文章は書けないものだから心配するな②

 前回の続きだ。「文章は書けないものだから心配するな」は、実際自分に起こったことだった。求められているかどうかわからないが(フランスで行方不明になったK君はよく前置きでこう言ったものだ)、説明することにしよう。

 この2年半の間、きっちり9時には机の前に座って文章を書こうとするのだが、数行書いては先に進めなくなることを繰り返していた。自ら昼食を作りそして自ら食べ、またパソコンの前に座るのだが、一向に文章を書くことができない。端から見ると初老の男が日中3時間も4時間もパソコンの前で何やら文章を書くマネをしてるが、よくよく画面を見ると書いては消しているだけで結局数行も進んでいない。2年半もの間だ。嘘偽りのない2年半の間、ずっとそんな状態だった。

 失語症の文章版というべきこの症状を「失文症」とでも名付けてみてはどうだろうか。もちろんそんな症例はどんな医学辞典にも載っていないが。

 キューブリックの『シャイニング』の主人公ジャックのタイプライターは「ALL WORK AND NO PLAY MAKES JACK A DULL BOY」という文章以外打つことができない。このジャックの産み出した奇妙な原稿を覗いた妻ウェンディは、夫の精神状態が危険な領域に陥ったことを確信する。ここから有名な「ニコルソン、ドアを斧で叩き割る。包丁を持ち震えるウェンディ。ドアの裂け目からニコルソンの狂気に満ちたニタニタ笑い」までは映画史に残るジェットコースター的展開だ。

 キューブリックはこの2秒程度のデュヴァルの恐怖に震える表情を撮るため、2週間を費やし、190以上のテイクを繰り返したことはどんなシャイニング関連本にも掲載されている有名な逸話だ。

 なんだっけ。そうそう、文章は書けないものだ症状は、「ジャック=ニコルソン症候群」と名付けて見てはどうかな、と提案したかった。どうだろう。

 この「ジャック=ニコルソン症候群」に陥った2年半は、新型コロナの流行時期に重なる。また2年半前には父親が他界している。しかし、「文章は書けないものだ」の原因はそこにはない、と根拠はないが確信している。

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