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安部公房論ー第一の手紙~第四の手紙(安部公房初期短編集)から読解Ⅱー

安部公房論ー第一の手紙~第四の手紙(安部公房初期短編集)から読解Ⅱー

今回も、(安部公房初期短編集)から、読解を進める。それにあたり、今回は、『第一の手紙~第四の手紙』という小説を読んで解読したい。この、『第一の手紙~第四の手紙』は、非常に安部公房の方法論を示唆している。作品全体が、方法論の語りの様なもので、この、(安部公房初期短編集)の中でも、その方法論に特化した内容であり、燦然と輝く文章ばかりである。そのため、抜粋したい箇所が多々あるが、取り敢えずは、その中でも重必要な部分を考察しようと思う。まるで、安部公房方法論というタイトルにでもしてみたいくらいの、『第一の手紙~第四の手紙』、なのである。

以下、『第一の手紙~第四の手紙』から、抜粋。

自分の存在の確認の為に、斯う言った試みをしなければならなかった宿命的なものについても、又、初めての手紙として必然的な自己紹介や冒頭の一句さえも抜きにして、突然書き始められた此の不安な手紙が、何かの役に立つだろう等とは勿論思っても居りません。僕は唯書きたかったのです。敢えて言えば、理由もなく書きたかったのです。

『第一の手紙~第四の手紙』/安部公房

ここには、安部公房の原初が認められる。「僕は唯書きたかったのです。敢えて言えば、理由もなく書きたかったのです。」という台詞程、安部公房の小説家としての純粋無垢を知らしめる言葉はないだろう。こういった衝動は、必ず小説家に向いているし、手紙というものは、他者に渡すものでなければ、単なる内部に生じた一文章としか理解し得ないが、そういった手紙というものも、文学の形式に入れ込めば、忽ち、小説として異彩を放つのである。この、『第一の手紙~第四の手紙』という小説は、安部公房を研究する上で、最重要のものである。まさに、スタート地点に、安部公房が考えるところの、その初期衝動が、絶え間なく書かれているし、だからと言って、飽くまで小説ではあるが、独白調の文体は、安部公房の切実な文学への心構えであるという点で、芸術理論的評論にも読めなくはない。㈠で、も述べた様に、この、『第一の手紙~第四の手紙』は、(安部公房初期短編集)の中でも、ひときわ際立って、文学とは何かという事を述べているのである。

また、『第一の手紙~第四の手紙』から、抜粋。

きっとあらゆる瞬間に、何処かの〈歩道〉では、やはり無数の人間がこんな具合に流れて行っているに異いないと。そして其の流れの中にも、やはり個体を独立させる区劃が在るに違いありません。

『第一の手紙~第四の手紙』/安部公房

この文章においては、無数と個体の対立概念を持ち出して、〈歩道〉としての、人生の生き方のメタファが述べられている。結句、人の生きる道としては、その一筋に任せた、個体の論理が必然として浮かび上がることを、文章に圧縮して語られているのだ。安部公房は、初期の頃から、既に或る種の諦めという達観の位置に居る。こういった視点は、安部公房が初期の頃から既に早熟し、文学的観点から、小説にその思いを打筆しているのが分かる。こういった事態であるから、『壁』は、必然的に、早熟を通り越した、まさに前衛的なものにならざるを得なかったし、『壁』以前と、『壁』以降に、安部公房文学が仕切られるのも、当然のことだっただろう。早熟からの更なる高みへの逸脱は、壁と向き合うことだったし、SF的なものへ逸脱したということの根拠にも成り得るだろう。

最後、『第一の手紙~第四の手紙』から、抜粋。

それは、表現こそ出来なかったが、整然とした論理であり、即物的な技術であり、単純化された事物を、目に映る儘に、潜入した自我として見極めるつきつめた方法だった。此の説明出来ない論理は、記号化せずに存在を体験する事だった。しかも私は、そこから生まれて来るものの予感も知っていた。それは即ち詩だった。

『第一の手紙~第四の手紙』/安部公房

断っておくが、安部公房は詩人という範疇には入らない、小説家である。しかし、様々に述べた上で、「しかも私は、そこから生まれて来るものの予感も知っていた。それは即ち詩だった。」という風に、詩の生成論を述べていることは、非常に興味深い。此の抜粋箇所には、論理から始まる、詩における原理の様なものが述べられており、もうこれは、小説というよりは、芸術理論な訳であるが、ここまで詩について突き詰めた内容を、初期の安部公房が保持していたことは、何かもう、詩への達観が故、詩を書く意味すら、意欲すら失っている観がある。不思議なことに、安部公房は、詩人になれたかもしれないが、敢えて小説家を選んだ、という憶測すら表出しそうである。なかなかに、重要な文章である。

安部公房論ー第一の手紙~第四の手紙(安部公房初期短編集)から読解Ⅱー、として述べて来たが、この『第一の手紙~第四の手紙』は、多角的に見れば、一つの芸術理論書として読めなくもない。この内容は、安部公房文学において、必読の内容だと思われる。誰もが無視しては通れない、芸術家としての道を、端的に精緻に述べている。『壁』以前に、既にこういった理論が出来上がっていたことは、天才の域である。芥川賞を取るのも、必然だったであろう。これだけの内容の小説を書ける小説家が、芥川賞を取れない訳がない、と言った感じだ。安作だったか、苦作だったかは、安部公房に聞かなければ分からないが、どちらにせよ、『第一の手紙~第四の手紙』が書けたことは、重要視したい。ただ、この小説は、後半部分が失われた、未完の小説でもある。もしかすると、この続きは、文体や内容を変えて、この小説のあとに書かれた、小説や評論に、派生し委ねられているかもしれない。そういった読みもまた、面白そうである。これにて、安部公房論ー第一の手紙~第四の手紙(安部公房初期短編集)から読解Ⅱー、を終えようと思う。

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