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回収されない偶然

どちらかというとすぐに行動できる方ではない
いろんな人に会うとか、いろんな場所にいくとか、億劫である
ただ、ときどき、どうしようもなく強い思いに動かされることがある

こんなことするとは思ってなかったよ、と知人に言われる
正直、自分でもこんなことするとは思ってなかったよ、と思う

これは一体なんの衝動なんだろう

4月から住み慣れた場所を離れて、新しい生活をはじめた
この金曜日に、買い物しがてら近所を散策していた

ほうれん草と油揚げをひっさげて
このまま帰るのもなぁと、いつも通らない道を歩いてみた
目の端に看板の出ている建物がはいってきた
近づいてみると…

「お気軽にお入りください」

ちいさなギャラリーのようだ
偶然、前日にギャラリーで働いていた人と話していたので
お気軽にはいってみるか、と思った

何も知らない状態で
展示されている作品をみる
意味とか、背景とか、なにもわからずみる

熱心にみていたわけでもないと思うが
作品をつくった方が偶然ギャラリーにいて
「こんにちは」と話しかけてくれた

何かでみて来てくれたの?
いえ…たまたま通りかかって
あら、素敵ね!じゃあ…少しお時間いいかしら?

そこから2時間ほど
作品の背景や表現することについて語り合った

この人と交わらない人生もあったけれど
交わることになったのだなぁ

その偶然性が人生には積み重なっている

でも、この偶然は因果関係に回収されないかもしれない
楽しい時間を過ごしたけれど
この人生の中でこの出来事が出てくることはないのかもしれない

それがなにかと結びつけられる日までは
ふわふわ浮き続ける偶然である

「人生は小説よりも奇なり」というのは
因果関係に回収されない膨大な偶然があるからではないだろうか

小説や映画などで、これは何の話だったんだ?というのは落ち着かない
それを考察して、何かしら意味をもたせたくなる

でも現実に生きていく中で
なんだったんだ?で終わることはとてもたくさんある

伏線回収しました!とならないほうがきっと圧倒的に多い

回収されなかった偶然のことを重要ではないことと思っているのだろう
「偶然」という言葉にもならないまま忘れていくものもあるだろう

そして、回収された数少ない偶然を「運命だったんだ」とか言うのだろう
それも悪くない

でも
意味のないような偶然や、運命になりきれなかった偶然が
大量にこの人生の中にあって
それこそが、回収された偶然を支えているのかもしれない

どうしても行動してしまう衝動の正体

突き動かされるとき、どこかでわたしは
これは回収される偶然になるのでは…と思っているのかもしれない

だから、夢中で行動してしまう

思い返しても、ほとんど回収されていないけれど

まだ続くであろう人生で
いつか「あぁ!あのときのやつ!」と伏線回収されるかもしれない

ひとまず大切に記憶の海の中に沈めておこう




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