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『埴谷雄高論』ーその思想の神髄ー

『埴谷雄高論』ーその思想の神髄ー

『埴谷雄高論』

  ・・・小説の方法論から見る自由性

埴谷雄高の評論『カントとの出会い』から、以下を抜粋する。

「宇宙論の二律背反、最高存在の証明不可能、とつづくそれらの仮象の論理学の推論は、いってみれば、自同律の不快に悩みつづけてきた私の暗い気質の論理化された世界のように思いなされるのであった。」

                                  『カントとの出会い』

分かったような気になるくらいしか言えない内容だが、要は埴谷のカントに見る自己の投影であって、とくに注意したいのが、「最高存在の証明不可能」である。この箇所は、非常に大きな問題を私たちに提起する。証明が不可能なだけで、最高存在が不在だとは書かれていない。つまり、常に意匠を凝らしたまま、一種の神のような形で(それもまた刹那の存在条件に置かれるが)最高存在というものは存在するのだ。人間はそれを崇め、やがて我の存在にしようと欲する気質を誰しもが持ち合わせていよう。しかし、その気質とは別に、自分は最高存在にはなりたくない、或いは最高存在の二番手でいたい、といった、一種ひねくれている様で現実的な精神を持っている人々も数多くいる。

埴谷はしかし、この「最高存在の証明不可能」を仮象の論理学の推論とする。ならば、「最高存在の証明可能」は、現象なのであるから、現にその存在は現象しているのだ。

埴谷雄高について述べることは非常に難しい。というのも、言語の質と量が一般人とかけ離れていて、読むのは面白いのだが、面白いのと解釈していることは同一ではないので、つまり、面白いけど難しい作家だと言える。

文学をやって丁度5年目頃に埴谷を知ったのだが、第一印象として、小説ってこんなに自由でいいんだ、と驚きを持って教えてくれた作家だった。学校で習ういわゆる国語、現代文というものと、埴谷の方法論はかなりかけ離れている。文章が点を多く使用するためか長いので、もう一度文章の初めに返って読み返すこともある。ところが、その様な長さにも拘わらず、文脈が矛盾していない。これはパースペクティブをしっかりと持った作家でないとできない技だと思う。前述したが、小説の自由さを気付かせてくれた埴谷雄高には、非常に感謝している。小説に型がある訳ではないので、自由と言えば自由なのは当たり前なのだが、この自由さとは、法律の枠に留まらないということだ。辻褄を合わせることは重要だが、自分の言葉や意識を、型に嵌めて述べなければならないという法律はないのであって、自分の言葉や意識を、自分独自の自由な文体で述べて良いのである。誰が何と言おうと、自分は自分であって良い。

実はまだ、小説論に具体的に入るには準備がいるので、現在まだ前置きしか書けそうにないのだが、埴谷の作品に入るには、よほどの覚悟が必要だと思われるからだ。気になった方は、作品よりも、埴谷の論文集から入ったほうがいいと思う。すべての文章が格言に満ちていて、余すことなく楽しめる。

前置きとして一言で言ってしまえば、「観念の蓄積量」の肥大さ、が特徴と言えるのだ。つまり、形而上の言葉の戦いのようなものだ。まずはこれを前置きとして、埴谷雄高について、いつになるか分からないが、少しずつ書いていこうと思う。

『埴谷雄高論』

  ・・・『死霊』についての考察

埴谷雄高の『死霊』についての考察にあたり、小説からまず或る一文を抜粋する。

「この静謐な、平穏な墓地! その暗い奥底で目もない盲目の虫が何処かを蝕み、怖ろしい変化がわななくざわめきのように起りつづけるとしても、地表には風のそよぎも起らぬこの墓地はやはり讃うべきじゃよ。」

観念から観念を行き来する、言葉の観念性を持った、不可思議な内容の、文体をもった、奇妙な内容になっているこの文章から、一体何を導き出せばいいだろうか。こういう悩みを読者に抱かせるほど、不確かで、しかし確定した文章を書ける埴谷は、やはり観念学者の一人とでも呼ぶべきだろう。如何様にも、読者はこの文章から、自身の人生を俯瞰できるし、また、不思議を不思議として、そのまま目の前に置き去ることができる。

