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教員は環境である #1

出会った瞬間から

今日はなぜ私が教員になることを決めたか、と言う話。
その動機になった恩師達との出会いがある。
小学校3・4年生の担任、H先生。
背は6年生と同じくらい、ちょっとふくよかな、いつも笑顔の当時40代くらいの女性が、新学期に教室にやってきて。
もう、出会った瞬間から好きだった。

2年生までの先生が、愛はあるがいわゆる「厳しめ」の先生で
緊張していたところへ、ニコニコした柔らかい眼差しの先生が入ってきた
あの瞬間の景色を何十年も経った今でも覚えている。

気づくと「お母さん」と呼んでいる

ある日休み時間にプリントの丸つけをしながら?
教卓の周りに集まる私たちと話をしてくれていたH先生に
 「ねぇ、お母さんお母さん」
と話しかけ、先生と友達に大笑いされた時があった。
なぜ笑われたのか、指摘されるまで全くわからなかった。
気づかないほど自然に「お母さん」と言っていた私。
先生が大好きすぎて、
もはや、お母さんに話しかけるように、H先生に話しかけていたらしい
恥ずかしく嬉しく温かい記憶。

先生は見ていた

「がんばるぞ!」と人知れずやる気と笑顔に溢れた毎日だった。
信じられないかもしれないが、小さい頃の私は
コツコツと何でもやり遂げられるタイプではあったけれど
とにかく引っ込み思案で、授業中に手を挙げるなんてもってのほか。
注目されることが、恥ずかしくてたまらなくて。
(今も実は、人前に立つことは好きじゃない・・・。)
当たってしまったらどうしよう?といつもドキドキしていて。
あれは忘れもしない、
ある日の算数の授業で、先生が私の横にそっとやってきた。
「TOMOちゃん、いつもちゃんとやってるね。これ、できてるからみんなの前で言ってみて。」
と言って、手を挙げてないのに私を指した。
私は顔を真っ赤にして何かを言ったんだと思う。
「TOMOちゃんは、いつもしっかりやってるんだよ。
 これからもどんどん発言してね。」

と先生がみんなの前で言って、みんながニコニコとこちらをみている景色。

声を出すことは怖くない

その時、私は変わった。
今でもはっきり自覚している。その時だ。
H先生は
声を出すことは怖くない、を教えてくれた

今思えば、授業実践という目で見ても、子どものやる気や自主性を十分に引き出す取り組みが多かった。
国語が専門だった(と後から知った)H先生は、国語教材や学級会、
今風に言えば「対話」で見事にクラスを作っていたと思う。
子どもだった私たちはその先生の笑顔と声かけのままに伸び伸びと過ごしていただけだが、クラスのみんなも、学校も、先生も大好きな毎日だった。
もちろん、先生に叱られたり、先生を泣かせてしまったり、そんな思い出もあるにはある。
でも、どんな子でもみんなをそのままグルッと包んでくれる、
一人一人の良いところをみんなの前で褒めてくれる、
いつだって私たちを信じてくれる、
先生の前では”そのままの自分でいい”と思える、そんな先生だった。

だいぶ昔のことなので、詳細な記憶はなく断片的ではあるけれど
その2年間の今でも思い出せる思い出は圧倒的に多い。
きっとたくさん心が動いた2年間だったのだと思う。

私もこんな人になりたい

そこから私の憧れが決まった。
私も「こんな人になりたい」と、
この時にH先生と同じ「教員」を目指すことに決めた。
今の私の職業は、小3の時のH先生との出会いで決まったのだ。

進路を決めるまで、たくさんの経験や出会いの中で
人の命を救える医者になろうかな、とか
世界を飛び回るCAになろうかな、とか
イルカの調教師も素敵だな、とか
他の道を考えたこともあった。

でも結局、自分のルーツに戻ってきた感がある。
そして今教員になり、
今の職場にご縁があり、子ども達の前に立つ日々。

『自分は、なりたい自分に近づけているだろうか』

いつも私の中にはその問いがある。
思い浮かべているのは、初めて教室で会ったH先生の笑顔である。

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