしげにここに書いていることに気づいて自己嫌悪に陥っていたりするけれど。
バンド名で調べると、SNSでちゃんとアーティスト写真とか出てくる。顔もしっかり出てる。でもあれ、こんなもんだっけ、と思った。あの時、特別なオーラみたいなものを感じていた人が、今は「普通の人」に見えた。終わったんだな、と思った。あの春が。

スピッツが苦手だった。おこがましくも敵視していたと言っても良い。ことさらに、草野マサムネの好きなところなど語ってきたものだから。幼稚な嫉妬だった。春が終わり、春にまつわる全てのものが自分を苛む記憶になった時、スピッツも例外ではなかった。スピッツへの嫉妬も引きずったまま。それ以来、スピッツが苦手だった。

春の始まりを感じながら、3年ぶりにちゃんとスピッツを聴いてみる。良い曲だな、と思った。余計な感情は湧いてこなかった。ロビンソンを口ずさんでみる。何ともないね。

春風が心を抜ける、なんて健やかな気持ちになるかと思いきや、案外そうでもない。春の空気が心にまで及んできたら困る。最近、花粉がひどいもの。それに一つの春が終わったのは、風化もあるけれど、違う希望を見出したからだと自分は知っている。全力で楽しみつつも、その希望めいたものが、いつ自分の目の前で弾けてしまうのか考えれば考えるほど不安が募り、いつかの春の終わった余韻に浸る暇なんてものはない。

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