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いつか観た映画・『ひまわり』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演、1970年)

いまから2年ほど前(2022年)のこと。

例によって文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」を聴いていると、月曜日のオープニングトークのドあたまは、いつも阿佐ヶ谷姉妹の美しいアカペラコーラスから始まるのだが、今日はそれがない。おかしいな、と思っていると、メインパーソナリティーの大竹まことさんがおもむろに、
「今日はこの曲から聴いていただきましょう」
と、いきなり曲が流れた。オープニングではあまりないパターンである。
流れた曲は、映画「ひまわり」のテーマ曲だった。むかし観た映画だ。
大竹まことさんは、この曲をかけた意味を何も語らず、冒頭からいきなりこの悲しいテーマ曲が流れたので、曲が流れている間中、僕は「そのココロは?」と自問自答していた。
曲が最後まで終わったあと、大竹まことさんは静かに、この映画のストーリーについて語った。1970年公開のこの映画は、イタリアを代表する俳優、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニによる、第二次世界大戦に翻弄された男女の物語である。
映画で最も印象的な場面は、ソフィア・ローレンが、戦争で行方不明となった夫(マルチェロ・マストロヤンニ)を探しにソ連に赴いたとき、そこに地平線まで続くひまわり畑が広がっている光景である。私もストーリーの細部は忘れてしまったが、この場面だけは強い印象に残った。

「あのひまわり畑の撮影地は、ウクライナだったのです」

という大竹まことさんの言葉に、この曲をかけた真の意味を、ようやく理解した。その日は2022年2月28日。つい数日前に、ロシアのウクライナ侵攻が始まったのである。
私はあのひまわり畑が、ウクライナで撮影されたことを、このとき初めて知った。

この年の大晦日。
夕方に、NHKのBSプレミアムで映画「ひまわり」が放送された。
あらためて映画「ひまわり」を見直してみたが、細部についてはほとんど忘れていた。
ストーリーとは関係ないのだが、戦争で行方不明になった夫を妻がいまのウクライナで探す場面で、ほんの一瞬だが、鼓胴のような形をした巨大な建物がいくつか並んでいるのが映っている。どこか見覚えのある建物だと記憶をたどると、チェルノブイリ原発とよく似た建物である。実際には原発ではなく火力発電所のようだが、いずれにしてもドキッとする。映画を観ていたつもりであっても、見えていなかったことが多すぎる。いまになってわかることも多い。関心のないものは目に映らないということなのだろう。

ちなみにこの日の朝には、NHKで「世界ふれあい街歩き ウクライナ キエフ 特別版」が再放送されていた。2019年に撮影されたウクライナ・キーウの平和な街歩きの映像が流れる。「特別版」とあるのは、本放送時にはなかった、2022年時点でのウクライナの様子が追加されていることによる。
2019年の取材の時点では、キエフは実に穏やかな街であった。2014年のウクライナ危機から帰還した兵士が、社会復帰のために子どもたちとピザを作る、という、その帰還兵の顔は、穏やかで楽しそうな顔をしていた。しかしこの時点で、ふたたび戦地に赴くことになるとは知らない。
長崎に原爆が落とされる前日の、長崎の人々の日常を描いた、井上光晴の『明日』という小説を思い出した。黒木和雄監督によって『TOMORROW 明日』というタイトルで映画化されており、私は映画を観たクチである。
翌日に原爆が落とされることがわかっている後世の人間にとっては、その前日は特別な日常に映るのだが、そのときに生きていた人々は、いつもと変わらない平凡な日常である。
2019年時点でのキエフは実に穏やかな日常にみえるが、いま、この時点で見ると、かけがえのない日常に見えてしまうのは、おそらくそういうことなのだろう。
その番組の中で、チェルノブイリ原発事故を伝える博物館の前を通りかかる場面がある。その博物館の前にいたふつうの若者が「歴史に学ばない者に未来はない」と何気なく語っていたのが印象的だった。
(写真は八ヶ岳高原のひまわり畑。筆者撮影)

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