埴谷が言いたいことなど、本当は読者に伝わらなくても、本人が分かっていればそれで良いのかもしれない。
しかし、例えば、「地表には風のそよぎも起らぬこの墓地」などは、本来の墓地ではなく、観念上の墓地とも呼べるだろうし、精神の死滅を想起させる点で、墓地の下にあるフロイトの言う所の、無意識にも推測が及ぶ。だから、地表にある墓地は、意識ということになると、そこに風のそよぎがない点で、意識上の無力を彷彿させるとも考えられる。

ドストエフスキー論を埴谷は書いているので、そういったことを顧みると、『死霊』は、読んではいないが『悪霊』の影響を受けているかもしれないし、所謂ドストエフスキー的なことを書きたかったのかもしれない。
ただ、埴谷が徹頭徹尾言いたかったことは、結局観念の小説力と、観念の無力さではなかったかと考えたことがある。観念性をこれほどまでに持ち出しながら、観念を超えることなく、ただ観念のみに執着していることは、観念的な小説、此処でいう所の『死霊』であるが、そういった形而上の物語しか、書き得なかった、とも解釈できるのだ。難しいことを簡単に言うことは、観念的なものを、実存的なものに置き換えなければ伝わらないが、埴谷の場合は、難しいことを難しく述べているので、結局読者には、難しいことが難しいまま伝わる訳で、小説に対して、これは難しい、と刻まれるのだ。しかしまた、これが、埴谷の望むところであり、埴谷ならではのアイデンティティであろうから、我々読者は、その難しさに付き合わなければならない。

また、もう一文、小説から重要と思われる個所を抜粋しておく。

「私達の自由の真の証明は、どれほど怖ろしい場所で行われなければならないのだろう?」

などの文章からは、比較的分かりやすい観念的なものを感じる。自由とは不自由が在って初めて成り立つ現象であって、自由を突き詰めれば、それは不自由に終着することは大いに想像できるが、その様なことを、埴谷はこの文章で言おうとしているのではないだろうか。それは、証明されるべきではないという論議から発展すると、怖ろしくない場所で解釈できるということだ。
だから、不自由を真に証明すれば、それは怖ろしくない、自由な場所で行われると言った、観念的逆説になる。この重要性は、その後、埴谷が認めた安部公房などに受け継がれていると思われる。
『砂の女』などは、空間認識において、或る此処、という場所で男女が出会うという点で、不自由が故の自由を証明していると思われるし、埴谷の言う所の、『死霊』の仕組みが垣間見れる。

何れにせよ、埴谷雄高の作品『死霊』は、難しいが、その難しさによって作品として成り立っているし、その中身が観念的文章に終止することで、形而上学の最果てでの無力さと、また、形而上学の無限性を述べているのだと思われるのだ。

『埴谷雄高論』

  ・・・『死霊』についての考察⑵

埴谷雄高を論じてると、随分と執筆が重くなる。時間を無駄にしたい訳ではないが、時間が無駄になるほど、思考が停止してしまう。『死霊』にはすでに、様々な思考が散りばめられているので、読解を考察するということが無意味になってしまう程だ。それでも、読み進めていけば、必ずと言っていいほど、格言にぶち当たる。神経を突き刺すような、この言葉達は、少なくとも幼い頃、埴谷が海外で育っているということが一つの日本人的でない感覚を持っているということが、先人によって論じられていることは周知の事実だ。しかし、だからこそ、日本人が日本的に『死霊』を読解すると、奇妙な発見になることは、当たり前の事かもしれない。ただ、我々は、やはり日本文学の観点から、『死霊』を理解したい、という願望が現出する。それを行うことが、日本の本質を知ることにも繋がるからだ。

「ー私達がよく知っている種類の細胞分裂は、すべて「外界」を自身に取りいれることによって、第二の自身に辿りゆくのです。」

「自分から自分を生み出す細胞分裂が自ら気づかぬ自己欺瞞だなんてー自然を、この自然の営みをまるで侮辱していますよ。」

こういった会話の台詞を抜粋すれば、日常ではあり得ないような言葉のリズムに気付かされる。観念的台詞は、言葉の枠を超え、格言の一種となって、読者の前に提示される。限りある台詞を考えている小説家が、まるで自身の考えが間違っているとでも思いそうな、所謂、非日常の会話なのである。この格言が放つのは、例えば、「「外界」を自身に取りいれることによって、第二の自身に辿りゆく」と言った、内界と外界の乖離を意味づけている。

