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移住者インタビュー①板さん夫婦

 新型コロナがいっこうに終息の兆しを見せない中、都市部で人口変動が起きている。転入超過だった東京都の人口がコロナの影響受け、毎月3,000人前後の転出超過となっている。多くは千葉、埼玉、神奈川など東京近郊への移住だ。

 しかしテレワークを勧める企業も増え、月に数度の都内出勤なら交通の便は少し悪いが家賃が安く子育てもしやすい都市部近郊に引越そう、と決断した勤労世帯が移動し始めているようだ。
そんな東京脱出組の中には、どこでも仕事ができるなら、いっそ「ど田舎」に引越そうと考える人たちもいる。北海道東部の中核都市・釧路市から35キロほど離れた鶴居村に移住した夫妻に話を聞くことができた。

 鶴居村は、面積の3分の1ほどを釧路湿原が占め、丹頂が生息することで知られている。面積は東京23区とほぼ同じ。人口密度は全国市町村で下から30番以内というから、いかに「反密」な辺境地か想像できるだろう。
主な産業は酪農で、乳牛は村民人口の数倍。丹頂も1,000羽近く生息している。牧草地が視線の彼方まで広がる中、牛が草はむ風景はどこか北欧の田舎を彷彿とさせる。

 冬にはマイナス20度になる極寒の地でもあり、辺境移住といってもこれ以上の辺境の地はそうそうないだろう。近くには阿寒湖や摩周湖がひかえ、温泉も湧く観光地なので短期間のワーケーション程度なら理解できるが、移住となると話は別だ。


「辺境移住テレワーカー」になった板宏哉さん(33 歳)・久美子さん(30歳)夫妻に話を聞いた。

「8キロほど先に両親が住んでいるので、実際はUターンですかね。でも自分は一度も住んだことのない2,500人足らずの村ですから、辺境移住テレワーカーといっても間違いじゃないかな(笑)」と宏哉さん。

「今もビジネスミートという東京のコンサルタント会社で働いてます。釧路で育ち高校卒業後、浪人したり、住み込みで旅館で働いたり、イランでホームステイしたりいろいろありましたが、22歳の時上京しました。最初はフリーター生活でしたが、25歳の時今の会社に就職しました。契約企業100社へのIT指導などが仕事の中心です」

「住まいですか? 家賃13万円の世田谷代田のマンションでした。子どもがいないので結構都会生活を満喫していました。でもこのまま東京で子どもが生まれ、定年まで暮らすことは想像できなくて、戻ってもいいかなと思ってました」

若いながら宏哉さんは、卒業後いろいろな社会経験を積んできているようだ。
「でも今年3月からのコロナ自粛で踏ん切りがつきました。社長からリモートで仕事できるからどこで働いていいよと言われて、最終的に背中を押された感じです。そうだ、両親が移住した鶴居村に行こう、って」 
それまで何度か両親の住む鶴居村に帰省していて、東京の郊外のような釧路とは違い、大自然で暮らす両親の生活に憧れていたと、板夫妻。奥さんの久美子さんも移住に前向きだった。

「私は秋田生まれなんです。ご両親が移住したと聞いて帰省したら、半径2キロに人家もない原野の中なんでびっくり。丹頂が棲むこの村の自然に魅了されました。田舎は知っていますが、ここまでの自然はないですから。」

移住といっても両親の家に住むわけにはいかない。今の住まいは釧路の不動産屋で紹介された、中心部の120坪の敷地に建つ築45年の木造モルタル一戸建ての中古住居。北海道の田舎によくある40坪程度の一戸建てだ。よく雑誌で紹介されているような古民家風というわけではない。

「初めて見た時は、内装ボロボロでここで生活できるかな、と思いました。壁に断熱材も入ってないので、床、天井を剥がしキッチンを総入れ替えして…、3ケ月かけてゆっくり自分たちでリノベしました。村には光ファイバーが完備していて東京より早くて仕事が捗ります(笑)。結局、東京の1年分の家賃で土地付き住宅が手に入ったことになりました」

交渉の結果、土地建物が150万円で購入できたという。リノベで100万円ほどかかったのでしめて250万円。安い! 確かに中に入ると外観からは想像できないほどお洒落で、子どもが2,3人いても十分なほど広い。リビングには薪ストーブ。その上、サンルームまである。

「村をあげて移住を促進しています」。村役場企画財政課の渡辺巧さんはこう語ってくれた。
「昨年は8名の社会減でしたが、ここ7・8年、ほぼ十数人の社会増なのは、管内ではここだけじゃないでしょうか。子どもたちは高校卒業すると村を離れますが、移住者のために宅地造成などを行いその効果が出てるみたいです。コロナで若い人からの移住の相談が目に見えて増えましたね。首都圏からの相談も多いですよ、空き家ありますかって。短期の移住体験住宅も数戸用意し、移住や起業の支援金なども充実させています」

移住者にとって気になるのは、就職先と生活の利便性だ。
「正直、就職先は少ないです。ワーケーションで来村する人が増えてることもあり、ネット系のフリーランスの方やテレワーク可能な人が今後増えることを期待してます」と渡辺さん。

ここでの生活については、宏哉さんが興味深い話をしてくれた。
「確かにコンビニはあるけど買い物の選択肢はないです。でもネット通販があるので不便はないです。意外だったのは移住者同士のネットワークが自然にできることです。定年後東京からUターンしたご近所さんは出版業を始め、マイナス20度の極寒キャンプを開催したり、札幌から移住した独身男性は自転車で村おこしを企画してたりと、ビジネス上での刺激をビンビン受けて、本業にも生かされてます」と宏哉さんは満足気。

居酒屋はないため自宅飲み会がビジネスアイデアの場となっているようだ。辺境の地でビジネスの刺激とは。仕事先の顧客も移住体験を面白がってくれていて、仕事でもプラスになっているという。

今、両親が運営する民泊施設隣にサウナを着工中で、このリノベした一軒家を飲食店にして、もう一軒家を買ってワーケーション施設を作ろうか…などと計画しているという。その家はなんと100万円! 副業するなら都会より田舎の方がライバルがなくチャンスが転がっているということだろう。将来設計に話を向けてみた。

「東京にいた時は、ここでは子育てできないなと思っていました。保育園の問題とか、自然が少ない環境とか。でもここなら、早く子どもをつくりたいですね」と久美子さんは宏哉さんに目で同意を求める。最近、歩いて数分のところに立派な保育園が完成したばかりだという。

取材が終わり、別れ際に宏哉さんがポツリと呟いた。「実は不安もあるんです。今年の冬を乗り越えることができるか、薪ストーブの冬は初めてなんで。でもそれもスリリングで楽しいかな」

東京の1年間の家賃で自分の家が手に入る。コロナで将来不安の中、家賃がゼロとなるのは物心共に余裕ができる。
 でも、こうした田舎物件は日本中探せば少なくはない。就職先同様、移住先も結局は縁。合わなければまた移住先を変えればいい。先が見えない不透明な時代、ビジネスでチャレンジできる環境かどうかも移住の決め手としては大きそうだ。
 

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