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『雨月物語』(原作:上田秋成 出演:京マチ子、田中絹代 1953年3月26日公開)個人の感想です


『雨月物語』

どういう感想を書けばいいのか、という映画にぶち当たってしまった。この物語の原作は、江戸時代後期(1776年)に上田秋成によって書かれた怪異小説とのこと。この怪異の言葉すら初めて出くわした。怪異とは『現実にはあり得ないと思われるような不思議な事柄やそのさま』ということのよう。いつものように、映画を観終わって映画のことを色々調べたのだが、この言葉に思わず納得した。

観始めてすぐに戦国時代のお話ということがわかったが、戦国時代というのは本当にこんな感じではなかったか、と思えるぐらいに映像にリアルっぽさが出ていた。実際に戦国時代を見た人はいないわけだけども、モノクロで映し出される自然の風景、家、町、洋服、顔、髪、すべてが本当にこうだったんではないかと思えた。今の戦国時代の映像は綺麗すぎて嘘っぽい、なので、この映像を見るだけでも引き込まれてしまう。

さて、物語であるが、時代は、「賤ヶ岳の戦い」の前、場所は琵琶湖の北部(賤ヶ岳の近く)、そこに源十郎という農業と焼き物をやっている貧しい男とその義理の弟・藤兵衛の二人が源十郎の妻・宮木と息子、藤兵衛の妻・阿浜をほっぽり出してそれぞれの欲に生きていき、バチが当たり、反省して、もとの田舎の本業に戻るというお話。

ふたりの欲は全く違っていて、源十郎は、焼き物を売ってお金持ちになろうとし、藤兵衛は、侍になって出征しようとする。この二人が別々の流れで話が展開されていく。メインは、源十郎で源十郎にはまさに怪異なことが起こる。

源十郎は、藤兵衛、阿浜と共に焼き物を売りに琵琶湖の北岸から捨て船に乗って、対岸の大溝(滋賀県高島市)へと向かう。そこで焼き物を売っているときに、上臈風の女・若狭に焼き物を届けるように言われ、屋敷に向かい、そこで宴に招かれ、女・若狭に求婚されおぼれていく、数日後、町に出て若狭に着物を買って帰る途中で、神官に死相が浮かんでいると言われ、家族のもとに帰りなさいと諭され、死霊が触られぬように呪文を体に書いてもらい、屋敷に戻る。そして家族のもとに帰ることを若狭に切り出す。若狭は引き留めようとし体に抱きつこうとするが呪文が書かれた体に跳ね返される。さらに源十郎は暴れて、外に出て、気を失う。意識が戻ると、そこは野原で、屋敷はなく(あたかも、それまでのことが、夢をみていたかのごとく)、侍に取り囲まれ、金をうばわれてしまう。(つまり、源十郎は幽霊が住む屋敷で幽霊と過ごしていたということになる)

一方で藤兵衛は、源十郎と阿浜と焼き物を売っている最中にお金を持って具足と槍を買い、兵にまぎれ、戦に敗れた敵大将の首を拾い、自らのものにして、手柄を立て大将(柴田勝家風に見えた)から馬と家来をもらい、大出征を果たし自分の村に凱旋しようとする。

妻二人はというと、宮木は、源十郎が船を出した後に落ち武者勢に囲まれ、槍でひと突きされ、殺されてしまう。(男の子は無事)阿浜は、藤兵衛がお金を持ち去るのを追いかけて、見失った後に、湖畔でひとり佇んでいるとこを兵の集団に捕まり、強姦されてしまう。

さて二人の男はそれぞれ自分の村に帰ることになるのだが、藤兵衛は、凱旋途中に立ち寄った宿で遊女に成り下がった阿浜に会う。遊女になった阿浜から藤兵衛は責められるのだが、藤兵衛は反省し、阿浜に許しを請い、許してもらい、侍を止めてしまう。源十郎は、夜に家に帰り着き、「宮木、宮木」と叫び宮木を探す、宮木は部屋に座っていて、源十郎を迎え入れ、お酒や、ご飯の準備をし労をねぎらう、酒に酔った源十郎は、息子のところに行って眠入ってしまう。目が覚めると宮木はそこにはおらず、源十郎は、宮木が侍に殺されたことを知らされ、悲しみ、そして、昔のように真面目に窯でお椀を焼くところでこの話は終わる。(ここでも源十郎は幽霊を見ていた)

この映画の凄さは、様々な側面があると思った。冒頭に書いた戦国時代のリアリティのほかに、京マチ子が演ずる若狭の姿、所作、表情、踊り、どれをとっても異様なものであった。もちろん源十郎が観る幻影の中の幽霊なので神秘的であり、ゾクゾク感じさせるものであり、何度鳥肌が立ったか分からない。これは、もはや活字では表現できないので、ぜひ、観て欲しい、そして、京マチ子(この時29才)の演技だけで表現される情念と気味の悪さを感じて欲しいと思う。(でないとこの映画の凄さが伝わらない)

江戸時代の幽霊に対する庶民の捉え方についても気になったので『江戸時代 風俗 幽霊』で検索してみると、やはり、ちゃんと研究している人がいる。『日本人の霊魂観-幽霊と「モノノケ」の系譜をたどる』というレポートがあった。古くは室町時代の前期から資料に『幽霊』という言葉が登場していたらしい。『幽霊』が時代、時代でどのように捉えられていたかはここでは触れないが、江戸時代は、『「恐い」を娯楽として面白がる』ということだったらしい。つまり、小説は娯楽だったので、このような幽霊を取り込んだ小説が書かれたのであろう。江戸時代にはこの小説は、特別人気があったということでもなかったらしいが、これをベースに映画化しようとした人、演じた人たちは天才的だと思う。

この映画は、海外でもとても評価され、数々の賞を取っているようだけども、海外の人がこの映画を観て東洋の文化に興味を持つこと間違いなしだと思った。こうやっていろいろと感想を書いているが、京マチ子の演技が頭から離れず、書きながらでも鳥肌が何度も立っている。しばらくは寝るときに瞼の裏に出てくことは間違いない。

では、また。


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