具体的に言葉の考察に入るとすれば、恐らくこの「外界」すら観念的であるため、「第二の自身」すらも、観念の世界観に入れ込まれると思われるのだ。それでは一体、「第二の自身」とは何だろうか。それは、少し離れた所に転所されている「この自然の営み」の対極的に存在する、第一観念の壊れた、その後に現れた、第二の観念の事を指すだろう。それは、自然を跳ね除けて、観念世界の中で破壊し再生される、観念上の、つまり、形而上学の営みである。だから、後の台詞で、「自然の営みをまるで侮辱してい」るという反語が生み出されるのだ。

つまりは、埴谷は、「自然の営み」の存在を知っていながら、敢えて、観念から観念へと、移りゆくことの虚しさと事実を発言させているのだ。この様な、一見無意味な、言葉の当て嵌め方という現象は、『死霊』が観念小説であることを、埴谷自身で決定付けるための、用意周到な方法論だと読み取らざるを得ない。

結局、しかし、台詞にもある「自分から自分を生み出す細胞分裂」のことを、観念から観念に移りゆく一つの革命と論じれば、内実はすり替わり、『死霊』の本質的なテーマに行き着くことになる。例えば、ある人間が、生まれ育って持った所謂自我というものを、人生の或る瞬間に傷付けられ、否定され、自分が自分ではなくなった様に感じる時、それは、本質を述べるならば、自分が自分でなくなったのではなく、また、自分が自分を欺いたのでもなく、自身の、これは自分だという観念の形式が、一つ壊されただけなのだ、ということだ。だから、観念の破壊こそが、外界的感覚から与えられた、負の要素における、革命となってしまうのである。これは誰もが感じることで、観念の最後は、心の死=死体、となるのであって、それまでの、生命の時間というものは、実は死の日時から逆算されて存在している生の時間のことを指すのである。死が最後なのではなく、死までの生命時間が、生であるが故、死によって人間は生かされているということになる。『死霊』の観念から観念への移行は、その死までの段階のことを言っているのだ。

だから、『死霊』の上記した台詞を考察する時、「自然を侮辱」する様に、観念世界は、形而上学的には、自然の死=観念から観念の段階の繰り返し、のことを指していると言えよう。まさに、死の霊のことを述べているこの小説に対して、我々は、観念的な生の有り方を学ぶのである。

『埴谷雄高論』

  ・・・『死霊』についての考察⑶

埴谷雄高の『死霊』の考察に入ってから、少し時間が空いた。書き延ばしていた訳でもないのだが、何かを書けば空論に終わりそうな感覚がまだあって、時間が必要だったのだ。『死霊』の後半の後半部分を考察するあたって、少し長くなるが、抜粋必要な個所があったので、記しておく。

「自分自身による自己の「自己創造」! 全生物史はじまって以来、「私とは何か」と愚かしく問う「私」とはまったく違ったところの「まったくこと新しい精神種族にほかならぬ自己」こそが、この瞬間から創出されることになるのだ。」

困難を極めた人間が行き着いた、墓場から聞こえるような言葉だが、この「自己創造」に着目したい。と言うのも、『死霊』において、虚体と言う言葉が良く出てくると思われるが、その虚体を乗り越えるものとして、抜粋した、「自己創造」というものがあると思われるからだ。新しさとは、常に輪郭を見せないまま、やがて世界を覆う程に定着する現象のようなものだ。それが、唯一、世界を塗り替えていく。

埴谷の言いたいことは、手に取るように分かるようで、また、全く分からないような文章でもある。こちらの理解が、自分史からしか分からぬ言葉の理解によっては、理解できない場所に埴谷は居る。ただ、言葉の数珠繋ぎを克明に判別すれば、何とか辿り着くだろう場所からは、この上記した「自己創造」は、常に時間と共に、まさに時間が経過すると共に、自然に行われていることだろうと推測が付く。
「自己創造」の新しさとは、そう言った、人間の無限変革の事を指すのではないか。とすると、一見『死霊』において、難しく表現されている内文も、実は割と我々の人間生活で、暗闇に行われていることと合致するのではなかろうか。常なる変革は、確かに、世界で行われている。

