MCは最後に「ありがとう」としか言わなかった(カネコアヤノ 6/21)

原宿駅前の改札を抜けると、難なく知った顔を見つけた。遠くから大変だったろうに。そんな素振りは見せない古い友人。

カネコアヤノのライブ当日。
出発直前にトラブルが起きながら、仕事を早めに切り上げて都内に向かった。ライブに行くのって2019年のホームタウンツアー以来だ。





開演前のNHKホールの雰囲気は、今思えば昔行ったさいたまスーパーアリーナに似ていたような気がする。中高6年間片思いをしていた人とライブに行ったあの時の多幸感みたいなものは、今日はないはずなのだけど。不思議だ。

テレビ越しに紅白を見ていると巨大に思えるNHKホールだけど、いざ席についてみると意外とステージが近くに感じる。目が悪いから、開演後にカネコアヤノの表情を読み取れることはなかったけど。

舞台袖から出てきたカネコアヤノは黒い出立ちで、確かに小さくて可愛らしい人だな、と誰かの言葉を思い起こす。

ライブ中、最近、カネコアヤノのことを話していた人を思い出すかなと思っていたけれど、案外そうでもなかった。むしろ、2021年くらいに聴いていた曲も多くて、いつかの春を引きずっていた時の気持ちが蘇ってくることが多かった。それはどこか懐かしく、壊れそうなくらい透き通った気持ちを思い出させた。結構、カネコアヤノ聴いてたんだな。

表題曲の『タオルケットは穏やかな』から始まる、最初から全速力のライブ。
『予感』、今回のアルバムで特に好きな曲だったから嬉しかった。
『ゆくえ』を聴いて、「共感することが多い曲」と言っていた人の言葉を思い出す。「愛する人へも秘密はあるだろう」って。四分の三どころか、四分の一でも良いから君のことを知りたかった。
『車窓より』の寂しげで、けれど温かみを感じる、赤い照明の色をよく憶えている。
『グレープフルーツ』の曲名を思い出した時、この曲を聴いていた当時の自分も蘇るような感じがした。

曲ごとに過去と最近と今とを行き来しながら、自分の中の何かが透き通っていくような感じがした。いつかの自分は、「カネコアヤノのライブに行けるまで生き延びたい」と書き残していた。そこまでの想いはちょっと今では意外だったけれど。でも生き延びてきて本当によかった。心からそう思える時間だった。

『こんな日に限って』と『わたしたちへ』の熱量を目の当たりにした時、あぁもうすぐこの時間は終わってしまうのだなと分かって寂しくなった。
響き渡る声。かき鳴らされるギターの音に一瞬、何かの希望が見えた気がした。この音が好きだと思える感性があって良かった。
そうか。いつか「男性がカネコアヤノのどこを好きになって聴くかわからない」と言われた時、上手く答えられなかったけれど、もしかしたら自分には、このギターの音が答えだったのかもしれない。もう遅いけれど、あの時そう言えたら良かったな。


帰り際、渋谷で夕飯を食べることになって、ラーメンとビールを奢らせてもらった。
友人がいなければ、きっとこの場には来なかっただろう。チケットを売り払っていたかもしれない。ライブ中、隣に違う人がいたなら、と考えたこともあるけれど。もしもがあったなら、何を感じていたのだろう。知ってみたかった。でもきっとこれで良かった。
そんな本心は、薄々勘付かれているかもしれないけれど表に出さず、ただ「遠くから来てもらったから」と理由をつけた。
これでもう、「あり得たかもしれないもしも」に考えを巡らす日々は終わった。虚構の中で歩いていた渋谷は数年ぶりとは思えず、以前よりずっと鮮やかに見えた。

MCは最後に「ありがとうございます」と何度か。それだけだった。ありがとうと言うべきはこちらだったのに。

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