あとで読む・第36回・本田靖春『誘拐』(ちくま文庫、2005年、初出1977年)

「吉展ちゃん誘拐事件」が起こったのは1963年なので、私が生まれる前のことである。なので事件そのものについてリアルタイムで知っていたわけではないが、その事件の名前は子どもの頃から知っていた。その後の誘拐事件捜査に大きな影響を与えた「戦後最大の誘拐事件」ということで、時折テレビで放送されていたからであろう。
著者の本田靖春さんを知ったのは、やはり武田砂鉄さんのラジオである。それまではまったく知らない存在だった。本田さんのことを語る武田砂鉄さんも、当然ながら生前に会っていたわけではないはずなのだが、なぜかその語りには力が込められていた。
で、本田靖春さんの『複眼で見よ』(河出文庫、2019年、初出2011年)を読んでみた。単行本未収録の文章を集めており、巻末には当時河出書房新社の社員だった武田砂鉄さんが本名で「編集付記」を記している。その文章は叙情的で力強く、編集者時代からたぐいまれなる筆力を持っていたのだと実感させられる。その巻末の「編集付記」を立ち読みして、思わずこの本を買ったのであった。
この本の中で、次のようなエピソードが語られている。少し長いが引用する。
「やはり誘拐事件が起きたときのことである。ベルが鳴ったので受話器を取ると、女性が関西のテレビ局の名を告げた。
『少々お待ちください』
といわれて待っていたが、しばらく先方が出ない。「もし、もし」をくり返すうち、やっと男の声がした。
『誰に用?』
『そちらがおかけになったんですよ』
『あんた、誰?』
ぞんざいな言葉遣いにむっとしたが、丁寧に答えた。
『東京の本田と申しますが』
先方は受話器を掌で覆うでもなく、自分の周囲に向かって大声を上げた。
『お~い、東京の本田っていうのが出てるぞ』
ややあって、別の男に変わった。
『本田さんは吉展ちゃん事件の本をお書きになったそうですね。何という本ですか』
『「誘拐」です』
『ああ、そうですか。私は読んでいないものですから。ところで…』
彼は出演依頼を切り出した。私は一言で電話を切った。
『ばかもの』
私の読者の数は限られている。だから、『誘拐』を知らなくても何の不思議もない。しかし、彼の場合は、かりにもこの私に出演を依頼するのである。作品を読んでからにせよ、とはいわない。せめて書名くらいは調べて電話をよこすべきではないのか。私ならそうする。それがジャーナリストの常識である」(17~18頁)
本田さんはこの一件でテレビマンに対する不信感を抱くことになるのだが、このやりとりを読んで、私もテレビに対し同じ不信感を抱いていたことを思い出した。あるテレビ局から、明日の朝のワイドショー番組にスタジオ生出演してくれないかという乱暴な依頼が、前日の夕方に来たことがあり、そんなものに縁もゆかりもない私がどうして?と聞いてみたら、「ネットで検索したらあなたのお名前が出てきて、この件について詳しそうだったので」といわれて、即座に出演を断った。翌朝その番組を見たら私とは全然別の業界の人が生出演していて、何の問題もなく番組が進行していた。要は誰でもいいんじゃねえかと、ひどく腹が立った。ワイドショー的な番組の姿勢なんて、本田さんの頃から変わっていないのだとあらためて思ったのである。そういう姿勢とは一線を画すために、『誘拐』を読まねばならない。

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