つまりは、埴谷の方法論さえ見抜けば、その困難極める言葉の解釈を、自己ではなく、世界の理解にあててみれば、通ずることがあるように思う。これは、埴谷が見る埴谷の世界に対して、埴谷に見る自己を見るのではなく、自分が見る埴谷の世界を理解するということだ。
「新しい精神種族」なる言葉も、それは、人間の歴史を辿れば、常に続いている命の破片を見ると、確かに、精神は遡及せずに、前方に生じている。それは、確かに、新人類こそが、「新しい精神種族」として規定出来る様に思われるからだ。要は、常に『死霊』は、こちらが読んでいる様であって、実は、文体から、読者に、世界はこうではないか、と言う風に、語りかけているのである。

『埴谷雄高論』

  ・・・自立する小説

小説が小説として歩き出す時、つまり、作者の手を離れて歩く時、それは現象となって空位を彷徨いだす。何かしらの契機があるはずだが、執筆の方法論を打ち立てた時点で、すでに執筆時でさえ、小説は独り歩きして、作者を離れる。埴谷雄高の作品を読んでいると、こういった、作品の自立性が垣間見れる。
勿論、作者思考の上での執筆なのだが、作品が独り歩きしているように思われてならないのだ。それは、これまで埴谷雄高論で述べて来たように、作品の観念性が関係している様に思われる。作者の心の状態とは別の次元で、観念から放たれていると思われる作品群は、常に我々の観念を射抜いて止まない。

心を主体として描かれた小説ならば、読者の奥深くに響くのは当たり前だが、観念を主体として描かれた場合、読者の観念に響くのは当たり前だ。ただ、心が主体の場合、読者と融和して小説が存在するのに対して、観念が主体の場合、読者の前に自立して作品は存在する。
此処で、観念小説は、自己と対峙し、こちらの、つまり読者の観念の量を推定するのである。観念の量が多ければ多い程、読者は作品に向き合える。理解できる言葉の数が多い程、作品世界にしっかりと馴染むことが出来ると言う訳だ。ここで、要求されるのは、自立する小説に対する、読者の観念の自立性でもある。

何れ、小説を読まなくなって、死を迎える時が来た時に、人は初めて、もっと小説を読みたかった、と思い始めるのではなかろうか。悔恨を覚えた時、死を前にして、読者は佇むのみである。作品はもう、読者に語りかけることはない。
思うに、そのことに気付くのが早ければ、読者はより早く、自立して生活するべきだと考えられる。少し話を戻すと、要は自立して覚えた観念の言葉は、埴谷の作品に向かい合う時、自立して共鳴するのである。だから、少なくとも、埴谷の作品を、死ぬ前までに読み切りたいならば、自立する小説を前にして、自分も観念を自立しなければならないということなのだ。

『埴谷雄高論』

  ・・・意味を意味する現象

埴谷雄高の文学論の中の『ドストエフスキイと私』に、こういう文章がある。

「意あって力足らざる私は、いまだに、出発点にひかれた一筋の白線の上ですでに膝をつき、頭をうなだれているといったていたらくなのである。」

これは、埴谷が、「自身の小説を書くこと」に対して、「現実の前方へ踏みでてしまう人間の精神の特殊なリレー競争に加わりたい」という時に関する自己の状態について、述べた文章である様だ。この文学論には、ドストエフスキイから、観念性のみを影響されたといったことも書かれているが、何れにしても、観念から現実へ踏み込めない埴谷が看取できるのである。

自身が思うには、この埴谷の姿勢は、意味を意味することへの深い疑念があるように思われる。意味をそのまま意味として認識すれば、確かに観念性とは観念性のみに終始することは明白である。それに拘って、観念のみを叙述することは、何ら法的に問題ないし、自由だからだ。自由なことは、小説家に、未知の領域への羨望をも自由にさせてくれる。文学が自由であるのは自由だし、その自由を自由に操れば、それこそ、本質的な自由が現出する。まさに、意味、そのままなのである。
それに対して、ドストエフスキイは、意味を意味しようとする。単なる意味に留まらず、意味に、更に意味を含蓄させるのである。ここで、自由は絶たれ、運命が自由を飲み込むことを埴谷は知っていたのだろう。

