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展覧会「PROGETTAZIONE (プロジェッタツィオーネ)イタリアから日本へ 明日を耕す控えめな創造力」を見て<前編>

過日、六本木の東京ミッドタウン内、デザインハブにて開催されている展覧会「PROGETTAZIONE」を見てきました。

もともとは、東京ミッドタウン近くの21_21 DESIGN SITE GALLALEY 3で行われている別の展覧会を見に行くつもりで出かけたのですが、ミッドタウンで広告を見かけて、おもしろそうだったので寄ってみました。
ところが、たまたま行ったこの展覧会がとてもよくて、共感するところも多くあったので記事にまとめることにしました。

PROGETTAZIONEとは?

PROGETTAZIONE(プロジェッタツィオーネ)とは、展示されていた説明によると「プロジェクトを考えて実践すること」という意味で、第二次世界大戦後のイタリアに登場するイタリアンデザインのことを指しています。その当時は、designという言葉は知れ渡っていなかったそうです。

このPROGETTAZIONEを実践する人たちのことを、PROGETTISTA(プロジェッティスタ)と呼び、代表的な4人として、ブルーノ・ムラーリ、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリ、アンジェロ・マンジャロッティが挙げられていました。

展覧会のリーフレット

そして、プロジェッタツィオーネの思想を受け継ぎ、日本で実践したのが城谷耕生しろたに こうせいでした。1991年にイタリアに渡り、2002年に帰国後した同氏は、長崎県雲仙市小浜町を自身の活動拠点をとし、(誰だか忘れてしまいましたが)前述のプロジェッティスタを招いて伝統工芸職人とのワークショップを行ったり、地域創生のためのさまざまな活動をしていました。

プロジェッタツィオーネの特徴として「自然を主役に受け入れる」というものがあるのですが、地熱を利用して竹を加工する方法にチャレンジするプロジェクトが紹介されていました。展示はランプシェードや竹カゴといった小さなものでしたが、数人の人が大きな竹の輪の中にいる写真もありました。
このプロジェクトに、最初は懐疑的だった地元職人たちもやがて巻き込まれていったのだといいます。地熱を利用した竹の加工方法、地域の特色となっている地熱と竹の価値が見いだされたことで、可能性を感じたり、「おもしろそう」という気持ちを呼び起こしたのだと思います。

同氏の活動に関する展示を見ていてすばらしいと思ったのは、ものを創る活動において、創る対象物から始めずに、その対象物が属しているところから知ろうとする姿勢です。
陶芸ならば、土の特性、土壌、その地で育つ農作物、それらを育て、食している地域の人たち、風習・文化を知ることからが創作として位置付けられています。土を耕して野菜を育て、料理を考え、盛りつける器を創る、その一連の活動は、小冊子としてまとめられていました。

この姿勢から、「もの」とはデザイナーや職人が創るという概念を超えていると感じました。創られるものとは、使う人がいて、その人が生きている時間があり、そのものが生まれる場所があるからこそ創られる。そこにはデザイナーや職人、芸術家などの主義・主張は関係なく、使い手とその土地の自然物に寄り添う姿が見て取れます。

心に残る城谷氏のことば

プロジェッタツィオーネの意思を伝える数々の創作物が展示されている中で、特に印象深かったのが城谷氏とゆかりのあった人たちが伝えてくれた、城谷氏のことばの数々です。
実は、城谷氏は2020年12月に急逝しています。ですから、城谷氏と親交の深かった人たちがよく聞いていたことばは、今ではもう聞けないだけにひときわ心に残りました。

一字一句正しく覚えて帰ってきませんでしたが、いくつか紹介します。

「いいんじゃない?」(失敗してもいいから、やってみよう)
「おもしろくない」(だめということばを使わない)
「なぜ語尾を濁すのか」(〜ではないか、という語尾を濁す言い方ではなく、〜であると断言する)
「伝統がなければつくればいい」

エシカルや個人の幸福、価値観の多様性など、いろいろと言われていますが、結果を早く求められ、失敗が許されにくいのがイマドキの風潮です。
他者と交じり合いながら、ものを創る仕事をするときに、失敗の中から新たに何かが生まれることを期待し、試み、一見するとだめっぽいアイデアを全否定せずに、もっとおもしろいものにしようとする心意気とやさしさに感動しました。

これらの中でとりわけ心に残ったのが「なぜ語尾を濁すのか」でした。どうやら、雑誌かなにかに寄稿したときに出版社から「〜なのではないか」とか「〜だと思われる」と変えたい意向を受けたらしく(なんとなく状況が想像できる)、そのときに言ったことばだったようです。城谷氏の活動は、「断言できないことなどいわない」という覚悟の上に成り立っていたと想像しました。

毎日、ものを見聞きしていると、「〜なのではないでしょうか」というフレーズによく出会います。こうしてnoteを書いているだけに、私自身、すごく突き刺さりました。なんのために語尾を濁さなければならないのか。なぜ、断言できないのか。考えさせられる一言でした。

後編では、私が感銘を受けた「控えめな」創造力についてお伝えしたいと思います(後日公開、がんばる)。

展覧会は5月6日まで。連休中にぜひ!


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