なぜ修学旅行で竜が巻きついた洋剣のキーホルダーを買ってしまうのか

これを知るためには、竜が巻きついた洋剣のキーホルダー、それがもつ魅力について考えなければならない。
しかしそのまえにまず、状況を整理する。旅先であるということ、お土産という考え(土産でみやげってなんやねんどさんちゃうん)、それが物を買うことへ私を動機づける。しかし旅先には色んな物があるだろう。それだけでは竜が巻きついた洋剣のキーホルダーを買う謎の解明には不十分だ。
私は店内を見て回る。何かを買うためだ。何か知らんが色んなもんがあるだろう。そして竜が巻きついた洋剣のキーホルダーを見る。そして買う。
私がとりうる店内の行動をおおまかに想像した。たいていはこんな感じだろう。ここからはなにが読みとれるか。
必ずしもはじめからそれ目当てで買いに行っているわけではない。そして私は竜が巻きついた洋剣のキーホルダーを知らない。そんな私は竜が巻きついた洋剣のキーホルダーを見る。そのとき私は、じわじわと、竜が巻きついた洋剣のキーホルダーに惹かれるのか。否、十中百万、是一撃以我被打倒。となると竜が巻きついた洋剣のキーホルダーの魅力に触れないわけにはいかない。 

しかしそのまえにまず、状況を整理する。私は竜が巻きついた洋剣のキーホルダーで何かを切るために竜が巻きついた洋剣のキーホルダーを買うのか。そんなわけはない。ラッセルは、商品を買うときはその商品が在る状況をも買うんだみたいなこと言ってたような気がするが(『論理的原子論の哲学』)、これはソファなど家具を思い浮かべるとわかりやすい話だ。全長100mのソファを買う気にはならない。しかし、その商品が在る部屋のイメージを意識はしていたものの搬入や配置までは考えておらず、あちゃちゃなことはありうる。そういう購入は在る以上、竜が巻きついた洋剣のキーホルダーを買うであろう児童や生徒が、竜が巻きついた洋剣のキーホルダーを買ったあとの状況に関して具体的なイメージをもっているという前提はとらないでよいか、さほど重視しなくてよいだろう。そしてそもそも、そのような状況を、それは配置可能か、いかに使用可能か、軍資金は十分か、そうした様々な可能性(possibility)へ思いを巡らせるに至るパワー(power)が、俗に言う「潜在的な力(potential)」が、竜が巻きついた洋剣のキーホルダーには在るわけだ。そしてこのパワーは、けっしていわゆる「可能性」ではなく、竜が巻きついた洋剣のキーホルダーという作品(ergon)のエネルゲイア(energeia)なのである。エネルゲイアの効果として「ポテンシャル」は存在するのである。もし「ポテンシャル」というものが存在するならば。
さてそうなると、竜が巻きついた洋剣のキーホルダー、それがもつ魅力について考えなければならない。

しかしそれを書くにはこの世界は狭すぎる。

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