ドストエフスキイの小説を多く読んだ訳ではないので、断言は避けるが、ともかく、強烈な運命によって、人が何と不自由に拘束されてしまうかを小説形式で述べているように自分は感じている。この時、意味というものを、意味にする現象が、ドストエフスキイの小説の中で躍動しているように思われる。これに対し、埴谷は自由でいたいのだ。運命に捲かれる前に、運命に規定される前に、意味をそのまま意味として認識することで、自由が飛躍し、闇が闇の中に、そのまま闇として、つまり、観念として存在停止することを、埴谷は言いたいのだろう。
結句、意味を意味する現象について述べてきたが、この現象に埴谷は飲み込まれなかったということだ。現象になる前に、意味のまま、観念を停止させ、自由を獲得し続けたのだと言えよう。

『埴谷雄高論』・・・自己批評についての文学論

「批評家と作家のあいだ」の「運動など小さな小さな補足にすぎない」し、「自己独自に文学基準」が、「自己の作品の最初の読者で」あり、「自己の作品についての「自己批評」の遂行者」となる。

上記した文章は、埴谷雄高の文学論『「自己批評」について』から、必要な個所を取り出して、文章化したものである。誠に、その通りだと思わされる文章であって、恐らくは当たり前のことだが、自分の本質は、結局自分が一番良く知っているということが、此処に述べられている。自己批評とは、紛れもなく、作品を批評する時、他者ではなく、作者自身が作品を批評することだが、このことが、最も作品の神髄を述べることになるということは、恐らく明白であろう。こういう意味で言ったのだ、ということは、作者自身にしか分からないことだ、という現象は判然として、佇む訳である。

他者、つまり自分以外の読者というものが、どの様に観念的に作品を理解し、批評しても構わないことは、自由という名のもとにおいて、自由である。しかし、作者自身の心までは見抜けまい。小説を書いた作者の心とは、作品には表れないこともあるし、そのことは作者自身が語る以外に、散見できないのである。批評とは、一種の魔術の様なもので、これはこうである、という文体で述べられるが、本当にそうだろうか、とも思われ、所謂印象批評などは、片っ端から作者を無視して、読者の印象で述べられる点で、読者の創造文になるため、どうしても小説の核心にまでは及ばないと推測される。
それに対して、自己批評は適格である。此処をこういう意味で書いたのだ、と作者が述べてしまえば、忽ちその作品の本質が、読者の想像を遥かに超えて、現出するのである。これは、自己批評の特権であろう。

批評文を多く読んできた自分にとっては、この『「自己批評」について』は、随分自分の観念を休息させてくれた。批評文を読まなくても、自分が書いた小説作品が、他者によってどれだけ文句を言われても、自分は自分で自己批評すれば、作品は忽ち輝き始める。所謂、独創の勝利である。どこがおかしいなどという批評文は、この自己批評によって、瞬く間に力を失うのである。
勿論、誤字脱字などは、問題外であるが、文章の切り替えや、方法論などは、それこそ全く自由なのであって、その自由が独創を先導するのだ。だから、念を押して言うと、自己作品を本当に分かっているのは、作者だけであるということだ。それ以外は、皆、印象批評だということになる。埴谷は、執筆家に自由を与えてくれる。それは、他者の目を遮ってくれる。つまり、他者に何と言われようとも、自分が書きたい作品を、書きたいように書けるということ、それが、本当の独創なのだと、この文学論から、教えてくれているのだと言えよう。

『埴谷雄高論』・・・死の結果に関する観念の位置

何かを考える前に、何かを書きだすことがあるが、それが明証するのは、自同律という現象と酷似している。
自同律については、

「AはAである」の形式で表わされる命題。Aが概念の場合、一定の思考過程中に用いられる概念は、同一の意味を保持しなければならないということ。Aが命題の場合、命題が真(または偽)と定まるなら、それはつねに真(または偽)でなければならないということ。

