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日本人が知らない「回族」のはなし

『中央公論』2022年7月号の連載「現代中国と少数民族」は、「岐路に立たされるムスリム「回族」」でした。
記事を執筆したジャーナリストの安田 峰俊さんは、Twitterで回族について以下のように述べています。

確かに、普段回族という名前をテレビやネットで見聞きすることはほとんどありません。よく聞くのはウイグル族やチベット族など、政治的な影響力が大きい民族でしょう。しかし実は、回族は中国という国を理解する上でかなり重要だと言える存在です。
今回は、そんな回族について知ってもらおうと思い、この記事を書きました。

回族とは?

回族とは、簡単に言ってしまえば「イスラム教を信仰し、漢語(中国語)を話す少数民族」のことです。
「中国にイスラム教徒(ムスリム)がいるの!?」と思う人もいるかもしれません。実は、中国でイスラム教を信仰する少数民族は10います。人口の多い順にみてみると、

1 回族(1,058万人)
2 ウイグル族(1,006万人)
3 カザフ族(146万人)
4 東郷族(62.3万人)
5 クルグズ族(18.6万人)
6 サラール族(13万人)
7 タジク族(5.1万人)
8 ウズベク族(3万人)
9 保安族(2万人)
10 タタール族(0.3万人)
(人口は2010年の統計によるもの)

となっており、回族は中国のムスリム少数民族の中でウイグル族よりも多く、最大の人口を占めることがわかります。また、回族の居住する地域は中国の北から南まで非常に幅広く、回族の中国における政治的・社会的影響力は大きいと言えるでしょう。

回族の主な居住分布。地図上で塗られていない地域にも回族は暮らしています。

ところで、中国においてある民族集団が「少数民族」として認定(民族識別)されるためには、四つの基準を満たしている必要があります。それは、①共通の言語、②共通の生活地域、③共通の経済生活、④共有する文化を基盤とした共通の心理です。

しかし回族の場合、①漢語を話し、②中国に広く居住し、③漢民族と同様の経済生活を行い、④イスラム教を信仰し、それに基づいた生活を送っています。つまり4つの基準のうち3つを満たしていないことになります。④のイスラム教の信仰についても、都市住民や中国共産党員となった回族だと信仰を持たなかったり、福建省の一部に住む回族は伝統的にイスラム教を信仰せず、(イスラム教でタブーとされる)豚肉を食べていたりするということがあります。
したがって、「回族とは何か?」を簡単に定義することはできず、回族の統一的な指標は身分証明書の「回族」という民族欄だけと言われることもあります。

回族の歴史

回族がこのような不思議な存在となったのには、彼らが歩んできた歴史的な経緯が関係しています。

中国にイスラム教が伝来したのは唐(7世紀~10世紀)の時代です。「大食タージー」と呼ばれるアラブ系の人々が海上交易のために中国の沿海地域、特に広州(広東)を中心に活動しました。北宋(10世紀~12世紀)の時代になると、広州には外国人居住区である蕃坊ばんぼうが設置され、その中ではムスリムが礼拝をおこなうモスクが建てられました。
ムスリムの商人たちは次第に中国に永住するようになり、名前を中国風に改め、現地の漢民族女性と結婚し、混血が進みました。

13世紀になると、モンゴル帝国の元は、中央アジアやペルシア出身の「色目人しきもくじん」を官僚として用いました。色目人のムスリムは「回回かいかい」と呼ばれ、彼らが中国内地にコミュニティを拡大したことは、現在のような回族の広い居住分布の源泉となっています。
しかし、14世紀に元が明によって追い出されると「回回」は後ろ盾を失い、対外貿易の縮小も相まって、「回回」は中国社会の中に埋没していき、「回民かいみん」と呼ばれるようになりました。

