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おねがいはしません。

あけました新しい年。おめでとうございます☻

どんなに時代が進化しても、「手書き」できる手帳がわたしには必要で、日記のようなものになる。365日はどんなことを感じて、紆余曲折しながら過ごしたか、喜怒哀楽とかでこぼこした感情さえ浮き彫りになっている。だから、何年か後に「へぇー。そうやったん。」と誰かの日記を読んでるかのような感覚が、ぶるっとくる瞬間だ。

去年の手帳から今年の手帳に変わるとき、母からもらった最期の手紙を入れなおす。短い文章だ。でも、あの時「もう次にもらえない手紙」だと勘がはたらいた。母が書けた最期の言葉は、お守りのように毎年、新しくなる手帳にはさんでいる。

はじまりの音。

ごーんごーんと除夜の鐘が聴こえてくる。

あけましておめでとうございます。ことしもよろしくおねがいします。

ふたりは正座し、いぬはお座り。一応かしこまり挨拶をする。それから近所の神社へお参りに行くのが、13年間続いたわたしたちの新年の迎えかただった。

毎年一緒に行った神社ではなく、遠い場所に行きたくなった。静かなとこ。冷たい空気が澄んで感じられるとこ。眺めがいいとこ。動物がいるとこ。美味しい釜めしがあるとこ。大きな蔦屋があるとこ。

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そうだ奈良へいこう。

というわけで、奈良の春日大社でお参りしました。ぴったりだ、そう、こういう場所に年の初めに身をおきたかったのだ。

早朝は人も少なく、空気が凛としていた。ここで、あのこは鹿のふんを食べた。獣の本能がむくむくしたんだろう、興奮気味に鹿を追っかけていた。抱くと身体はむらむらとした熱さを感じた。

そんな、いぬがいた頃の初詣。

いちかばちか、あえて、今年は何も神様におねがいはしていない。ただ、「ことしもこうやって、お参りに来れました。ありがとうございます。」

春日大社の、世界遺産の春日の大社におられる神さま、どうか察してください。いつもなら、たぶんあれこれとお頼み申すところ、感謝のきもちだけを伝えました。伝えましたよ。

だからとは言いませんが、見守っていてください。はい、これはお願いでした。かたじけない。

どこにも正解はないのだから。いつも平常心でいようと決めた。

ことしも、noteは書いていこう。

ありがとうございます☻ことしもよろしくお願いします。またもや、ふんわりとおねがい。








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