『日本国語大辞典』から

とある。此処に、死に当て嵌めると「死は死である」となる。また、これを、観念を当て嵌めると、「観念は観念である」となる。そして、何かを考える前に、何かを書きだす、を当て嵌めると、「何かを考える前に、何かを書きだす、は、何かを考える前に、何かを書きだす」となる。凡そ、自同律とは、分かったようで分からない、自己の知識からすると、遠方にある沈む夕陽のように、辿り着きそうにないものであると、言わざるを得ない。

ただ、例えば、死の結果という現象が、死以外の何物でもないとすると、死は、現象ではなく、停止した観念だとも言えよう。つまり、死は観念である、という端的な文が出来上がる。「死は死である」、「観念は観念である」という自同律について、死は観念である、という言葉を当て嵌めると、一つの文章が出来上がる。

「死は観念である」、或いは、「観念は死である」という意味合いになる。これは、もはや自同律ではないのだが、しかし、言葉の組み換えによって、この様な文章が創造されることに、着目したい。というのも、前述したように、死は停止した観念であるという、死=観念、という図式は、非常に興味深いものがあるのだ。埴谷雄高は、常に自同律の不快に悩まされたようだが、これは、常に、物事を観念的に捉える埴谷が、そこに、耐え難い、死というものが佇んでいたことを自認していたと思われるからだ。この自同律の不快を表現するならば、「死は観念である」、或いは、「観念は死である」、という文章は、一定の効果を保って、成立する。

この様な考察から、死の結果に関する観念の位置は、常に自同律に位置していると言っても過言ではあるまい。難解な現象を突き詰めると、結局、こういった、不自然な自同律が生まれる訳で、埴谷の小説や評論を読む度に、この図式現象が目の前に現れるのである。難解を解読することは困難を伴うが、難解を図式化すると、割合、簡単な図式が生まれるものである。何れにしても、こういった思考の果てに、一つの『埴谷雄高論』が存在足り得るとするならば、難解は簡易である。まさに、観念学者の思考の反復によって、小説も評論も成り立っており、それが、難解だと観ずれば、簡易な図式を用意すると良い。
ただ、この明証が、埴谷の文学を分かったことには繋がらないのだ。つまり、文章の読解というのは、逆に図式からは遠退いて、難解なまま、読者に認識を要求する。死の結果に関する観念の位置という題目のこの文章は、こういった、一つの矛盾に、帰着するものである様だ。

『埴谷雄高論』

   ・・・空前の位置

埴谷雄高が日本文学史上、どの様な位置にいたかは、以前少し述べた。安倍公房を後継者に認めたとした内容も、記載したが、それでは、自己主観的に見て、埴谷がどの様な場所から、文学を見ていたかは、まさに計り知れない苦悩と共に思考すれば、自ずと見えてくると思っている。
埴谷の作品論を執筆するのは、ともかく、観念が擦り切れる程の苦痛を自己に齎す。それは、我々が日常生活で生きている位置とは、全く異なる位置に、埴谷が居るからである。文章を抜粋しても、簡単な図式に収めても、やはり足りない位置に埴谷は居る。述べてしまえば、空前の位置である。

こういった位置を、高みの位置だとすれば、宇宙論にしばしば発展する埴谷の小説からは、無限の領域での仕事が感じられるのである。つまり、宇宙論を書いている埴谷は、宇宙に(メタファとしての)居る訳であって、宇宙から執筆しているのだから、我々は宇宙へと急がなければならない。
しかし、人類が到達したのは、月、のみである。太陽系という、それでもまだ小さい領域を認知しているにも関わらず、月のみがテリトリーになったのみだ。だから、月から述べることのできる宇宙論ならまだしも、埴谷はもっと遠い、銀河系をも凌駕する位置にいる。つまり、空前の位置である。

ならば、せめて空想論での観念の切り替えだけでも、我々読者は宇宙へと行かなければいけない。そうでもしないと、埴谷の小説が読解出来ない訳である。遠い宇宙の果てから、埴谷は語りかけてくる。何故その様なことが出来るのか、実は、その事を思考せねばなるまい。
結局、その思考の謎を解き明かした者だけが、埴谷の宇宙論を理解出来るのであろう。宇宙での実在、それは夢と地続きかもしれない。まだ未到達な場所への接近、それこそが、埴谷に到達することの出来る、最大限の理解方法である。やはり、読者が目指すのは、空前の位置である。

