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5「あなたはうつ病だから、ドナーにはなれません」

https://note.com/good_mimosa757/n/n31348b50b33f


 昨日、メンタルクリニックに行ってきた。
 夫の腕に掴まって、なんとか一週間ぶりの外出。事情を知らない人が見れば、ただイチャイチャしているだけのように見えたかもしれない。
 前回の心理テストは意識して明るく振る舞い、ちょっと良いように言ってみたのだが、結果は『移植に対して強いやりがいを持ち自己肯定感を感じている一方で、移植できないことに対して強い不安や苛立ちを抱えている』。
 実は、看護学生時代精神科の勉強をしている時にバウムテスト(精神科で行われる、一本の木を思うがままに描く心理テスト)に対してもある程度習ったし、やろうと思えば自分の心理状態を良く見せることも可能だ。いきなり変えすぎても不自然かと思いあえていつも通りの絵を描いたのだが、それが裏目に出てしまったのかもしれない。何にせよ大正解だ。やっぱり専門家はすごい。

「この結果、移植外来の先生に送りますか?どうしますか?」

 そう主治医に聞かれて、私は迷った末に送らないことを選択した。強い不安や苛立ちといったネガティブな感情はあんまり移植外来の先生には見せたくない。

「あれからも色々調べてみたんだけど、やっぱり精神疾患持ちの人が移植をするのはなかなか難しいみたいでね」

 そう言いながら先生は一枚の紙を引っ張り出してきた。自筆のメモ書きだったが、失礼ながら字が汚すぎて全く読めない。医者というのはとにかく字が汚いものなのだ。たくさんの患者さんを診なければいけないので、早く書くことに重きを置きすぎていて、自分さえ読めれば構わないのである。
 医者の書く英語なんてもはやミミズがのたくったような字で、看護師時代何度それで苦労させられたかわからない。
 それを自分でもわかっているのだろう。字が汚くてごめんね、と私に謝りながら先生はメモ書きの内容を一つ一つ説明してくれた。
 内容は移植における大事な三本の柱。つまり、以下の三つである。

①ドナー本人の意思決定能力
②後遺症の理解
③外部からの強制の有無

「まず、意思決定能力についてですが、あなたは認知機能に問題はなく、しっかりと自分の意思で移植しようとしているのでそう書こうと思います。次に後遺症の理解。これは移植のリスクをどれだけ理解しているかですが、私は専門外ですし、これは移植外来の先生から直接あなたに説明してもらった方が早いと思うのでそう書きます。最後に強制の有無ですが、別にあなたは誰かに脅されたとか外部からの圧で移植をすると決めたわけではありませんし、今の病気になる前から移植を決めていたということも知っているのでそう書かせて頂きます。他にも一応以前のバウムテストの結果や以前やったWISC(IQ検査)と一緒に、田中先生(仮名。二ヶ月前まで入院していた病院の主治医で、移植に賛成してくれていた)の意見も添えて意見書を出させて頂きますね」

 バウムテストは毎回結果が悪いのでちょっと不安だったが、これだけ考えて意見書を提出してくれるというのだから悪いようにはされないだろう。先生の説明に私は頷いた。

「できるだけあなたに肩入れしていないように書きますからね」

 続けられた言葉に真面目に「はい」と答えたが、内心ではちょっと笑いそうになった。
先生の雰囲気からして、私に肩入れしてくれていると言外に告げているようなものだったからだ。とにかく、客観的に見て私にはドナーの資格があると書いてくれるという。

「もしこれでダメだったとしても気を落とさずに、その時は変に食い下がらず別の病院を紹介して下さいと言った方がいいと思います。がんばってね」

 そう先生に応援され、私は病院を出た。よく晴れたあたたかい日で、日差しが眩しく、道行く人も一週間前に比べてずっと薄着だった。三寒四温というやつで、これからまたガクリと気温が下がるらしいが、もう春が来ている。

 腎移植のリスクは看護師時代にも習ったし調べもしたので少しは理解できている。
 まず高血圧による心臓病のリスクが上がるし、術後蛋白尿が出ることがありそのまま慢性腎臓病に進行することがあるので慎重に予後を見なければならない。
 腎臓は一つ取っても、もう一つの腎臓が肥大して血流が増え今まで通りの機能を維持しようとする頑張り屋さんの臓器だが、どう頑張っても機能は二つある時に比べて70%くらいしか回復しないし、クレアチニン値(血液中の老廃物の多さを示す値)も多少上がる。あくまで正常値から少し逸脱する程度だが、術後クレアチニン値がドナーとレシピエントで逆転することもあるらしい。
 そして前も書いたが、ドナーがうつ状態になってしまうこともままある、らしい。

