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また明日。

10年という言葉を意識し出したのは、去年の年末くらいから。「2011年3月11日」大きな震災でたくさんの方が犠牲になった。そしてこの年の秋、母もこの世を去りました。

私だけではなく、ひとそれぞれに10年という時間が流れていたことになる。あの日から、という思いもそれぞれで、眼を閉じ手を合わせる人も、いつもと同じ日常の人にも「あれから10年が経ちました。」は変えられない。

2021年。読みかけの本が増えてますよ。noteも更新できてませんよ。そうです、何やらお告げのよに「10年が経ちますよ。」「10年めになるんですよ。」「どうしたいんですか。」と毎日問われてる感覚になっていた。いまこの瞬間も。

10年前のわたしは、10年後の私を夢みることはなかった。3年後、生活状況が変わり5年後、また変わり、その時々、楽しいこともつらいと思うこともあった。

そんなこと、だれもがいろいろあって当たり前だ。だけど忘れられない日は、みんな同じじゃない。

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春に震災があり、秋に母が逝き「神さまはおらんのか。」と、こどもじみた思考になっていた。

ただ、「依存してた。」ということに気づいた。母の看病、ぐぅの看病。そこだけに焦点を合わせて毎日を過ごしていた自分に気づいた。これを「依存」ていうんだ。だから大切に、大事に想ってきた人がこの世からいなくなった時、なにものでもない自分に虚しさを覚えた。

最後にかけた言葉が「ありがとう」じゃなく

いつも病院をあとにする時にいう「また明日くるな。」だった。

言い直したい。「ありがとう、また明日。」

今日といういちにち、ありがとうございました♡






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