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あ、漏れる

母は日に何度もトイレに行く。
それ以外にソファを離れることがないから、殆どないから、まあいいけど、
あまりに多いと苦笑いしかない。
ちょっと体勢を変えるたびに、
「あ、漏れた」
と言って立ち上がろうとする。
トイレに行くつもりだ。
「パットばしとっけん少しくらいいいとよ」と言ってみても、馬耳東風。

「よっこらしょ」
両脇に手をつき、腰をあげようとするけれど、
それではうまくいかず、目の前のテーブルに手をつきなおし、
それでもなかなか尻が、腰が上がらない。
手を差し出すけれど、どこをどう助けたらいいのか分からないから、
取りあえず、母の目がとらえるところに手を出しておく。
ここぞと思う時に私の手につかまればいいと思う。
むやみに助けようとすれば、不本意なところに力が加わり、かえって危ないようだと理解している。
身体ごと抱き上げようとすれば、嫌がられる。
見守るしかない。
立ち上がるまでの僅かの時間が母にとっても、私にでさえかなり長い時間のような気がする。勿論、気の所為。
どうにか立ち上がり、そこでの長い滞在を経て戻って来たと思ったら、
「あ、漏れる」と言って
すぐにまた同じ動作を繰り返すこともままある。

食事の前はいつも確認する。
「おかあちゃん、ごはんにするけど、トイレ行ったら」
「よかよ」
「そうね」
テーブルを拭き、漬物を出し、ゆっくりと事を進める。
きっと母はトイレに立つ。そしてなかなか戻ってこない。動きが遅いから、あまり早くに準備すると冷たくなりそうで、母のトイレの時間を考える。
行かないことはない。
食事をしようと体勢を動かすと必ず
「あ、漏れる」
と腰を浮かせる。
もう、先刻承知。
母がどういおうが、必ずすぐに
「あ、漏れる」
だから、食事の準備の最後は母のトイレだ。

頻繁に行くから、母自身もそれを理解しているのか、
立ち上がった時に、テレビをにらむようにして言った。
「また手ば振りよっ」
「え」
「また、立ったっち笑いよっ」
「え」

テレビの中の誰かが母を見ているらしい。


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