 帰りに買い物をして帰ってきて、疲れたので夫と横になりTikTokを見せてもらっていると、私は妙にそわそわしてきた。本当はそのまま少し眠るつもりでいたのだが、神経が昂って何だか眠れそうにない。落ち着かなく足をばたばたさせながらそのことを夫に告げると、じゃあ夕食を取ろうということになった。
 私はもう何年も自炊ができていない。買ってきた夕食を食べ、雑談として独学で取れる資格について夫に聞いたり調べたりしていると、突然落ち込みがやってきた。「あっ、私、なんか落ち込んでる!」と夫に告げ頓服薬を飲んでも一向に効かない。前のように、きっと外出で疲れたのだ。三日くらいお風呂に入っていなかったので気分転換にお風呂に入ろうということになり、夫がお風呂を溜め始めたがその間にもどんどん落ち込みはひどくなってくる。お風呂が溜まるまで後5分といったところで、私はとうとうエンストした。同じ精神疾患の方はわかってくれると思うが、うつ状態では落ち込むと本当に何も出来なくなる。その時も私は口を半開きにし、座った状態で両腕をだらんと垂らして固まってしまった。傍から見れば完全に廃人状態である。
 夫は慌ててソシャゲや瞑想など色んな気分転換法を私に勧めたが、一度この状態まで至ってしまうともう何も出来ない。
 布団に横になればお風呂に入れなくなるのは必至といった状況で、私は夫に膝枕をしてもらい何とかうつ状態を耐え忍んだ。

「まだ働かなくていいって言ってるのに資格について調べたりなんかするから〜!ほら、行くよ!」

 そう言って夫は半ば強引に私を風呂場まで連れて行き、服を脱がせて、ふらついて転びそうになる私を支え風呂場の椅子に座らせた。
 熱いシャワーを浴びると、嵐の海のように荒れていた心も段々と凪いでくる。新しく変えたボディソープの感想などを夫と話しながら一緒にお風呂に入っているうちに、一旦私は回復したと思った。落ち込みの波が去っていく。しかし、波というのはまた押し寄せるものなのだ。
 お風呂から出てきた後、多分お風呂の疲れもあって私はまた落ち込みに捕らわれた。オーバードーズ(薬の用法用量を超えて飲むこと)になってしまうが、頓服薬をもう一度飲みたい。しかし前の頓服薬を飲んでからまだ二時間も経っていない。前回の採血で肝機能の数値が悪くなっていたし、移植の妨げになるようなことは避けたい。でも、つらい。

「もう寝る前の薬飲んじゃえば?」

 そう夫から提案されて、私は迷った。時刻は23:10。このところ完全にログインしてログインボーナスをもらうだけになっているが、私はソシャゲをいくつかやっていて、0時を過ぎてログインしないと落ち着かない。多分軽い強迫性障害と化している。どんな趣味でも、義務化して楽しめなくなってしまうと終わりである。
 しかし、どうせ眠剤を飲んでもいつも数時間は眠れない。今日の診察時に主治医に眠剤を増やそうかと言われたが、薬が増えるのを移植外来の先生がどう思うか心配で結局断ってしまった。
 私は迷った末に就寝前の薬を飲み、ハムスターにごはんをあげよう、と夫に言った。ハムスターに癒されたい気持ちと、早くハムスターの世話を終わらせて布団に横になりたい気持ちが両方あった。(もっと症状がひどい時は、ハムスターの世話もできずに夫に任せることもある)
 ハムスターにごはんをあげて歯磨きをし、布団に潜り込むと時刻は既に0時を回っていた。安心しながらルーティンと化しているログインを終わらせる頃には、私は既に眠くなっていた。なかなか無いことである。
 外出で体力を使ったのが良かったのか?それともお風呂の疲れが出たのか?遅れて効いてきた頓服薬と眠剤の組み合わせが良かったのだろうか?眠れるなら何でもいい。
 中途覚醒は相変わらずで4時には目覚めてしまったが、私はそのまま久しぶりにすんなりと眠れた。

 移植外来の再受診はいよいよ今週に迫った。
 断られた時のために別の病院にも目星はつけたが、できる限り早く移植したいという気持ちは変わらない。この記事を読んだ人が私たちを見守ってくれたら、そして少しでも応援してくれたら嬉しい。

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