『埴谷雄高論』

   ・・・安易な足場から、小説に転落するまで

久しぶりに埴谷論を書くにあたって、随分と埴谷の小説を読解していなかったことに気付く。勿論、気にならなかった訳ではない。ただ、あの影のある世界観から、少し離れていただけのことだ。しかし、今、例えば、どの様に埴谷の小説に足を踏み入れたか、と聞かれたら、即座に答えることは到底出来ないだろう。
この、難しい、と言っては、逆説的に、難しいが故、読解したい、と思わせる小説に、自分は明確な意思を持って足を踏み入れた訳ではなかった。ただ、生きている上で、ふと、書店屋で埴谷の小説を手に取った時、読解が始まったのだ。無論、その前から、埴谷の名前は聞いていたのではあるのだが。

この、安易な足場に置いて、埴谷の小説に足を踏み入れたが最後、類まれなる観念性から、脱却不可能になったのは、自分で一番自分のことを分かっている様に、分かり切ったことだった。自分と対極にあるものが、自分の視覚に映る時、その謎を解明しようとする衝動は、多分に常套な現象だろう。
処で、埴谷の小説には、読解不可能な内容が散見されることは、埴谷雄高論でずっと述べてきたが、それがどの様に読解不可能かということには、余り述べてこなかった。これを比喩的に述べるとすれば、安易な足場から、空前絶後の大気圏を突破して、小説に転落する様なものだ、と言えるだろう。

問題は明瞭で在りながら、簡単には解決しない。小説に転落した時、最早逃げ場は与えられない。言葉の渦に埋没して、言葉の在りかを探そうとしたが最後、言葉の何処にも、核心などないのだ。ただ、羅列される言葉たちに、耳を傾けるしかない。しかし、こう言う一種の洗脳も悪くはない。
生きることは、何かを探し、知ることだからだ。今度は、言葉を噛み砕いて、転落した渦から、這い上がっていかなければならない。そして、理論で、はっきりとした足場を作り、山登を目指すのだ。恐らくそして、埴谷も、この様に人生を登って行ったはずなのである。理解した現象しか、執筆出来ないことは、明白であろう。

『埴谷雄高論』

   ・・・眼前に明示される、不動の言葉達

もう随分と、埴谷雄高の小説を読んでいない。一時の読解量に比べると、本当に実の場所から、訳の分からない場所へと埴谷は存在している。しかし、作品論を考える時、やはり現在でも、埴谷が眼前に明示されるのは、当たり前となっている。自分は、埴谷の作品の、難しさに影響を受け、惹かれているのだろう。何も、殊更に難しい小説を読む必要もないのだが、何かを解明しないと、意味がないような、まさにパズルの様な感覚を以って、埴谷雄高論に挑んでいるという状態である。雨雲をずっと眺めていると、いつ晴れ間がやってくるのだろうという、一種の絶望の様な感覚に、埴谷の小説は影響する。

埴谷の言葉は、一見適当に使用されている様でいて、いつも的を射ている。まさに、取捨選択された場所から、不動の言葉として、小説内で躍動し、定位するのである。この飛躍性と、定位性の、二つを持っているという現象は、極めて小説家にとって、有利であると言える。揺るがない、アイデンティティの様なものが、読者には感じられる訳であって、それは、我々読者を、小説内に閉じ込めてしまうのだ。この、述べた様な、眼前、という言葉通り、小説内容は、宇宙的なくらいに、我々から離れているのにも関わらず、言葉は目の前で不動の状態で居ることが、何とも不思議である。

考えるという余地を、読者に与えないという点で、つまり、考えはするのだが、思考を止められるという、難しい影響を、読者に及ぼすのである。観念は、観念にしか通用しないし、また、観念は観念だけが受け止められる、言葉の狭間に、埴谷は存在している。難しいことを、吐露しているだけでなく、言葉と言葉の連なりや関係性もまた、複雑怪奇であるし、夢がそのまま夢として存在しているかの如く、我々を夢の中に誘う点でも、埴谷の執筆力は、並外れており、読者は、その小説内容に、追いつけ追い越せの関係性でもって、小説に対峙するのである。

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