明やその次の王朝である清の時代にかけて、回民内部での宗派をめぐる対立や、漢人とのあいだの利害関係をめぐる対立によって暴動が相次ぎました。その中でも、清代末期の19世紀に中国西南部の雲南省や、西北部の陝西省・甘粛省で起きた回民の反乱は、回民と漢民族との間の全面戦争となり、現地の回民コミュニティに大きな打撃を与えました。
そのような状況であえて清朝側についた回民もおり、彼らは西北部で自らの勢力を確立しました(「回民軍閥ぐんばつ」)。

1921年に結成された中国共産党は、はじめ回民について特別な注意を払ってはいませんでした。彼らが回民を認識するのは、1935年に蒋介石の中国国民党の攻撃から逃れるために行った大移動(「長征ちょうせい」)の過程でのことです。1万2千kmにも及ぶ移動の果てに中国の西北部にたどり着いた彼らは、現地に回民が非常に多く暮らしていることを知ります。当時の中国共産党は非常に弱体化しており、自らの生存のために目を付けたのが回民でした。

当時の中国国民党も西北部を支配している回民軍閥たちも回民を「漢民族のムスリム」として認識しており、独自の民族として認めることをしませんでした。そこで、中国共産党は彼らを「回族」という独自の民族であるとし、信教の自由や権利の保障を宣言しました。
中国共産党は西北部の陝西省・甘粛省・寧夏省(現在の寧夏回族自治区)の省境地域に「陝甘寧辺区せんかんねいへんく」という根拠地を作り、その中で回民の自治政府を設置しています。

日中戦争とさらにその後の国共内戦を経て、中華人民共和国が成立すると、彼らは少数民族をはっきりと認定し、「民族区域自治」を行うことを決定しました。これは、各少数民族の地域に自治区(新疆ウイグル自治区、広西チワン族自治区など)を設け、その領域内に形式上の自治を与えるものです。この制度には陝甘寧辺区時代の回民の自治政府の経験が活かされています。

回民が「回族」という不思議な存在になるに至ったのは、元代のムスリムコミュニティの拡大、中国共産党による民族政策などが大きく影響しているのです。

回族のいま

中華人民共和国ではイスラム教を国家の管理下に置いており、全国のモスクは行政当局に「宗教活動場所」と認められ、宗教指導者たちは国からの免許を与えられたうえで活動しています。

回族はイスラム教の聖典である『コーラン』を読むためにアラビア語を習得し、そのアラビア語を活かして通訳業に就く者もいます。広東省広州市や浙江省義烏市など、貿易の中心地となっている場所では、回族のアラビア語通訳が海外のムスリム事業家たちと中国の事業家たちをつなぐ役割を果たしています。その一方、都市部で暮らす回族はイスラム教の信仰を失っており、ほとんど漢民族と区別がつかないといった状況も生じています。

回族は清代末期の反乱や中華人民共和国建国後の「反右派闘争はんうはとうそう」や「文化大革命ぶんかだいかくめい」でのイスラム教の弾圧などを強く記憶しており、「よき少数民族」であることを心掛けてきたように見えます。この点は同じムスリム少数民族であるウイグル族と対照的です。しかし、習近平政権下の「宗教の中国化」のなかでモスクからイスラム教的な要素が排除されたり、未成年のモスクへの立ち入りを禁止されたりと、回族も苦境に立たされています。

回族文化に触れる:「清真せいしん料理」を楽しむ

このような説明ばかり聞いても、回族について認識を深めることは難しいと思います。そこで、回族文化に触れる手段として、最後に「清真料理」をご紹介します。
「清真」とは「汚れがない」という意味で、イスラム教の戒律に即して豚肉を使わず、牛肉や羊肉を使う食事のことです。数年前に流行った「蘭州牛肉麺」などがそれにあたります。

最近は日本向けにローカライズされていない「ガチ中華」が話題です。その中に清真料理のお店もあります。個人的なおすすめはクミンなどのスパイスをふんだんに用いた羊肉の串や炒め物です。


清真料理を通して、回族に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

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