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読書メモ・第10回・小林聡美『聡乃学習(サトスナワチワザヲナラウ)』(幻冬舎、2019年)

表紙のデザインの美しさに惹かれて、俳優の小林聡美さんのエッセイ集『聡乃学習(サトスナワチワザヲナラウ)』(幻冬舎、2019年)を手に取った。

映画「転校生」以来の小林聡美ファンである私は、エッセイ第1作の『ほげらばり』(1997年)が出たばかりの頃に読んだのだが、その後は、エッセイ集が何冊も出ているにもかかわらず、手に取って読んだことはない。小林聡美さんは、エッセイよりもむしろ対談や鼎談のほうがおもしろいのではないかと、一時期思っていた。
今回久しぶりにエッセイ集を手に取ったのは、最初に述べたように、表紙のデザインが美しかったのと、どうやらアラフィフの生き方について気負いなく書かれているらしい、ということを、表紙の「帯」から感じとったためである。
一読して、『ほげらばり』の頃とくらべると、ずいぶんと肩の力の抜けた心地よい文章だなと感じた。ということは、『ほげらばり』の頃は、肩に力が入っていたと、読んだ当時の私は感じていたのだろう。
アラフィフの私はいま、若い頃とはかなり異なる人生観を持ちつつあるのだが、であるからこそ、アラフィフの人の書いた文章がいま、最も気になっている。
アラフィフ讃歌とも言うべき、アラフィフの人が書いたエッセイは、当然ながら書き手によって持ち味が異なる。少ない読書体験から言うと、たとえばジェーン・スーさんは肉食系、小林聡美さんは草食系、阿佐ヶ谷姉妹は白湯(さゆ)系、である。あくまでもざっくりとした私の分類である。
小林聡美さんのエッセイで印象に残った部分をいくつか。

「かくいう私も十分に初老だと威張っていい年齢だが、やはり、どうしても『フネ』というより『サザエさん』な気分が抜けないのが恥ずかしい。『フネ』は原作では四十八歳、アニメでは五十二歳だそうだ。まさにアラフィフ、私世代である。気分は『サザエさん』なのに、体は『フネ』。完全に統合不一致である。頭ではわかっているのに、なかなか実感がともなわない」(「初老の伸び悩み」より)

…ちょっとこれについて、最近僕が体験したことを書く。少し前、韓国の国際会議にオンライン参加して、短いコメントを求められた。日本語でコメントしてよいとのことだったが、40歳のときに1年間韓国留学をしていた身である。せめて冒頭の挨拶、文章にして2~3行分くらいは、韓国語で話そうと思い、ちょっとした挨拶文を考え、イメージトレーニングをして、「よし、大丈夫だ、これでいこう!」と、本番を迎えて、いざしゃべる段になると、まったく口が追いつかない。フガフガして、聞いている方は、何をしゃべっているかわからなかったに違いない。つまり、イメトレの自分と実際の自分が、まったく乖離していたのである。まさに「気分はサザエさん、体はフネさん」状態である。

「なににおいても若くて元気なときは多少自分を無理に矯正して、盛ったり張ったりできるけれど、シニアになったら、やっぱり自分の心地よさが一番大事。見栄えも性格も必要以上に盛らない。疲れているときは疲れていると、親切にできないときはできないと。こんな私ですけどよろしくお願いできますか、といって自分がむきだしていられる場所を見つけたら、大事にしていきたいと思うのである。そしてそんな場所が少しずつ増やせたらいいなあと思う」(「むきだしのステージへ」より)

…これも、いまの私にはとてもよくわかる。

「そんなひとりものたちの間では、『だから老後はみんなで住もうよ』という話になることが間々ある。働きっぷりのいい人にはみんなで『お願いだから土地を買っておいてくれ』とせがみ、料理上手の人は『料理はまかせろ』なんて盛り上がったりする。そんなことができれば楽しいかも、という反面、じゃあ本当にみんな揃って田舎に引っ越せるのか、と考えると、やっぱり都会がいいとか、そっち方面の田舎は嫌だとかなかなか意見がまとまらないのではないか、という結論に達するのだ。そうなると、やっぱりひとりで田舎暮らしが一番現実的なことなのか。悲しいかな私もすっかり一人暮らしの快適さを満喫しているツワモノバブル世代だ。『みんなで住もうよ』と盛り上がっている友人たちも、きっと本当は私のようにひとり暮らしが気に入っていて、誰にも気を使わずに自分の時間を過ごすことを大事にしているに違いないのだ。とはいえ、年をかさねひとりでできることには限りがある。そんなことを実感していけばいくほど、ひとりの快適さと心細さの折り合いをどうつけるのか、いよいよ考えることになるのだろう」(「ひとりで暮らすこと」より)

…この部分、実はかなりよく練られた文章だと思う。たしか阿佐ヶ谷姉妹も、将来的にはいま住んでいるアパートを買い取って、そこに気心の知れた人たちと住む、という夢を持っていると語っていた。アラフィフになると、同時多発的にこのような生活スタイルを夢見るようになるというのが、そこはかとなくおもしろい。
若い頃のように無理に面白がらせようとしない、肩肘の張らない文章。どうってことのない日常を淡々と綴る筆致。アラフィフになってこれが獲得できたのだとしたら、アラフィフになることも悪くない、と思う。

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