不意に想い出すっていいな。
冬の朝、通勤に自転車をつかい冷たい風を感じるのも悪くはない。
つんとした空気が顔にあたり、冬の匂いがする。その時だ、ふと脳内にある一人の友人が現れた。
それは高校時代の友人で、もう何十年と会っていない。それでも毎年年賀状のやり取りをし、母になったことや子供ができたこと、もう巣立っていくことなど卒業してからの歴史を知ることになっていた。
毎年、年賀状でその子の現在を知ることで、あの頃とあまり変わってない自分を認めざる得ない。
その友人は、周りに流されない気質を高校生ながらに持っていた。勉強もでき大人びた口調で大人びたことを言う女の子だった。
そんな彼女に、ちょっと憧れみたいなものもあったに違いない。大勢で騒いでる中には入ってこない。はじけるようなタイプでもない。
授業中、机に寝そべり寝てると次々に手紙が回ってくる。そんな時代だった。至ってかわいい内容しかない。「今日よる、電話していい?」「持ち物検査あるみたいで。」「明日のりべん?」「今日かえり、いつものとこに集合な。」
いつだって思い出せる。これは幸せだ。
そして今朝、冬の匂いがしたときに懐かしさに溺れた。その子の語り口調や笑ってる顔、手紙の字体、ぜんぶがぜんぶ鮮明に。
大人にはなりたくないと、17歳の地図を聴きながら、夜な夜な友人たちと会っていた時間。なんと青くさく純粋だったんだろうかと笑えてくる。
あんな時期をともに過ごせたことが、わたしを自由にさせ、わたしという人間が形成された気がする。
わたしにとって宝もの、それは人と関わりをもてた時間。やめたこと、やめなかったこと選択しながら今ここにいる。
また手紙を書きたくなった。
そこには、変わったこと変わらなかったことが入り混じり、いまを伝えることができるだろう。
拝啓 元気なのは知ってます。おばあちゃんになる前に必ず会いにゆきますょ。
思い出すということは、それくらい一緒にいたということだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?